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なぜ結婚しても幸せになれないのか?〜心理の盲点を突く4つの理由【コラム#49】

聞きたくない人が大勢いる話題だと思う。そういう話題の事実をはっきりさせるのは結構好き。

■その幸せは勘違いで、バイアスである理由


すごく簡単なモノの考え方。
まず、現代の日本で結婚を考えるとき、人の頭の中には大きく分けて3つの考え方がある。
まず「結婚はするものだ」という常識観。
次に「負の感情を避けるため」に誰かと一緒にいようとする心理。
3つ目が「結婚しないイコール不幸である」という思い込み。

「結婚はするものだ」という常識観

実際これは日本に限ったことじゃないけども、結婚という「制度」があるのは人間だけ。じゃあなんで制度があるのかというと(超長い話を端折って言えば)古来から為政者が国家運営をする上で必要だったから。個人の自由に任せると男女はさほど結びつかない→人口が増えない→生産力が落ち国力が弱まる。現代でどこまで当てはまるかは別として、習慣は残っているし「そういうものだ」という理解がある。
つまり個々人が心からしたいものではなく、社会上そうするものだし、そうしないということはないという刷り込みがベースにある。
(本当はこの話題だけでいくらでも書くことがあるけど今回は趣旨違いなのでこのくらいで)

「負の感情を避けるため」に誰かと一緒にいようとする心理

案外w誰も気がついていないけど、誰かと結婚する動機の多くのものは「好き」「愛し合っている」ではない。最も多いのが『寂しい気持ちを埋める』ためで、次に多いのが『周囲から悪く思われることを避けるため』だ。ネガティブ回避の動機が大半を占める。
だけど誰もそんなことは言わない。そう思ってしまうと何かがまずい。だから結婚を前向きに捉える。実際は自己中心的に感情の不都合を解消しようとする共依存によるものが圧倒的に多い。

結婚しないイコール不幸であるという思い込み

結婚そのものの良さではなく、結婚しない・できない、独身で居続けることはイコール「不幸だ」という思い込みがある。
そもそも社会性が「そういうのは不幸だ」という空気を生み出すし、その空気に乗る人が少なくないので、事実独身は肩身の狭い思いをすることがある。一昔前まで、大企業では結婚していないと出世できないという狂った常識すらあった。
だがむしろ、現代では独身の方が幸せ度合いが高く、結婚している人が幸せとは縁遠いという傾向が出てきている→20代30代が結婚を望まない理由になっている。


■盲点1 安心と幸福の履き違え


ここから結婚しても幸せにならない盲点を書いていく。全てバイアスや思い込みによるもの。

まず「安心と幸福の履き違え」について。
これは直接的に『結婚』や『夫婦』に関係しない。心理の盲点。

特に日本人によく見られる代表的なケース。日本人の多くは「安心安全」であることと「幸福」であることを混同している。だから家庭なり金銭が安定水準に至るとそれが幸せだと思ってしまう。だけどそれは『不幸ではなくなった』または『不幸の条件を回避できた』のであって、幸せではない。
家を建てる、保険が完璧、老後の心配に対して貯金がある、子供が健康で大学まで卒業した。こういうことを口にする日本人は多い。そこに価値すら感じている。

「ちゃんと食べてる?」というフレーズは『食べたら幸せ』と言っているのではなく、『食べられない不安定かつ不安な状態をちゃんと回避できている?』と言っている。幸福の話ではなく、安定・安心の話をしている。
ところがこうやって『心配』することが愛情だと思われているし、そのような愛情がある関係があることが幸せだと、誤った三段論法が蔓延している。

こういう人たちに「純粋に幸せが何か?」と聞くと、毎日の食事を食べられていることや、良い感情になった瞬間のできごとや、家族みんなが健康であることが幸せだと言う。
だがそれらはどこまで行っても「安心感」をベースにした不幸の回避の説明でしかなく、あるいは一時の気持ちの盛り上がりでしかなく幸せではない。
幸せや幸福が何かは個々人によって変わるが、安定や安心は誰にとっても幸せという「物事」ではない。それは安定であり、安心だ。

この誤認があるために、大した幸福を手にしていなくても多くの人が雛形通りの安定を手に入れて「幸せだ」と倒錯している。


■盲点2 結婚の難度の高さ 様々な物事の混在


結婚はほとんどの人がするものだし、社会的な安定は割と保証されているし、誰もが家庭を運営しているのだから上手くやることはさほど難しいことではない、という思い込みがある。

実際は違う。
例えばあながた女性だとしよう。家庭内でやることは大きな括りで言っても「家事」「子育て」「夫婦関係」「性関係」「対社会関係」「親戚関係」「家計簿など経済状況の管理」の7つがある。「家事」だけをピックアップしよう。「料理」「掃除」「洗濯」「アイロン」がある。「料理」だけをピックしよう。「朝食」「昼食またはお弁当」「晩ごはん」「おやつ」「夜食」「作り置き」があり、方法論には「焼く」「煮る」「揚げる」「炙る」「煮込む」「漬ける」などの様々なやり方がある。

