見出し画像

そしてまた、出会い直そう。


今日は、いかにも冬らしい景色。

冷たく吹きつける風を避けるように、ぎゅっとコートの前を押さえて歩く。
グレーな雲が低く垂れ込め、正面に見える山なみは白い煙に覆われているようで。
きっと明日にはまた、砂糖のような雪がまぶされているだろうな。

ところが。
帰りの車のラジオでは、今朝絵に描いたようなきれいな虹があちこちで見えました、と言っていた。
へぇそうなのかぁ、と家に帰って子どもたちに聞いてみると、本当に朝、くっきりとした虹を見たらしい。


私は今週は早朝出勤が4日、今日は2日め。
店の窓は東に面しているから、残念ながら朝の虹は見えない。
でも、昇ってくる新しい太陽は正面からがっしりと受けるから、その光で何も見えなくなる。(今日はまぶしくなくていいね、と言いながら開店準備をした。)



一昨日、『1Q84』を読み終わる。
最後の最後までほとんどの筋を忘れていて、おぉこんなに壮大な恋愛小説だったのか…とお風呂の中でのぼせそうになりながら最後まで読みきった。

そして、ロス…。

この長編小説を読了したあとの次なる楽しみが決まらず、昨日一日はただぼんやりとお風呂に浸かっていた。
エッセイでも短編でも実用書でもなく…やっぱり一日の終わりに続きを楽しみに手に取れる長編小説がいい。(というただのこだわり)


ここ一年で手持ちの村上さんはひととおり再読してしまったし、江國さんかなぁ、小川洋子さんもいいかもなぁ……本当はずっとエンデを読み返したいと思っているのだけれど、がっしりとした装丁の本だからお風呂には持ち込めないしなぁ…なんて思っていた。
『果てしない物語』なんて、小学生のときに買って読んで以来、ただずっと大事に持っている。
(お風呂ではなく、近々ふつうに読もう。)


そんな今日、本当に偶然。

このnoteで出会った記事に、立て続けに『海辺のカフカ』についてのことが書かれていた。
ひとつ読んで、あぁカフカを読み直すのもいいかもしれない、と思っていたら、またカフカに出会って……あらこれはそういうこと、とうれしくなる。
(ありがとうございます!)

前回は図書館で借りて読んだので、私の本棚にはない。
本屋さんで明日の帰りに探してみようと思う。


ちなみに、読んだのは何年前だろう…と思っていたら、なんと手がかりとなるメモがあった。

ちょうど5年前だったみたい。
残っていたのは、こんな言葉。

この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きているような余裕はない。たいていの人はそのふたつを区別することができない。

『海辺のカフカ』より



きっとまた新鮮な気持ちで出会い直せるはず。





この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?