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ベアトリーチェ・チェンチ

ローマのバルベリーニ宮にあるグイド・レーニの

「ベアトリーチェ・チェンチ」肖像画。

美術館のサイトには1600年頃の作品であると書かれてあります。

ベアトリーチェ・チェンチは1599年5月11日

性的虐待の限りを尽くした(と言われている)父親を

殺害したという重い罪で斬首刑にされ、

彼女を助けた継母とベアトリーチェの兄も斬首刑、

そして家来たちまでも撲殺刑になり、

ローマのサンタンジェロ城前で公開処刑されました。


彼女の遺体はブラマンテのテンピエットがあることで有名な

San Pietro in Montorio/サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会に

埋葬されています。

当時、身分の高い人が処刑される場合は斬首、

身分の低い人の場合は撲殺だったようです。

そして無法地帯だったローマの治安を立て直すために、

わざわざ見せしめの公開処刑にしたのでしょうか。


ベアトリーチェは絶世の美女とうたわれていて、

ローマ市民は当時その処刑には反対の意思を

表明していたのですが、時の教皇クレメンス8世は

名家チェンチ一家の領地と財産の没収を目論んで、

あえて処刑執行をしたとも言われているのだとか・・・


その公開処刑を見ていた(であろう)24歳の画家

グイド・レーニが描いたのが、上の肖像画です。

一種のターバンのようなものを被り、

ふと振り向いた憂いのある優しい顔。

まなざしは柔らかく、大きな瞳が印象的です。


つい先ほどまで、さめざめと泣いていた瞬間を

ふいに他人に見られたかのような少し驚いた様子も、

その潤んだ瞳が語っているような気がします。

一度見たら忘れられない表情。


1823年、バルベリーニ宮にスタンダールは友人たちと訪れ、

この絵を鑑賞し、すぐに魅惑されてしまいます。

そしてローマで見つけた16世紀の古文書などを調べ、

1839年『Les Cenci/チェンチ一族』として

この薄幸の美少女ベアトリーチェ・チェンチの物語を

仕上げました。

その中に「絶望に沈んだ十六歳のあわれな娘の

乱れた髪毛などを正確に再現したならば、

真実さをぞっとするようなものにまで

押し進める結果になりはすまいかと恐れたから」

グイド・レーニは、あえて刑の執行に必要なターバンを被らせ、

美しい金髪がほんの少しのぞく程度にしたとの

見解を述べています。

常に観光客でごった返すサンタンジェロ城前も、

ベアトリーチェの美しい顔と、それに似つかわしくない最期に

思いを馳せつつ散策してみると、

また違った風景に映るかもしれません。

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