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こちら東京、こちら東京


また、靴下に穴が空いた。いつもと同じ、中指の爪先と、足の裏。

全く、いつ空いたのだ。朝は、こんな穴無かったはずである。確かに、僕は注意力散漫な男ではある。でも、中指がこの長さまで、はみ出しているのに、見逃すのは逆に不可能である。

ああ、でもダメだ。朝から穴が空いていた気がして来た。この前、なぜか右目の下辺りにマヨネーズが付いていた。それに気付かず、喫茶店に入り、恥をかいた。朝の自分が信じられない。どんどん思い出して来た。お気に入りのチノパンのポケットが牛タンの様にベロンとしている事が、度々あった。着ている大体の服に猫の毛が付き過ぎている。背負ったリュックの口が、カバの様にアホ面している事も、頻繁にある。

間違いない、朝から穴が空いていた。


だとしても、同じ所に空きすぎである。

今年に入って、既に3枚は下らない。まあ、片方のみ死ぬ事など、とおの昔に想定済みである。今持っている靴下は、全て同じ色、同じ形だ。いくら破けても、次の日には、別の伴侶を見つけている。破けた事など誰も覚えてもいないのだ。ふふふ、傾向と対策は出来ている。

しかし、爪は切っているのに、なぜ中指だけなのか。確かに、他の指に比べてちょっとだけ長い。一つだけ頭抜けていて気持ち悪さもある。もし原因が指の長さにあるのなら、許し難い事である。僕の中指を長くした犯人は、誰だ。そいつが靴下代を払うべきじゃないのか?一旦、親父に問い合わせよう。小さい頃、中指だけ引っ張ったか?それが事実なら、なぜ中指だけなんだ?と詰めよう。

問題は足の裏。この穴は、まぁ、概ね僕のせいか。母指球の下あたりに、諏訪湖みたいな穴が空く。理由は簡単、歩くのが死ぬ程下手だからである。

でも、東京に来てからだ、こんなにも歩くのが下手になったのは。そうなると、都よ。おれの靴下代を払え。

まあ、なんでも良いから『東京』の所為にしたいのだ。





僕が、東京に住んで10年くらい経つだろうか。

『おれは絶対に、東京に行くんだ』

親の反対を押し切り、勘当覚悟で実家を出る。なんて、プロローグの様な出来事は無い。有ったのは、強烈な『地元にいたくない』と言う感情だった。その気持ちで出て来たは良いものの、今だに正解が分からない。正直、田舎の方が性に合っているなと思っている。

東京は、怖い。まず、目の奥がギラついている人間が、非常に多い。彼らは、自分の価値観が正しいと疑わない。非常に危険な種族だ。出世街道を闊歩する事に、生き甲斐を感じている。彼らの特性としては、仕事終わりに、仕事の話をする。全く、狂気じみている。気を付けなければならないのは、たまに、彼らに擬態したマルチ商法の伝道師が居る。奴らはすぐにタワマンの自慢話を聴かせてくる。怖い。

逆に、腐った人間も多い。彼らは、もう意欲が完全に枯渇している。何とか生きながらえる為に、身体とスマホゲームを接続している。ガチャを回す事によって、強制的に心臓を動かしてギリギリで生きている。こちらもある種、危険な種族だ。彼らの特性は、『働きたくない』と言いながら、会社に迎合した髪型と服装にしている。彼らも、仕事終わりに、仕事の話をする。主に愚痴だが。こちらも、狂気じみている。怖い。

そして東京には、そのどちらかに合わせないといけない空気が充満している。脆弱な僕は、孤立するのは怖くいので、なるべくどちらかの意見に合わせて行動した。が、合わせて生きるとMPの消費量が半端じゃない。家に帰り、浴槽の追い焚きスイッチを押すまで、正気が回復しない。

田舎では、そんな事は無い。8割の人がマイペースに活動しており、20時には家に居る。そのおかげで、いちいち誰かと比較せずに済む。僕の性には、東京は合わない。今夜も浴槽に浸かり、ユニットバスの天井を見つ目ながら『黙って田舎に居た方が良かったのかな』と考える。

そこで僕は、なるべく消費されない方法を開発した。それは『目立つ行動を避ける』事だ。ギラついた民からも、腐った民からも、マルチからも、極力接触されないように、気配を消し、下を向いて歩いた。仕事に誘われたら『親父の死ぬかもしれない』と不謹慎で適当な嘘を付き、翌日ケロッと出社した。下を向いて歩くのは良い。余計な手間が省け、非常に楽である。どうせ、この街で上を向いても、空はない。

こうして、知らず知らずの内に、夢や信念、自分の感情を捨て、東京の『敗者』になっていた。

歩き方が下手になったのは、この頃からだ。また来週も、靴下に穴が空くのだろう。


東京には、1300万人が暮らしているらしい。

よく分からない数だ。この中に、孤立してでも自分を大切にし続けている『勝者』は、どれほどいるんだろうか。本当に凄い。羨ましい。『居場所を自分で手繰り寄せる力』があれば、東京を美しいと思えたのだろうか。こうやって、負けて当たり前を嗅ぎ慣れている自分が嫌になる。  


結局、田舎でも都会でも、よそ者なのだ。これは、多分だが、どこまでも続くだろう。一生纏わりつくのだろう。

でももう、東京から離れられない。

たとえここが地獄でも、靴下に穴が空かなくなるまで東京から離れない。

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