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パラサイト 半地下の家族

ポン・ジュノ監督です。『吠える犬は噛まない』、『殺人の追憶』、『グエムル -漢江の怪物-』、『母なる証明』、韓国、アメリカ、フランス合作の『スノーピアサー』、3本のオムニバスのうちの1本を担当した『TOKYO!』と、劇場公開されたものは全部観てるんですが(Netflix作品の『オクジャ』だけ観れてません。)、毎回、ジャンルも主人公の性別や年齢も全く違うのに、とにかく全部面白い。そして、超エンターテイメント。つまり、多ジャンルに渡る作品を作る計算高さも、それを誰もが楽しめるエンターテイメントにする職人的技術もありながら、観たら一発でポン・ジュノと分かる作家性もあるという。キューブリック、スピルバーグ、黒澤明に並ぶ天才だと思うんですが。そのポン・ジュノ監督の最新作で、カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞し、更に韓国資本の映画でありながらアメリカの映画賞であるアカデミー賞に6部門もノミネートされているという超話題作『パラサイト 半地下の家族』の感想です。

(えー、監督自ら出来ればネタバレ無しで観て欲しいと言ってるということで、もちろんネタバレはしないつもりですが、1ミリも情報入れたくないという人はこのまま劇場へどうぞ。そして、その後またお会いしましょう。)

はい、ということでめちゃくちゃ盛り上がってますが、いや、今に始まったことじゃなくてポン・ジュノは最初から面白いんです。で、今回のも正しくポン・ジュノ印と言える作品だったんですが。ではなぜ、今回、こんなにも注目されてるのかというと、もちろん、カンヌパルムドールというのは大きいとは思います。ただ、カンヌじゃなくても、これまでの作品で様々な映画賞にノミネートされて賞も沢山獲ってるんですよね(「あれ、『母なる証明』でカンヌ獲ってなかったっけ?」ってくらいのもんなんですが。)。じゃあ、何がそんなにっていうと、やはり、今回の作品のテーマじゃないかと思うんです。カンヌのパルムドール受賞作品、2016年はケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』で、2018年は是枝裕和監督の『万引き家族』。で、去年がこの『パラサイト 半地下の家族』なんですけど、この3本全部貧富の差を描いた"格差"の話なんですね。つまり、今、世界の映画界でトレンドになっているテーマが"格差社会"ってわけで(要するに世界規模で問題視されている事柄ってことです。)。カンヌ受賞作品以外でも、例えば『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督の新作『Us アス』も、前回感想描いたケン・ローチ監督の新作『家族を想うとき』も、『ジョーカー』もそうでしたし、あと、観れてませんが新海誠監督の『天気の子』もそういう映画だったそうです。で、まぁ、いろいろ出揃った感がある中で、いよいよポン・ジュノ登場というか、あのポン・ジュノが"格差社会"をどう描くのかっていうのが注目されてる要因だと思うんですね(まぁ、どう考えても、『わたしは、ダニエル・ブレイク』や、『ジョーカー』や、『万引き家族』の様にはならないでしょうから。)。

でですね、とは言えですね、ポン・ジュノ監督が"格差"をテーマにして映画を撮るのって初めてじゃないんですよね。(『オクジャ』を抜かせば)前作の『スノーピアサー』がそういう話で。『スノーピアサー』の舞台は近未来の地球なんですけど、温暖化を食い止める為に散布された化学薬品によって世界中が氷河期と化してしまうという話で。わずかに残った人類は永久機関を積んだ走り続ける列車に乗って暮らしているという。で、その列車の前方車両には富裕層、後方には貧困層と住み分けられていて、最後尾に乗る最底辺の人たちが氾濫を起こして『死亡遊戯』よろしく一両づつ前に攻めて行くってストーリーなんです。つまり、"格差社会"の構図を列車というメタファーを使って描いた作品で、寓話としてとても面白かったんですが、原作モノでもありますし、近未来SFということで、今現在、世界の中で起こっていることを直接的に描いたというものではなかったんですね。ただ、例えば『母なる証明』なんかでも、主人公のトジュンが当て逃げされるのが政治家の車で、富裕層と貧困層の関係を下からの視点で描くみたいなことは以前からしてたわけなんです。だから、そのポン・ジュノ監督が、今現在いよいよ世界的な問題となってきた"格差"という現実をどう映画にするのか。この重いテーマをどうエンターテイメントしてくれるのかっていうところは、やはり、そうとう気になるわけです。

