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世界の終わり #1-2 プレミア


 ぼくと板野、そして荒木がいる場所は、福岡市南区の高台に建つ、峰岸という人物が所有する個人邸宅である。
 建坪や部屋数までは知らないが、〝お屋敷〟と呼ぶに相応しい立派な家で、庭は広くて塀が高く、驚いたことに倉まであった。
 歴史を感じさせる旧家でぼくたちがなにをしているのかというと――ひとことでいえば〝窃盗〟である。西側の窓ガラスを割って建物に侵入し、玄関スペースを横切ってリビングに到着したところで、恐ろしいものを目撃し、板野が悲鳴をあげて逃げだした。
 以上がここまでの経過だ。

「見ろ。天井からのびたロープに手足を繋がれている。まるで操り人形だな」
 荒木の言葉を受けて、リビングの奥でゆらゆら揺れている物体を見つめた。
 目を細める。
 男だ。
 男が揺れていた。
 男は裸同然の恰好で立ち――いや、拘束されていた。
 手足を紐で縛られていて、紐の先は天井の梁に結びつけられている。男の皮膚は土気色で、身体のあちこちに裂傷がついており、見るからに痛々しい。鼻をつまんで、摺り足で前進し、縛られている男に近づく。
 男は両肩と腰――だけではなく、布で隠された胸から背中にかけた部分も紐で結ばれている様子だ。
「どうする」荒木が問う。
「どうするもなにも――」触れずに、このまま放置しておくに決まってるじゃないか。なにしろ、この男は人間でなくなっているのだ。拘束を解いて自由にしてやるなんてもってのほか。男に噛みつかれたら、ぼくも男と同じ生ける屍になってしまう。しかし――忍びこんだ屋敷の中で、忌まわしい〝グール〟と対面するとは思ってもいなかった。「しっかり拘束されているし、ある程度距離を保っていれば襲われる心配はないんじゃないかな。一切、手を触れずに、このままの状態で放置して、早く仕事を済ませたほうがいいと思う」
 グールってのは、男のように変化してしまった者の呼称だ。
 ゾンビ、生ける屍。呼びかたは色々あるが、グールという呼称が広く使われている。
「あのなぁ、白石」呆れたような声で荒木は返す。「こいつをどうするかなんて訊いてねえよ。おれが心配しているのは、こいつを縛って、天井から吊るしたヤツのことだ」
「吊るしたヤツ?」
 あぁ。そうか。
 遅ればせながら気がついた。目の前の状況をつくりだした何者かが存在しているということに。

 そもそもこの街に住民は存在していない。
 九州は封鎖されてから七年が経過しているのだ。
 現在、上陸を許されているのは、エリア管理を行っている自衛軍や警察関係者、復興活動を行っている市民団体などに限られているので、ぼくらのような無断上陸している者は、見つかってしまえば即、アウト。
 強制退出させられてしまう。

「……どう、しよう」他者の存在がはっきり示されているこの状況は脅威だ。
「ったく。お前といると緊張感が削がれて仕様がねぇよ」荒木はぼやくようにいって溜め息をつき、手に持っていたバッグを床に置いた。「武器を用意しろ。懐中電灯もな」
「武器? 武器って」
「リュックはなんのために持ってきたんだ」
「あ、あぁ。そうか」用心しろといっているのか。「金槌でいいかな? 一応、ナイフも持ってきてはいるけど」
「両方、リュックからだしておけ」
 背負ったリュックを床におろして、金槌とバタフライナイフ、それに懐中電灯を取りだした。遅かれ早かれ格闘を余儀なくされるだろうと思ってはいたが、一戦交えなければならない相手はグールではなく、生きた人間であったとは。
 金槌にナイフ。こんなもので対等に戦えるのか不安に思う。ナイフをポケットに入れて、右手に金槌、左手に懐中電灯を持って、照度の低いリビングを見回した。
 室内には不快な臭いが充満しているので、カーテンを開き、窓も開け放ちたいところだけれども、懐中電灯の光を自衛軍に見られたら厄介なので我慢する。できれば誰とも顔をあわせたくないし、誰も傷つけたくない。
 正直なところ、暴力だけは極力避けたい。
「近くにいるな」
「え?」
 荒木を見ると、木製の椅子に手を載せて、眉をひそめていた。
「まだ温かい」と荒木。
「温かい? 椅子が? ってことは――」
 あぁあ。最悪だ。直前まで誰かが座っていたらしい。

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