#5 ナハ、タイヲアラワス

お父さん、お母さんへ

お元気ですか。
数日後の自分が投函し忘れてなければ、この手紙は誕生日までに届いているはずです。
前置きはこのくらいにして。
20年間育ててくれてありがとう。

大学生になって、一人暮らしをして、バイトをして、つくづく実感するものがあります。

それは、「人間は、どうしても自分のための利益だけを考えたくなってしまう生き物だ」ということ。

「貴方を信頼している」っていうのは、実は自分の欲望や期待を相手にぶつけていることを含んでいると、この夏気づきました。

そして思うのです。それなのにどうしてそんなに、2人は子どものことを第一に考えられるの、と。

買い物をほぼ自分でするようになって、生きるためにどれほどお金が必要かを身に染みて感じた。
外食も(バイト先の店がかなり価格帯高めだからなおさら)、何個もやらせてもらっていた習い事も、イヤロンも、その高額さに気づかされた。
「あなたがやりたいなら」と言って、嫌な顔せず月謝袋にお金を入れてくれた。
今考えたら失礼極まりないのに、電話越しの「留学に行きたい」の一言で、車1台分みたいな大金を注ぎ込んでくれた。
もっと夫婦もしくは自分のためにお金を使いたい気持ちは絶対にあるはずなのに。


バイト先は、風俗街の外れの居酒屋なので、いろんな「大人」を見られます。

23時前だったかな、幼稚園児や小学生にしか見えない子どもを連れて、顔を真っ赤にしながら繁華街の道路に座り込む大人。
自分たちバイトに、常連客だからって横柄な態度をとる大人。

幼かったころ、20時とかにはもう寝かしつけることを徹底してくれていた気がするし、店員の前や公共施設で「みっともない言動」を自分たちに見せたことは一度もなかった。

目上の人へのあいさつを徹底させてくれたし、友達を裏切ったときは全力で叱ってくれた。

部活のバスケットの大会にはチームの人数分差し入れを毎回用意してくれて、自分の子どもだけ留学に行っていて出ない試合を、すべて応援しに行ってくれる親がいますか?

留学の同期が何人も実家に遊びに来たときに、夜中3時まで騒いでも怒鳴ることなく、あそこまで何もかもおもてなしをしてくれる親がいますか?

育休を取らず潔く引退したのに、出産後わざわざ2度目の教員採用試験に挑み、中学校の保健体育科という“*ゴミ雑巾のような搾取”をされる職を選んだり、
(*高校の国語のK先生がこう形容した。私が高2のとき、体育教員である母親のエピソードを盛り込んだ、ドイツの労働をテーマにした本の読書感想文の添削をしてもらっているときに、先生が言い放った、中学の保体科の教員に対しての偏見。でもあながち誤りでもない。)

「交通事故だけには遭うな」と毎朝言い続けてくれて、朝4時とかにはもう味噌汁だけズッて飲み干して家を出て、高速で1時間かけて会社に行って、愛車を工場の鉄粉で台無しにしたりして、

ここまで子どものために働ける親がいますか?



ここまで子どもに付ける名前の大切さを分かっていて、その由来を説き続けてくれる親がいますか?


ここまで子どもに、愛をくれる親がいますか?


家でも生徒指導しちゃうし、体育会系すぎるかもしれない。ジャージばっかり着てオシャレには疎すぎるかもしれない。


でも、それでも、二人は自慢の父と母です。


自分が親になるのはずっと先で、そのときまでは「親になって親であり続けるという感情」が理解しきれないのもわかってはいるけれど、ここまで愛をくれることに、感謝してもしきれません。
(もっとも、結婚の“前段階”ですらあやしい自分ではあるけれど笑)


小中学、高校、留学、大学などなど、多くの人に恵まれて、彼らの何人もの家族の話を聞く中で、自分の家族の考えは少数派だと思うことも何度もあった。

けれど、それでもやっぱりうちの家族は最高です。


20年という長くも短くもある時間で分かったのは、
自分は勉強が他の人よりちょっと得意なだけで、
ドジでアタマも弱くて固くて、
結構ポンコツ、ということです。

この間もおっちょこちょいすぎて、バイト先で「いつか医療事故起こしそうだな」って笑われたくらいです。

でも、幸いにも、自分は周りの人たちにこんなにも恵まれています。

バイトで、デリバリーを手伝う自分のミスでUberEatsで運ぶ商品が全然完成しなくて、待ち時間に苛立つ配達員を、「すんません~これで勘弁して」とサッとジンジャーエールを渡して「こうすればすぐ収まるだろ?^^」と機転でその場を打開する、バイト先の店長。

バスケットで上回生の先輩に怒られて凹んでる自分に「先輩を上回って蹴落としてやりたい!って思うくらいじゃないとうまくいかんって。でもお前は優しいな」って言ってくれる先輩。

「あなたのここが好き」「ここが嫌い」と、何も包み隠さず言ってくれる留学の同期の女の子。

なんやかんやイジりながらも、「お前が出席してくれて嬉しいわ」って最終的には言ってくれた、高校の留年する前の学年の同窓会役員である友達。

列挙したらキリがない、素晴らしい人たちに恵まれています。


だからこそ、自分の名前が好きです。

自分の名前に込められたメッセージは、
「永遠に、友達に恵まれますように」


あらためて、産んでくれてありがとう。

こんな素晴らしい名前をくれてありがとう。

紆余曲折あれども(と、たった20歳の、まだまだアオい自分が言うのはおこがましいけど)、20年間、一緒に生きてくれてありがとう。


20年間、父でいてくれてありがとう。

母でいてくれてありがとう。

これからもよろしくね。

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