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ビビりな私が挑戦をし続ける理由

オーストラリアやニュージーランドの海外に住んだり、沖縄や徳之島の離島に住んだり、海外を旅したり、アメリカ横断したり、日本を旅したり、軽バンに住んでみたり、イルカと泳ぎたいという理由で小笠原に住んだり、6年間私は転々と暮らすように旅をした。

私は衝動と繊細を持ち合わせた性格で、行く!やってみる!と勢いで決めることがよくあるが、勢いが出るまでは不安や恐怖でビビったり、行く!と決めてからもビビり続ける小心者で、人の目も気になるし、人見知りで、不安症。なんなら、旅してるときも、憧れの地に住んでいるときも、常にビビってる気がするほど、小心者。

安全なコンフォートゾーン(快適な場所)から始めて飛び出したのは、25歳のとき、看護師を辞めて、初めてひとりで石垣島に2週間旅に出た。
きっかけは看護師が辛くて辞めたくて、逃げ出したかったことと、私が看護学生のとき大学に進学した姉や友人は海外留学をしたりして楽しそうだったから、私も海外に行って楽しく過ごしたい!という理由で、看護師を辞めてオーストラリアに行くと決めた。退職から出発予定日まで1カ月という時間があり、なんとなく一人旅というものをやってみたかったから、海が好きという理由で石垣島に行った。

石垣島に初めてひとりで行った初日の感想は、楽しくない!ひとりでご飯食べて、ひとりで予定決めて遊んで、話す相手もおらず、目の前の綺麗な景色を共有する相手もいない。心細くて、楽しさなんて微塵もなく、大好きなはずの写真を撮る行為さえ虚しく感じた。

ゲストハウスに宿泊した私は、そこで宿の人や旅人と仲良くなり、一緒にご飯を食べ、話してよく笑い、優しさや温かさを感じ、一緒に観光したりもした。宿を移っても、またそこで出会い、絶えず人との出会いがあり、いつの間にか私の心に寂しさや虚しさは感じなくなっていた。帰りの飛行機まで出会った仲間がいた。「楽しかった~!行ってよかった!」と心満たされて、私の初めてのひとり旅、コンフォートゾーンを飛び出した経験は、大成功に終わった。
出会った人たちは、連絡先も知らない人もいれば、その後も連絡取ったり、再会した人もいる。本当に旅は一期一会。人に助けられ、人の温かさに満たされ、人との時間に笑顔が溢れた。そして新たな自分もたくさん知った。

今も、私は行ってみたいところに行き、やってみたいことをやり、会ってみたい人に会いに行ったりする。ビビり度合いは25歳のときから変わらない。もしかしたら20代の方がもっと勢いで生きれていたかも、、、と思うほど、私は小心者。どれほど人に出会ったからといって、人見知り度合いは変わらないし、経験を重ねても不安で怖くて、なんで決断しちゃったんだ、、、となることもある。
新たなところに行くのも、新しい人に会うのも、新たな挑戦も、チケットを予約するのも、慣れないお店に入るのも、今も全部緊張する。日々めちゃくちゃビビってる。もっと気楽に過ごせたら、、、と思ったことも多々ある。

ある人に「どうしてそんなにビビりなのに、新たなことに挑戦するの?」と聞かれた。何でだろう、、、と考えてみたとき、「心の奥底では、ビビって挑戦した先に得るものがあると、人生をさらに豊かにしてくれるものに出会えると、知っているから」と答えが出た。
初めは看護師から逃げたくて、環境を変えた、一人旅という挑戦をしてみた。その先で、出会った人や出来事は、私の人生に大きく影響を与えてくれた。苦しいことも辛いこともたくさんあったけれど、全てマルっとひっくるめて、挑戦した経験は、私をさらに幸せにした、豊かにした、満たしてくれた、温かさをくれた。

新たな挑戦=ワクワクだと言ったりするけれど、私は挑戦にワクワクを感じるよりも俄然ビビる割合の方が大きい。1%のワクワクと99%のビビりで飛び込んでいる。

ビビりなことに、なに一つメリットはない。でもその人に言われて気づいた。ビビりは個性、ビビりの私が挑戦を続けることで、世の中のビビりな人たちに挑戦する勇気を与えられるのではないか。

ビビりや人見知りだからといって、出来ないことことはない。自分の可能性を狭める必要もない。なんだって出来る。無限の可能性がある。

ビビりでたくさんの経験をしてきた私が言えることは、決めれば、決断すれば、どれほどビビっていても挑戦できる。そしてその先に人生の宝物となるものにたくさん出会える。一歩踏み出した先に、必ず光もある。

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