見出し画像

バトル・オブ・ザ・セクシーズ

1973年に女子テニス世界チャンピオンだったビリー・ジーン・キング(ビリー・ジーンというとマイケル・ジャクソンのあの曲が思い浮かびますけど、関係ないそうです。ただ、当時はマイケルの歌うビリー・ジーンはこの人なんじゃないかと思われていたらしく。つまり、そのくらい有名なテニス・プレイヤーってことですね。)と、こちらは、かつて男子の世界チャンピオンだったボビー・リッグスによる性差を超えた試合を、そこに行き着くまでに何があったのかというのを中心に描いた社会派スポーツドラマ「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」の感想です。

ということで、今、社会派スポーツドラマと書きましたが、大枠としてはそうなんですけど、なんていうか、いろんな見方(というか感じ方)が出来る映画で、タイトルのインパクトとかポスター(スポーツ選手なのに2人共メガネで、そのふたりが笑顔でガッチリ握手していて、背景の黄色と、そこに黒とグリーンでタイトル文字が入っているなど、ちょっと軽薄なポップさがあるんです。)の感じから、もっと軽い感じのコメディなのかなと思っていたんですね。確かにその感じもあるんです(ボビー・リッグスの人としての軽薄さなんかはそういう感じですよね。)けど、それは、時代が象徴していた軽薄さというか、70年代の持つ表面的なポップさで、じつは、この映画はその時代のポップさの裏側にある(闇というより真実の)部分を、その表面的な明るさとないまぜにしたまま描いた様な映画なんです。だから、観てる間は確かにスポーツ物(試合のシーンとか凄くリアルに、ただのテニスの試合としても楽しめるんです。)としても、そのスポーツ業界の裏側を見る社会派ドラマとしても観れるんですけど、観終わった後の印象としては、ビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスという好対照のふたりを中心に描いた、その周りの人々との関係性のヒューマンドラマっていう方が強く残るんですね。で、そういう人々の内面をなるべく誠実に偏りなく描こうとすると、人間ていうのがいかに複雑かってことになってくるんです。つまり、「事実を事実として描くと人間の複雑さがどんどん浮き彫りになって来る。」っていう、そういう面倒なことをですね、やってる映画なんですよ。で、それを、今までの劇映画のフォーマット(例えば、70年代のファッションとか髪型とか映像のフィルムの荒い感じとか、そういう映画的演出の部分ですね。そういうところも凄く丁寧にやっているので、ほんとに70年代に作られた映画を観てる様な気分になるんですけけど。)に嵌めて観せてくるので、(虐げられてた人々が一念発起して勝利を掴むとか)そういう映画なのかと思って観てたら「アレ、違うぞ。」ってなるわけなんです。つまり、表面的に観ると、男性優位主義者の男性と女性の権利を主張する女性の、その言い分を掛けたテニスの試合というのがあって、その勝敗がどうなるのかっていうのがメインの凄くシンプルな映画なんですね。ただ、じゃあ、観終わった時のこのモヤモヤは?このホロ苦さは?なんでこんなにスッキリしないの?っていう、その正体は何なんだ?って気持ちになるんです。(ていうか、勧善懲悪のドラマだったら、絶対モヤモヤしない様な結末なんですよ。今までの映画のパターンでいけば。)だから、それは何なのかっていうのを観客全員が考えざるをえなくなるわけで。じつは、そここそがこの映画の一番の面白さであり主題だったんだってことになっていくわけなんですよね。