で、観たんですけど、いやー、あのですね、その重いテーマをポン・ジュノ的エンターテイメントにするなんてところはもうデフォルトで、通常装備みたいな感じで軽くクリアしてるんですけど、その上でもう一回刺して来ると言いますか。現実と虚構を行ったり来たりする様なクラクラする感じというか不穏さがあってですね。で、そういう不穏さを出しながらも同時になぜか笑ってしまう様なゆるい空気っていうのも存在していて。あの、これ、ポン・ジュノ作品全般で思うことなんですけど、とにかくこの監督、観客を油断させるのが上手いと思うんですよ。ポン・ジュノ作品に出て来る登場人物って基本的に"いい人"なんですね。いや、"いい人"というか、"いい人"っていうのが人間を描く時の基準で、その"いい人"が間違ったことやったり悪いこと考えたりするって描き方なんです。例えば、『母なる証明』の母親は脳障害を持つ息子のことを愛しているがゆえに警察も買収しようとするんです。『吠える犬は噛まない』に出て来る警備員のおっさんは陽気で人当たりが良いんですけど捕まえてきた飼い犬は鍋にして食べちゃうんです。『スノーピアサー』で権力者側として登場するメイソンは永久機関を神として信じていて、それを守りたいからこそ非権力者に対して徹底的に無慈悲なんです。間違ってはいるんですけど完全なる悪人ではないというか、どこか憎めないんですよね(それが観ていて伝わって来るから油断してしまうと思うんです。で、油断してるとふいに刺されるという。)。つまり、善も悪も両方持っているのが人間で、その時々のシチュエーションと人との関わり方によって善にも悪にもなるって描き方なんです。ポン・ジュノ映画の登場人物は基本全員がこれなんです(だから、唯一完全なる悪として描かれる『殺人の追憶』の殺人犯は映画内には登場しないんですよね。)。で、この不穏さとゆるさを併せ持った人物造形というのがポン・ジュノ作品の不穏なのに笑えるっていう空気を作ってると思うんですけど(そして、実際の世界もそうだよなっていうリアリティも。)、今回の『パラサイト』は正しくこの"善にも悪にもなる"( ="善でも悪でもない")っていうキャラクター設定が作品世界全体を牽引してると思うんですよ。

つまり、誰も悪くないんです。誰も悪くないのにミステリーなんです。そこがこの映画の一番重要なところだと思っていて。で、この"誰も悪くないのに何でこんなことになっちゃうの?"っていうのは、『家族を想うとき』を観た時も、『万引き家族』を観た時も、『Us アス』を観た時も思ったことなんです。だから、そこの謎を考えることが明快なオチのないこれらの作品にエンドマークを打つことになるんだろうし、ちょっとした希望を示してくれたかの様に見えたこの映画のラストが、じつはかなり絶望的でそうとう皮肉なメッセージだったってことにも気づくと思うんです(このラスト含めて、モヤモヤしてるところを考えさせるっていう行為をミステリーとしてエンターテイメントにしてるの、さすがポン・ジュノだなと思いました。)。

はい、ということで全くストーリーに触れずに書いてみましたが、まずは、ほんとに出て来るキャラクターがみんな魅力的で(ソン・ガンホが父親を演じる貧困一家の面々は当然ですが、例えば、富裕層家族の小学生の息子のダソンでさえも一筋縄ではいかない魅力がありました。ほんとに出て来る人全員が一面的なキャラクターとしては描かれてないんですよね。この緻密さがポン・ジュノだなと。)、その人たちの攻防を見てるだけでもそうとう面白かったですし、現実世界の中におかしなもの見つけてくるポン・ジュノ監督の真骨頂というか。今、そうとう世界は狂ってるんだなということを改めて実感しました。あ、あと、上流視点と下流視点という意味では『Us アス』と、リアリティとフィクションという意味では『家族を想うとき』と対になってると思うので、この辺ついでに観ておくとより多面的になって面白いんではないかなと思いました。まぁ、相変わらず笑って観てたら知らないうちに刺されてたみたいなヤバくてポップな映画でした(そして、とても豊かな映画でもあるなと思います。ある意味、豊かさとは何かって映画なんじゃないかと思います。)。

http://www.parasite-mv.jp/

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