これがもし仕事だとどうだろう。
経営者をやり、数字と人事をやり、マーケティング部門でリサーチ結果を分析して戦略を立て、予算見積もりを出し、総務として財務状況から予算を組めるか計算しながら、営業として販売をしつつ、サービスを提供してお客とコミュニケーションを取り、次に打つ広告案を検討しながらその予算をまた総務として調整する・・・・などということが可能だろうか?
もちろん不可能だ。だが家庭ではその不可能なことを可能にするスーパーマルチプレーヤーが求められている。社会的に。

この状況で幸せになれる人はいない。

夫婦関係でも同じことが言える。
男女の関係としてお互いに求めていること。性の関係として求めていること。価値観や性格の共通点で共に進めること。相手とどのような関わりをする自分でありたいのかを実現すること。
一人の人間に全てを投入しないといけず、逆に投入されて応えなければならない。土台無理な話で、不倫がなくならないのも当然だ。

つまり結婚にしろ夫婦関係にしろ、てんこ盛り詰めに詰めた物事なのだ。
最初からうまくできるわけがない。だから妥協が大事だとか、求めすぎないというようなマイナスの調整をしているのが良い夫婦だ、などと言われている。
良い調整の夫婦であるかもしれないが、それは同時に「幸福を制限して上手に運営している」と告白している。


■盲点3 不幸でもないが落とし所最初から求めてない


実のところ、上に書いたようなことを「全然考えない」夫婦・結婚生活ほど問題なく進む。頭が悪いとか、性格的に気にならないとか、そういう人の方が結婚で苦労することが少ない。
安定や安心があるっていいね〜。自分たちのできる範囲で生活をして、あとは楽しめばいいね〜。そういう人、夫婦の方がそうでないケースに比べて「相対的に」幸福度が高かったりする。

だけどこれは「ただ何もしない」「ただ気にならない」「ただ問題が少ない」というだけで、不幸ではない上に何も(幸福)求めていないケースでしかない。
「求めず気にしないのが一番だ」と言っている。
もし本当にそうなら、何事につけて何も求めず、あまり気にしないようにすれば幸福だ!ということになる。そういう性格の人はある種の幸福を得ているかもしれないが、この言葉に疑問または否定を持つ人は少なくない。

安心や安定を得られれば幸せだと錯覚する時と同じことが起こっている。
どちらも「マイナスが少ない(ない)ことが良いことだ」と言っている。
もちろんそういうこともある。だけど、なら、別に草に生まれればよく、人間である必要がない。
多くの夫婦が無駄で不毛な争いやすれ違いを経験して「何もないことが一番」という草に行き着く。それは幸せではなく、人生を賭けた壮大な諦めでしかない。


■盲点4 仕事は重要だ


最後4つ目は結婚や夫婦関係に直接関係しない。しかし大きな影響を与えている。
一般的に「収入が低いことと不幸は連動している」と言われる。貧すれば鈍すは的を得ている。しかし逆にお金がある一定の水準を超えると、それ以上の幸福には影響しないこともわかっている。

現代では共働きは当たり前のことになっていて、かつ両者とも「自分の結婚相手よりも会社の制約により縛られている」状態にある。
簡単に言えば、意識なり自分の扱いは結婚相手よりも仕事に向いている。お互いが働いているので、1週間の大半の時間は相手のことを考えたり、共に歩むことではなく、仕事のことを考え仕事と共に歩むことに費やされる。つまり実質的に「仕事と結婚」している。

実際の結婚相手はサブの相手になっていて、だから夜や休日にコミュニケーションを限定的に交わす。ところが例えば「疲れているから休日は寝たい」ということは珍しくなく「忙しかったからゆっくりしな」ということが『当たり前』に起こっている。
これがおかしいと思う人はほとんどいない。
こう考えてみてほしい。夜と週末に夫婦関係にとても一生懸命取り組んだので、ちょっと仕事ではゆっくりさせてほしいという逆転現象が起こったとき、それは許されない。何馬鹿なことを言っているんだとなる。
ところが控えめに言っても、仕事は生活をするためにしていることで、夫婦とは人生を共にすることだ。どちらも換えが効くが、基本として仕事を変えることはあっても、夫婦の相手を変えることはない。より重要なことはどちらか最初からはっきりしている。
ところが重要な方は時間が少なく、より重要でない方の割をくってもOKになっている。逆に換えの効く方は時間を大きく使い、その結果重要なことの時間が奪われてもそれはしょうがないことになっている。

根本的に何かおかしいと思わないか?

ともあれ、他に大事なものがあるのに2番手の幸せに十分に取り組めるわけはない。


というような思い込みやバイアスの世界で人は結婚をしている。
ひとつひとつのケースは間近で見てもよくわからないが、全体として見ると希望も魅力もない分野だとわかる。だから未婚率が高まっているのは、何も社会的によく言われている理由が原因ではなく、感覚的に「そうなりたくない」と思えるからだ。
そして逆に独身であることの幸せのあり方も可視化されたり、社会からさほど責められなくなってきていることが後押ししている。

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