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ぶかつとうつ

このノートは自分の話をすることがすることが下手な僕が、自信をもって自分の話をできるようになるまで自分の話を投稿するノートです。
基本自己満足です。

僕は高校時代は鬱と共にあった。
中学時代サッカーで少し名の知れたFWだった僕は、高校はスポーツ推薦で入学できた。(頭が悪かったのでとても助かった)
そして、入学してすぐに僕は失敗してしまう。

失敗とはとても些細なことで、新入生の部活動の先生からテーピングを借りそれをスパイクの修復に使おうとしたことで、先生激怒、速攻干された。
中学ではテーピングなどの医療道具は共有物だったが、高校からは違うんだとそこではじめて気づいた。
とにかく人生で一番怒られた。


失敗を取り替えそうと練習や学校では無理に明るく振る舞ったが、自分に嘘をつくことで自分を追い込み鬱になっていった。
至るところで集中力を欠き、次第に先生だけでなく、新入生の浅い関係性では、友達からも見放されるようになった。でも、実際は僕の被害妄想なのかもしれない

2年生では毎試合安定しないメンタルで波はあったが、躁鬱の躁のときに大爆発し、結果だけみればBチームで得点王になることはできた。
学業でも入学当初最下位だったが爆発的に点数を伸ばし学年で2位まで順位をあげた。(これはまた別の機会に)

そんな、精神的に安定していた2年生。
このまま順調に卒業できると思っていた

3年生になり相変わらずの調子の波がある僕はレギュラーはとれず、くすぶっている日々。
しかし、2年生時代にチームでもっとも結果を残している。いつか監督も僕のポテンシャルに気づいてくれるのではないかと考え練習をそつなくこなし、相変わらずFWでのレギュラーを狙っていた。
このとき、得点王で、学業成績良好、ラントレーニングでも常に上位、監督がいないときは最終学年として後輩を引っ張っていた。
こんなに頑張っている僕はベンチ入りぐらいはできるだろうと考えていた。

監督は普段は高校の教師だ。
うちの高校の強みである就職。その就職主任にってしまったことで、練習になかなかこれなくなった。
そんな監督が久しぶりに練習に顔を出し、総体の大一番のメンバーを発表した。

僕は、攻撃の選手であり、守備には不安があった。
一緒に練習をして来たチームメンバーも僕が守備は苦手なことを知っていた。
しかし、僕が与えられた役割は相手のエースと心中するアンカーでのマンマークを命じられた。守備的なポジションはやったことがないので自信はなかったが、最初はチームのために自分の与えられた役割を全うするつもりだった。しかし、作戦を聞いているうちに僕の役割は"お前に任せたい"ではなく"他の使い道がないからしょうがない"というニュアンスだった。

通常マンマークは一人に与えられることが多いが、私と同時にもう一人その役割を命じられていた。彼は元々守備の選手で、今回の役割に適任だと誰もが思った。
そんな職人な彼が前半、僕が後半で相手を潰すというプランだ。

ここでの問題3つを整理する。
1,監督が練習に来ないにも関わらず急な使えない扱い
2,     〃         大一番での守備へのコンバート
3,守備職人の彼が得意とするエース潰しという役割を"他に使い道がないから"で職人に代えて投入する
彼に対しても失礼な話である

怒りと悔しさをおさえ練習に戻ろうとしたが僕はグラウンドではなくミーティングの直後にベンチにいる監督の元へ向かっていた。
認められない悔しさと3つの問題を冷静に監督へぶつけた。いや、監督へぶつける時点でもはや冷静ではなかったかもしれない。
監督からの回答は衝撃だった。

お前がどんなプレーをするか知らない

Bチームで活動してきたため監督は3年生の僕のプレーがどんなものなのか知らないというのだ。何度も紅白戦や練習試合、遠征などでアピールしてきたつもりだった。そもそも嫌われていたのかなぁ
ここからはショックすぎてあまり記憶がないが、はっきりと僕のやってきた3年間は無駄だったと思った記憶はある。そこで、守備職人の彼と交代して同じクオリティでのプレーする自信がないことを正直に打ち明け、監督が「そうか、戻れ」と言うので悔し涙を流しながら練習に戻ったことを覚えてる。

覚悟はしていたものの、1週間後の総体のメンバー表に僕の名前は無く、グラウンドのベンチとは反対側でチームメイトが死力を尽くして戦い、悔し涙を流す姿を見守った。
素直に同じ悔しさを共有することはできなかった。(ちなみに職人の彼はエースを完封さすが)

