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幼馴染の死はわたしへのギフト

最近、兄弟を亡くした方と話していて、
わたしが幼馴染を亡くしてから、
執着し手放すまでの話をする流れになった。

相手がふわっと涙を流してくれていて、
わたしの胸にもグッときた。

そんなわたしと幼馴染とのストーリーを
書いてみようと思う。


わたしが幼馴染と出会ったのは、幼稚園!

ほんとに仲良くて、よく遊んでた。

そして小学校1年生で脳幹のがんになり、
1年経たずの8歳で彼女は亡くなった。


幼い頃のわたしの記憶に色濃く残っているのは
彼女の笑顔、車いす姿、彼女の亡くなった日、
そしてお通夜とお葬式。

衝撃な出来事だった。

寂しくて、手紙を書いて、空に飛ばしたこともあった。

看護師になると決めたのも、彼女の死がきっかけだった。


父の暴言暴力、姉のうつ、
同居する祖父母のストレス、
友人からの無視、仲間外れ、
自分の心臓病やペースメーカー挿入、
幾度となく苦しい場面で「もう死にたい!」と
思っても、

「彼女が生きたかった今日を生きてるんだから
わたしは生きなくてはいけない」

と、一筋の縄にしがみつくように
生き続けてきた。

「彼女のために生きてる」まさにそんな状況だった。


このころよく聞いていたのは
かりゆし58のさよなら

いのちは始まったときからゆっくり終わっていく
なんて信じない。
ぼくが生きる今日はもっと生きたかった誰かの
明日かもしれないから。

さよなら


「彼女のために生きる人生」を
8歳から30歳まで続けた。

30歳で出会ったのがフリースクール。
そこで代表に言われたのが
「幼馴染を手放す」だった。

「あなたが握りしめたら
彼女は穏やかに空にいけないでしょう。
これからはあなたのためにあなたの人生を
生きなさい。」


愛する人が手放すのがこんなにも
怖いことか、寂しいことか。

夜中、のたうち回るように嗚咽して泣いて。

手放す=忘れるじゃないか?
わたし最低じゃないか?

手放したら、もうなんのために生きるのか
わからなくなって
「死にたい!」と思ってもストッパーかけるものが
なくなっちゃったから、
底抜けに落ちていって、怖くて仕方なかった。

それでも、一通り発狂したら、
堕ち続けた絶望の底にちょんと足がついた気がした。

そしたら、ふわっと手放せた。


幼馴染の家にも行って、仏壇に手を合わせて、
「今までありがとね。
わたしは手放します。」と宣言した。

すっきりした感じがあった。


それからもう2年。

今のわたしは、自分のために人生を生きている。

生きる意味を探すのはやめた。

探そうとするから苦しくなる。

生きる意味なんてなくていい。

「今わたしが生きている」
あるのはこの事実だけ。それだけ。


そして今は「彼女ならわたしにどう生きてほしいと
望むだろうか」と考えるようになった。

その答えは「好きに生きてほしい」
「自分らしく生きてほしい」と思っている。

そんなことを感じるわたしの心は
ぽかぽか温かい。


彼女を手放したところで、わたしの彼女への愛情は
変わらない。

忘れることもない。


彼女の死を悲しむこともなくなった。

悲しいと感じるよりも
温かいものだと感じるようになった。

彼女の死はわたしへのギフトだと思う。

彼女が与えられたものはたくさんあるから
本当に感謝している。


身近な大切な人を亡くした人へ。

思う存分、泣いてください。苦しんでください。

気持ちを、感情を味わってください。

強がらず、思いのままに、寂しいなら寂しいと
辛いなら辛いと、口にしてください。

存分に愛を感じてください。

闇の中にどっぷり浸かったら、
ふわりと光が見えるときが必ず訪れます。

焦らず、隠さず、誤魔化さず、あなたのペースで
死に向き合ってください。

もしかしたらその人の死もあなたへの
ギフトなのかもしれません。



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