見出し画像

介護と幸福な独り者老人【コラム#58】


■比較の余地がないので疑いようがない日本人のバイアス


日本社会では伝統的にも、政治的も同じなのが『下々に負担を強いる』という考え方。日本に限らずアジア、アフリカではよく見られる。中南米もそうかな。発展途上国や貧しい国ではそういうことが起こるし、独裁政権でも起こる。状況的にやむを得ない国もある。
東アジアは生産性の高い国が多いにも関わらず
「いつまででも下々に負担を強いれば良い」
というような前提が社会通念として維持されている。

そういうことに該当する分野は色々とあるけど、今回は介護。
親の介護は「子どもが負担するもの」という意識が日本人の中にある。当たり前だと思われているし、面倒を見ないとなると一抹の後ろめたい気持ちになる人も少なくない。これは下々が負担を負いお上が懐を温める図の延長線にある。徳川時代の「生かさず殺さず」は現代アレンジされて浸透していて、
だから老人が安心して暮らしやすくする責任は、実は国や行政にあると言うとたちまち理想論だとか思われる。でももしそうであるなら、「若い人は生産力を上げることや幸福に集中できるでしょ?」ということになる。が実際にはそんな意見が出るとたちまち鬼畜扱いされる。

ところが「行政システムがしっかりしている国」「一人当たりの生産性が高い国」「個々人が自分で自分に責任を負うことが当たり前の国」(つまり3つ全部備えている北欧やオランダのような国)ではこれが当たり前になっている。
親側も自分で自分をどうしたいか決める。国の体制がしっかりしているので自分で選ぶことができる。子供はサポートするか親の意見を尊重して自分ができることをする。一人当たりの負担が少なくなり、やるべきことややりたいことに集中できる。結果生産性が上がり国が潤う。
それらの国の高齢化率は日本ほどではないにしても高い。日本との違いは人口量だけであとはほぼ変わらない。


■幸福な独り者老人


先日介護系の事業をしている人と話をしていた。その中でその方が「老人も子供も中間の年齢の人もみんな集まって普通に接すればいい。老人だけを1箇所に集めて弱者扱いするだとか、監視管理するような介護がいいわけがない。年齢問わず接することができる健康な老人が増えるといい」という趣旨のことを話していた。その方は発言通り、そういう場所を次々と作っている人で言葉には説得力があった。

一方、そういう人がいるからこそそこはお任せして、俺はこんなことを言った。「親族がいなく、孤独で一人暮らしをしていて、施設には入りたくない老人で、毎日起きていい気分になり、1日が終わったら今日も幸せだったな〜という老人が増えてほしい」。
つまり自立していて、自分のことに責任を負い、幸せの享受をちゃんとできる精神が独立した老人が増えるといい、そういう趣旨のことを話した。

人と接触するばかりが幸せではないし(そういう人はそうするのがいい)、自分で自分の人生を決められる人がいるということが、高齢社会の希望であるとも思っている。希望がないから、自分でどうにもできないから介護が必要だ。これはどの国でも変わらない。そういうしくみは必要だし、必要なら上に書いた人が言ったような場所が増える方がいい。
一方で、そういうの実はいらないと考えた方が幸せにちゃんと向き合って、自分なりの幸せを自分で手にする意欲が湧いてくると思っていて、そしてそういう老人の数がものすごく増えたとしたら、それこそ希望のある社会なんじゃないかと思う。

で、そう考えていくには現在の常識にメスを入れる必要があり、それには個々人の独立した自分自身を見出す必要があると思ってる。
正直日本人にはかなりハードルが高いと思っている。文化的に、社会的に、伝統的に、制約的に、差別的に。
まぁ他の人は知らないけど、自分はそうしていこうと思うし、そういうことに価値を感じる人とは仲良くして老後に入っていきたいなとは思ってる。



✅プロフィール

✅応援資金寄付サービス




フォローやシェアをしていただけると嬉しいです。 よかったら下記ボタンからサポートもお願いします。 いただいたサポートは大切に松原靖樹の《心の栄養》に使わせていただきます!