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はははの話/あのころ

2021年1月17日 0:17
 祖母が息を引き取った。
顔をじいっと見守った2、3分後のことだった。



 2018年、わたしは会社を辞めた。
新卒で入社して、やっと4年目になった年の5月のことだった。


6ヶ月続いている胃の痛みと、会社と、上司と、もう全てが嫌になり、耐えられなくなってしまった。もちろん転職先なんて決まっていなかったし、そもそも新しい職場で働くための力なんてなかった。


「金なし、彼なし、仕事なし!?

アラサー崖っぷち女の

ドタバタハートフルコメディー」


 なんて、映画の予告にありそうな文句が浮かんで、頭の中で誰かがナレーションしてみせる。想像できるということは、あるあるの状況なのかな。字面からすると、ドタバタとしかしていない。実際のところは、ハートフルも、コメディー要素もない。切実なドキュメンタリーじゃないかと考えていた。


 見た目は普通に見えていただろうけど、あのころは毎日をこなしていくだけでしんどかった。起きている限り感じる胃の痛みで、昼・夜に食べられるものは麺類とおかゆ、スープごはんだけになり、体重は3、4kg落ちた。今までこんなことはなかったから、どんどん減っていく体重を見ると、体に起きている異常が目に見えているようで恐ろしくなった。ある夜寝ようとしてズキズキと胃痛がしてきたときは、胃潰瘍なんじゃないかと一気に不安が押し寄せた。
わたしは初めて胃カメラを経験した。


 心も少しおかしくなっていて、毎日恋人に愚痴を聞いてもらっていた。怒りが収まらず、いつも同じようなことを怒涛に繰り返し続けていて、会社を辞めた同時期に恋人とも別れた。わたしから別れ話をしたような、でも振られたような終わり方だった。



 今となってはボーナスをもらってから辞めればよかったかな〜と悔いもするが、あのころはボーナスをもらわずに辞めてやると意地になっていたし、辞めると言った手前もらえる額は少なかっただろうし、一日でも早く辞めるのが最善策だったと言い聞かせている。



国破れて山河あり

 会社を辞めてから、ぽっと頭の中に浮かんだ。教科書に載っていたっけ。意味はよく覚えてないけど、わたしの場合は「我破れて故郷あり」ってところかと考える。戦に負けて、そそくさとふるさとへ帰ろうとする足軽みたい。全部イメージです。渇いた笑いがでる。なんとなく後味が悪かった。


わたしは自分の中で「祖母を介護している母の話相手になる」という名目をつくり、田舎の祖父母の家へ引っ越した。電車の窓から見えた祖父母の家も、駅に降り立って吸った空気も、家までの道のりで見える景色も変わっていなかった。
 故郷は懐かしい場所をそのままに、どんと構えていた。



 祖父が亡くなってから祖母と母で暮らしていたその家は、二人にしてはあまりにも広すぎた。正直、わたしは遊びに行くことはあれど、住むことなんて一生ないと思っていたから、本当に人生なんてどう転がるもんか分からないよ、とこれから世に放たれる子が近くにいたら教えてあげたい。



 引っ越してから約半年間、わたしは何もせずに過ごした。風呂と食事だけし、料理も洗濯も掃除も母の手伝いもしていなかった。気分転換にときどきスーパーにはついて行った。


朝はゆっくりと起きて寝間着を着替えもせず床に寝転がり、一人用のソファに両足をかけて、体をL字のようにして天井を見上げていた。力も湧かないし、胃の痛みはなくなっても、胃が痛いような気がしてならなかった。食べることに対して、体も心も身構えてしまう。ごはんを食べる楽しさはなかなか戻ってこなかったし、お風呂も毎日入れなかった。体は洗っていたはずだが、シャンプーは2日に1ぺんか3日に1ぺんだったから、髪の毛はべたべたして脂っぽくなった。シャンプーをした日の抜け毛は多くて、目が悪くても排水口が黒くなっているのが分かった。


今のわたしは右頭部の分け目がぱっくりしがちになり、地肌がみえてしまうという悩みから髪の毛を下ろせないでいる(いつも結んで誤魔化す)のだが、このときの行いのせいだと思っている。



 無職について考えたときは、ヒュッと不安になった。暗闇の中、自分の周りが塀で囲われているような気がした。社会と繋がっていない、取り残されている感覚はこれかと思った。
他には何を考え、どうしていたのか。祖母と母と何を話していたかなども覚えていない。
ぼんやり過ごした時間だった。


 体調は万全ではなかったが、そろそろ外に働きに行かねばなるまいと思えるくらいには回復したのだろう。近場で2ヶ月の短期バイトを始めた。そのあと続けて、違う職場で非正規として働くことになった。
わたしは祖母のベッドと平行に置いてある座椅子を特等席として、テレビを見たり漫画を読んだり、スマホゲームをしたりして過ごせるまでにはなれた。



 かくして、家と職場と、ときどきスーパーへ行くだけの生活は始まっていったのである。






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