でですね、僕はこの映画を観ながら全然違う二つの映画を思い出していたんですけど。ひとつは、70年代の女子プロレスの選手ふたりとそのマネージャーとのサクセス・ストーリーをスポ根ロードムービー的に描いたスポーツ映画の傑作「カリフォルニア・ドールズ」で、もうひとつは今年の話題作のひとつで、人間の多面性を被害者の母親とその事件を追う警察署長の(文字通り)戦いを通して、現実からハミ出す様な引っかかりまで含めて完璧な脚本だった「スリー・ビルボード」なんですね。つまり、「カリフォルニア・ドールズ」みたいな話を「スリー・ビルボード」的作劇法で描いたみたいな映画だと思うんですけど。あの、「カリフォルニア・ドールズ」にも見終わったあとのホロ苦さってあるじゃないですか。スッキリしない感じ。70年代の女子プロ全盛期の話で、地方を巡業しながら成り上がって行く話なんですけど。最終的に目指していた試合に勝って「わー、やったー!」って感じで終わるんですけど、ただ、なにか、そこはかとない切なさというかモヤモヤが残るんです。で、(そここそがこの映画の凄く好きなとこではあるんですが、)このモヤモヤの正体はなんだろうというのはよく分からなかったんですね。でも、この「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を観てたら「カリフォルニア・ドールズ」に漂ってた切なさはこれだったのかというか。大雑把に言えば70年代っていう時代が持ってたやるせなさだったんじゃないかと思ったんですよね。「カリフォルニア・ドールズ」も女子プロレスっていう女性のスポーツ選手の話なんですけど、プロレスって(男性がやる場合もそうですが、)テニスなんかと比べても見世物要素が強いじゃないですか。(しかも、更に女性がやるってなると余計奇異な目で見られる競技ですよね。)そういうものに対する世間の目というか。映画ではそこのところの視点はいっさい描かれないんですけど、(それにも関わらず、いや、だからこそなのか)世間から隔離されてる感みたいなものを空気として感じるんですね。映画から。(興行主とか、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」にも出て来ますけど、エージェントみたいな人の目とかね。)マネージャー役のピーター・フォークが(自身の中にもそういう差別意識があることを自覚しながらも)彼女たちを何から守ろうとしていたのかと言うか、そういう映画のストーリーとしては直接描かれていない部分の時代の空気みたいなものが、最終的にあの映画をやるせないものにしてたんじゃないかなと思うんですよね。

で、そういうやるせなさがこの「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」にももの凄くあって。というか、もう、そこメインで描いてる様な映画で。「カリフォルニア・ドールズ」も、(もちろん主演の女性ふたりももの凄く良かったんですが、やはり、)自分も彼女たちを見世物にしてるというのをどこかで感じながらふたりを導いて行くピーター・フォークっていうのがめちゃくちゃ良かったじゃないですか。個人的には、それと同じ様な立ち位置でスティーブ・カレル演じるボビー・リッグスという人が存在してるんじゃないかって思ったんですよね。いや、嫌な役なんですよ。ビリー・ジーン・キングたちが必死に成し遂げようとしてる女性の地位向上というのを単なる見世物にしようとする様な人なので。ただですね、世間の目をその問題に向けさせるって意味では凄く手っ取り早いやり方でもあるんですよね。ボビー・リッグスが提案してることって。要するにビリー・ジーン・キングが勝てば一気に彼女たちが主張してることに説得力が出るわけなんで。で、絶対勝てると思って勝負を挑んでるとは思えないんですよね。ボビーが。つまり、そういう風に見える様に描いてるんてすね。映画が、ボビー・リッグスって人を。(だからこそのラストのロッカールームでのあの姿だと思うんです。)なんて言うか、あの時代の空気の中でああするしか自分を表現することが出来なかった人なんですね。で、それはビリー・ジーン・キングも一緒なんじゃないかと思うんですよ。このふたりに敵対しながらも何か妙な連帯感を感じるのって、ふたり共がこの時代に生きにくい複雑さを持っているからなんだろうなと。で、人間というのは、ちょっとずつ違う複雑さをみんなが持っていて、その中でどうやって分かり合うかっていうのが重要なんだって言ってるんだと思ったんですよね。

というわけで、こういった人間の多面性を描くのに、スポーツっていう白黒ハッキリつく事柄を使ってるっていうのが、また面白いんですけど。その後、勝敗を別けた者同士がどうなったかっていうのも含めて、なんて言うか、人間てダメだけどとても愛おしいねという映画でした。

http://www.foxmovies-jp.com/battleofthesexes/

サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。