蛍の夜と父の怒声

忘れられない思い出がある。
幼稚園生だか小学生だかの私と母は、何人かの知り合いと近所の水辺に蛍を見に行った。
確か最初に行った場所はそうそう蛍がいなくて、少し歩いたところに移動した。

水路脇の草むらにはたくさんの蛍がいて、目で追いかけたり、光を手のひらに閉じ込めてみたり、嬉しかったのを覚えている。

帰りは20時か21時頃だっただろうか。
家に入ると、父は怒っていた。
「こんな遅くまで何をしてるんだ。警察に連絡しようかと思った。」
みたいな大げさなことを言っていた気がする。

「蛍はどうだった?」「心配したよ〜」とか「寂しかったよ〜」とかそういう言葉でなく、父は怒鳴ることを選択していた。
そそくさと私が二階の寝室に上がると、下からは父が母を叱り続ける声が聞こえた。
楽しい思い出は、トラウマになってしまった。

幼い頃はこういうことがよくあって、私は布団の中で小さくなって何も知らないふりをしようとした。
もう一度眠ろう、まだ起きてはいけない。
見てはいけない、聞いてはいけないもののような気がした。
何も知らなかったように下におりて、おはようって言うのがいい子なんだと思った。

あの時のお父さんは何も考えずに自分の感情を爆発させたんだと思うけど、その傷跡は深かった。
私は20代になった今でも、常に他人に怒られないかを気にして臆病に生きている。

気が強そうな人、お偉いさんに話しかけるのは怖い。
身近な人を信用できない。
威圧的な人の標的にされる。
自己中心的な彼氏ばかりできて別れる。
たっぷり愛されて真っ直ぐ育った人が憎くて仕方ない。

私はそんな自分が嫌で嫌で、親みたいになるんじゃないかと思うと結婚も子育ても怖くて興味がなくなって、そんな今を変えたくて変えられなくて毎日もがいている。

私は真っ直ぐに愛されることが分からない。知らない。
愛され方が、愛されるということがいまいち分からない。
親に愛されていた部分ももちろんあるのに、一方で傷跡が深すぎる。

根暗な人間に無条件に愛を注いでくれる他人なんていない。
与えられたものを乗り越えるのは私しかいないのだ。

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