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10.中心と放射状線(1)- ii

「9.中心と放射状線(1)- i」より続きます。

<ユダの接吻>は、ジョットの描いた「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」のうちの一場面です。

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1.画家ジョット

(1)人生

画家ジョット・ディ・ボンドーネ(生没年:1266/67年頃-1337年)は、「ルネサンス美術」の幕開けを告げる重要な人物です。
ギベルティ『覚え書き』やヴァザーリ『列伝』などを通じて、「羊飼いをしていたジョット少年を画家チマブーエが才能を見込んで弟子にした」という話が言い伝えられていますが、初期の経歴は不明です。

フィレンツェ、アッシジ、ローマ、パドヴァ、ナポリ、ミラノ、リミニなどで活躍しました。
しかし、記録のみが残り、作品が現存しない例も多数あります。

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現存作例では、
パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂壁画のほか、
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の板絵<十字架のキリスト>(上図の左)、
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂上院の一連の壁画群(上図の右)、
などが、有名です。


(2)様式


奥行ある空間、劇的な人間性の表出、確かな量感描写などの点で、
時代に先駆けた「ルネサンス」的表現を達成しており、心底驚かされます。

授業でお話している途中でも「あれ、ジョットってほんとに1200年代末から1300年代初頭の人だっけ?。100年早くない!?。すごいなー。」と思う瞬間があります。それくらい、同時代美術と比較して革新的です。

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フィレンツェのウフィツィ美術館では、師匠チマブーエと弟子ジョットの同主題(玉座の聖母子)の作品が二つ、同じ部屋に展示されています。

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(キャプションは数行下の図版の方に記載あり)

ここでは差し当たって「ルネサンスの三次元的奥行表現」の観点でのみ観察することにします。

確かな奥行を感じさせるのはどちらでしょうか?
どちらがチマブーエで、どちらがジョットの作品でしょうか?



右側がジョットの作品です。
画面内に、合理的な三次元空間や奥行きが表現されているのは、右側です。

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それでは、なぜそう思うのでしょうか。



もちろん玉座の描き方も異なりますけれども、とりわけ相違が一目瞭然で理解できるのは、玉座の周りを取り囲む天使たちの並び方です。

ジョット作品の天使と預言者たちは、聖母子の玉座の周りを一周背後までぐるりと回って、弧を描くように配置されています。
画家は、彼らの配置を通して「奥行き」を創出しようと意識しています。

一方、チマブーエ作品の天使たちは、上下方向に積み上げるように配置されています。まるで薄っぺらな天使のシールを少しずつずらして貼っていったかのような印象を与えており、彼らは、合理的な三次元空間を作ることには貢献していません。

玉座のまわりにいる天使たちの配置の相違が、ぱっと見ただけでも明瞭に知覚できるほどの「奥行き感」の相違を生んでいることが判ります。


二つの作品の制作年代の差はほんの二十年程度ですけれども、
また二人は師弟関係ですけれども、
時代様式上の「切れ目」が、しっかりとここに見て取れることと思います。


2.スクロヴェーニ礼拝堂


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(1)スクロヴェーニ一族

「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」の注文主は、パドヴァの高利貸しの大金持ち、スクロヴェーニ家です。
先代当主のレジナルド・スクロヴェーニは悪名高い高利貸しで、莫大な財産を築きました。ダンテ『神曲』にも、地獄に落とされる醜く強欲な人物として登場するほどの有名人でした。

息子エンリコももちろん高利貸しで、この人が、礼拝堂壁画を注文しました。

表向きの注文の理由は、「贖罪(しょくざい)」(罪滅ぼし)です。
当時高利貸しは、キリスト教的には認められていない職業で、免罪符を授かることなく死ぬとキリスト教徒として埋葬してもらえませんでした。
そこでエンリコは、父の罪をあがなうため、世にも豪華な礼拝堂の建造と装飾を決心します。

とはいえ、裏の理由は、「富の誇示」です。
「家族用礼拝堂」と呼ぶにはあまりに大きく立派な礼拝堂だったので、建設途中から何度も、隣にある大きな聖堂のエレミターニ聖堂からクレームが来るほどでした。
この礼拝堂は、完成後は一般にも開放されましたし、また教皇庁との交渉によってこの礼拝堂に詣でると免罪が与えられるとの許可も得ました。

「贖罪なんですよ~」という謙遜の身振り、「信心深いんですよね~」という美徳の身振りで、財力・権力・政治力の誇示ができるとは、スクロヴェーニにとってこれほど好都合なものはありません。