それから、総体が明けて初めての練習を僕はサボった。
人生で初めて練習をサボった。
サボったというより行けなかった。
全力で総体を戦っていた彼らと同じ場所へ行ってはいけない気がした。これを機に部活をやめようと思った。このときはもう、自分が何を考えているのかわからなかった。
同じ場所で3時間ボーッとしてた、新幹線をギリギリから見たくなった、無償に高いところに上りたくなった、川で泳ぎたかった、釣りをしたくなった。一人になりたくて学校からはすぐに帰った。
ろくに眠れないし、何を食べても味がしないし、自転車を漕いでもすぐ止まるし、大好きだった部活動を題材にしている漫画を見るのも辛かったし、誰と話しても会話を理解できなかった。

そんな僕を理解してくれる人は誰もいなかった。というより話すと辛くなるので話したくなかった。
昔から溜め込む癖はあったが、このときはそういうのではなかった気がする。話すのが辛いのだ。

父と母には相談したが話すのが辛く、考えもまとまらず、理解を得られなかった。
スポーツ推薦で学費の免除もかかっており、今考えれば親として当然だ。

2ヶ月ほどこんな状態が続き、見かねた母から精神科を受診するよう勧められ、行ってみたがドクターが私の話を聞いた上で、「そんなことで…」と考えているように感じ二度といかないと決めた。辛いのに頼るものがなにもなかった。
部活ばかりで発散方法も知らなかった。

ここから僕は自分のことを話すのが出来なくなった。
苦手というより出来なくなった。

僕の唯一の救いはチームメイトの一人が僕の境遇を理解したうえで、無理矢理グラウンドへ連れ戻そうとする友人がいた。共にBチームで主力として戦っていたメンバーだ。
彼は、自分の練習をそっちのけで僕のいく先々へ付きまとった。僕がグラウンドにいかないなら彼もいかないというのだ。正直参った。一人にさせてくれなかった。
彼は僕の人に迷惑をかけたくないという性格を知っていたのだ。彼のために嫌々グラウンドへ行き、シューズもなにもないのでラジオを音楽プレーヤーで聞きながらただ回りを走ったりした。
もちろん監督のいないときだけだ。

彼はやるといったらとことんやる
驚くほどついてきた。ルーキーズの川藤ぐらいしつこい。彼は怪我が多く、普段から練習を休みがちではあったが、さすがに監督がいるときに毎回僕とサボっているので、このままではいつか彼もやめさせられる。
それはまずい。

嫌だったが監督と話すことにした。
監督は僕が来たときに部活をやめる話だと思ったらしく、その書類まで準備していたが、もうそんなの気にならなかった。
僕は彼のためにマネージャーになることにした。
あと少し、授業料免除がなくなるのは親に申し訳なかったというのもある。

そこからは迷惑をかけた分、選手権を目指して一生懸命マネジメントをした。早く来てグラウンドの石を拾った。一番遅くまで残って倉庫を閉めた。
自分がプレーするわけではないので、選手へコーチングがしやすかった、走りのメニューでは率先して参加し、全力でこなしてチームを鼓舞した。
元々リーダー気質ではあったため嫌われる覚悟でチームをまとめた。

選手権ではチームはぼろ負けした。
僕をグラウンドに連れ戻してくれた彼は怪我から復帰を認められず、出場できなかった。
選手権を目標にしていた彼は自暴自棄になった。
今度は僕が彼を無理矢理引退試合に引っ張ってきた。(ノンプレッシャーの引退試合では大爆発し、最強のマネージャーとなった)

マネージャーになってからはご飯が美味しいし、よく寝れた。ついでに進路も決まり、自分が何をすべきかわかった。
マネージャーになってからは鬱は出てこない。

僕の好きな言葉に"ネガティブを潰すのはポジティブではなく没頭"という言葉がある。

芸人OのYの言葉だ。
入学当初の失敗で干されたネガティブも、空元気ではなく没頭で潰すべきだった。
とにかくサッカーに没頭して潰すべきだった。
高校3年生のネガティブを潰したのは間違いなく没頭だった。マネジメントは私に新たな視点とサッカーの面白さを教えてくれた。

今はサッカーをする機会も月に1回も無い。

今すべきことに没頭し、ネガティブ野郎を押さえている。

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