形を持っていることに幸せを感じるミー
先のつぶやきの続編です。
「しあわせ」とは気持ちの問題?
「幸せ」というのは気持ちの問題なのですが、なぜそのように感じるかは、何らかの体験があるからなんだと思います。
その体験に、形があるかないか
どちらを自身が感じやすいか
という違いによって、人のしあわせ感は異なってくるのではないでしょうか?
自分の場合
僕は高度成長期に生まれて青年時代を過ごしたせいもあるのか「形」があることで幸せを感じやすいですね。
現在
活かさせる仕事に就いている
ガジェットを持っている
音楽アルバムを聴いている
好きなファッションができる
発展する街角にいるとハイな気分になる
これらは今の自分の幸せ感。
過去
かつてもう少しお金持ちで生活感がなかった頃は、
2泊3日の志賀高原スキー
北海道ツーリング
友達とつるんで(車・バイク)で走る
好きなクルマで音楽を聴いて高速を流す
休日の仲間とのレジャー
タカキューで揃えたジャケットとボトムでディスコに行く
バブル期の低ランクミーハーの典型ですね。
心より形
昔は、心の在り方とか、人の温かさとか、愛とか、そういうものにはあまり興味がなかったように思います。
幸せはすべて、形で感じられるものを体験したり身にまとっていることから得てきたと思います。
その本質的なところは、たぶん今も変わっていません。
限られた家族と暮らしているという幸せも、その「存在」自体に幸せを感じているのかもしれません。
すべてを失ったときに幸せを感じられるか
ノーです。
そこでイエスと言える人を尊敬します。
ただ、その先に希望があれば、生きていけるでしょう。
半年間、情報を遮断されて病院で寝ていた頃も、退院できそうになって初めて希望が芽生えました。
何らかの「形」をイメージできれば、自分でも生きていけると思います。
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