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読書感想文「三つ編み」



「三つ編み」レティシア・コロンバニ

これは、それぞれ違う国、違う立場で過酷に生きる3人の女性の物語。

スミタ、ジュリア、サラ。
彼女たちの3つの物語はこの本の中で交互に語られ、最後には間接的に触れ合っていく。「三つ編み」というタイトル通り、彼女たちの成し遂げたものが1つに編まれていく。 

スミタはインドのカースト制度の最下層であるダリット(不可触民)として夫、娘と暮らす。スカベンジャーを生業としている。
ジュリアはシチリアで祖父の代から続く家族経営の毛髪工場で働く。父の後に家業を継ぐ心づもりでいる。
サラは優秀な弁護士で、弁護士界の最高峰と呼ばれるポストに(女性として初めて)就けるだろうと誰もが確信するほどのキャリアを築いている。

それぞれの人生の一部分を覗き見るように読み進めると、これでもかという程の差別や不公正が理不尽に居座っていて、あらゆる立場や状況・状態が複雑に絡み、どれか1つ取り除いたところで解決するような生易しい社会ではないことがよくわかる。
例えばサラは、男性と同じキャリアを目指すために、3人の子どもを生後5日の赤ん坊のころからベビーシッターに預け、子どもたちと過ごす時間を多く犠牲にしてきた。母としての罪悪感にさいなまれながら。
ところが父親は違う。

「こんな感情とは無縁に見える男たちのあの驚くべき身軽さはどうだろう。憎らしいほど気楽に家を出ていく」(本文より)

そしてサラはこの無念な思いを1ミリも顔に出さずに働く。まるで「母」らしさを見せることが男社会での弱点であるかのように(そして、おそらく実際にそうなのだ)。
ジュリアもまた、旧態依然とした家族観や「男とは」「女とは」という価値観の中でもがく。経済的な危機に陥ると打開策の1つとして金持ちとの結婚話が出てくるように、家族のために犠牲になれと言われ、本人も他の選択肢は無いのではと葛藤する。

これらのどうしようもない差別の中でも、とりわけスミタの暮らしぶりは現実かと疑ってしまうほどで、別次元の出来事と思えてしまう(そうであって欲しいと願うほどの)状況が読者の心を擦り減らしていく。しかし、その世界は現在もある。
スカベンジャーとは一般的にはゴミの山を漁り、拾ったものを売ることで収入を得るというものだが、この本では村の各家庭から出る糞尿を素手で籠に集めて回るというものだった。すこし調べてみると「マニュアル・スカベンジャー」と言われているそうで、その95%以上が女性だそうだ。
愕然とする。
夫は上位階級家庭の畑でネズミを捕らえる仕事をし、報酬はそのネズミ。そしてスミタが各家庭から渡される少しの食料で家族3人を食いつないでいく。
スミタは実在しなくとも、スミタのような女性は現実に数十万人もいる。

しかし、このスミタの娘を想うが故の行動力がこの物語を牽引していると私は思う。
失敗したら死、というスミタの決意から結末までは一気に読むしかなかった。半分ずつ読もうと計画していたのに、一晩で読み切ってしまった。
それぞれの決意。見出していく希望。
その結末には確かに救われるが、同時に実在の苦しみに目を向けざるを得ない。
ゆっくり読んでも一日で読み切れるボリュームなので、ぜひ。


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