この礼拝堂のなかで、エンリコ・スクロヴェーニさんの御尊顔を拝することができます。

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左側で跪き、この礼拝堂(模型のように見えます)を聖母マリア様にお渡ししているのが、注文主エンリコ・スクロヴェーニです。
この礼拝堂は聖母マリアに捧げられており、正式な名を「アレーナの慈愛の聖母礼拝堂」と言います(「アレーナ」はこのエリアの地名)。

マリア様から直接手を差し伸べられるという栄誉に浴しています。

俗人なのに、聖母様にいまにも触れそうです!。恐れ多くも、何という特別待遇でしょう(否、何という特別待遇で描かせたのでしょう!)。


この献堂の場面は、礼拝堂入口の壁、
つまり見学者・礼拝者が帰る時に見る壁面に、描かれています。
見つかりますか?。

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真ん中の下の黒い斜め格子の門があるところが、出入口です。そのすぐ左上にあります。
見学者は、もれなく、否応なく、エンリコ・スクロヴェーニのこの誇らし気な姿を最後に見せつけられて、この礼拝堂を後にするというわけです。


(2)大塚国際美術館の「スクロヴェーニ礼拝堂」

ちなみに、徳島県の「大塚国際美術館」には、遺跡や壁画などを現地の空間ごとそのまま再現する「環境展示」の一環として、スクロヴェーニ礼拝堂壁画が再現されています(地下3階、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の隣(!)です)。
一部屋丸ごと原寸大再現ですので、パドヴァまで行かなくとも、鳴門市で、スクロヴェーニさんの「謙遜を装った大自慢」を体感することができます。



3.再び、<ユダの接吻>へ

<ユダの接吻>場面に戻ります。

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9.中心と放射状線(1)- i」にて、「放射状線」を用いた求心力の高い構図で、「中心モチーフ」へ観者の視線が集中するという話をしました。

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(左:★、筆者による線の加筆あり。右:オリジナル。)

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この場面を注視する時、観者は、心理的には、これぐらいのクローズアップの気持ちで、この瞬間の、この二人の顔を、固唾を呑んで見守っているのではないでしょうか。

9, ジョット、ユダの接吻、部分,  closeup


この画像を見て、お気付きになったでしょうか。

(あるいは以前から気付かれていたでしょうか。)

キリストとユダの顔の間に、
向こう側に立つ兵士の顔が間近に見える
ことを。


最後に、ジョットによって三次元空間がしっかりと描けるようになってこそ生まれた、新しい工夫についてお話します。

この絵の、最後の「中心と放射状線」についてです。

ジョットの作り出した三次元仮象空間の中で、
キリストの真上あたりから見下ろしてみたときの人物配置を、
想像してみて下さい。

9, giotto, 捕縛、padova,chris151


画面奥の向こう側(上から見たら向こう側の半円分にあたります)にキリストを取り囲むように人だかりができています。
彼らは一心不乱に二人のキスを凝視しており、その鋭い眼差しは、上から立体的に見れば、中心へ向かう「放射状線」の半分(180度分)を形成しています。

画面奥の向こう側から、つまりあなたの真正面の場所から、二人のキスを注視している人たちがいることに気付いた時には、あなたは、こちら側から、すでにもう、キリストとユダを取り巻く「放射状線」の視線を形成する一人となっています。
あなたは、この瞬間、キリストを取り巻く群衆の一人として、今、まさに、人類の劇的瞬間に立ち会っている最中の目撃証人として、この場面に参加しているのです。


まとめます。
「キリストとユダの顔」という中心モチーフを取り囲む「放射状線」は、壁面の画面上で平面的に張り巡らされていたのみならず、三次元仮象空間内で立体的にも構成されていました。
この構成は、ルネサンス的な「合理的な三次元空間」を描くことができた表現の革新者、ジョットだからこそ達成できたことでした。

ジョットには数多くの追随者、通称「ジョッテスキ」がいましたけれども、こうした構図の工夫のすべてを理解して真似た画家は、ほとんどありませんでした。
同じパドヴァのとある写本画家も、ジョットの壁画完成の直後、図柄は大いに真似ましたが、ジョットの「中心と放射状線」構図の圧巻の演出力には、気付いていないままです。

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(この写本挿絵では、ユダを忌み嫌った後世の誰かによって、ユダの顔が潰されてしまっています。)


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました


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