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常識にとらわれない働き方

自分のこれまでの働き方って、わりと常識にとらわれてなかったなあと思います。社会人生活の前半は順風満帆で悩みのないライフスタイルでしたが、後半からはガラッと変わってマイペース、生きてる感のある働き方になりました。


常識にとらわれない働き方のメリット

  • ほぼイメージしたような仕事になる

  • 仕事が楽しい

常識にとらわれない働き方のデメリット

  • リスクがある

  • それなりに制約がある

常識というのは、多くの人が「どうするのがよいか」を考えた結果の最適解だと思うので、常識に沿って生きるのは安心安全なのだと思います。

どうしても常識と違うことをすると、

  • 誰も面倒を見てくれない

  • 誰も仲間だと思ってくれない

  • 下手すると「非常識」「馬鹿」呼ばわりされる

という仕打ちがあるため、常識にとらわれない生き方、働き方をするのはおそらく勇気の要ることなのでしょうね。

【自分の】常識にとらわれない働き方の履歴

べつに大したことはありませんし、その働き方をして成功したわけでもありません。世の中にはもっともっと、常識にとらわれない働き方をして成功している人が沢山いるでしょう。

僕は僕なりに、自然体で生きてきたつもりのため、凡人のわりには常識にとらわれていないのではないかと思っています。
振り返っての印象は「楽しかった」「自由だった」「満足した」というものです。そしてこれからも楽しく働いていきたいと思っています。

1. 会社の中枢から抜ける

せっかくいいメーカーに勤め、本社の社長に近いセクションでやりがいのある(?)仕事を与えられて、失敗することもなく無難に働いていたにも関わらず、突然、抜けました。自己都合退職。

直属の上司は最後までガン無視。
最後の挨拶回りで「〇〇さんにそんな仕事は無理」みたいに言う人もいて、多くの人が退社に否定的。唯一、総務部長だけが「やはりこれからはソフトの時代だよね〜」って優しく背中を押してくれました。

2. インテリアスクールに通う

1年間、働かずに(働きたいフリをして)インテリアコーディネーター(IC)の勉強に没頭しました。
本来は「空間デザイナー」のようなイメージの仕事をしたいと思っていたのですが、身近な選択肢としてICしかなかったから選択したのです。

この1 年間にあらゆる情報(ビジュアル含めて)をインプットし、さまざまな業界人に出会いました。
今でもその一部の情報は残っていますし、人とのつながりも残っています。

3. 建築デザイン事務所でパートタイマー

IC資格を取ってもすぐに仕事がなかった不況の時期。
もちろん資格だけで仕事に就けるわけでもありませんが。
建築・インテリア系の仕事を探しながら、まずはホームセンターのインテリア担当に。

そして建築事務所を見つけました。
「建築デザイン事務所」と書いたのは、外国人がやっていてデザインが売りのアトリエ系事務所だったからです。一般的な一級建築士事務所と同じです。

なんの実務経験も建築学歴もない自分が面接のために用意した情報は

  • 3Dインテリアパースのプレゼン資料

  • 機械設計をやっていたという経歴

  • インテリアコーディネーター資格

  • 事務所がやっていたネットショップにも対応可能なこと

上記情報だけでは、普通の一級建築事務所ではまず働けないでしょう。
しかし、その事務所で面接を受けたときに、

  • 所長は3Dパースを評価してくれた

  • 相性的に互いにビビッとくるものがあった

という非常にイレギュラーな理由で、その日に採用になりました。正社員採用です。
面接の時の感動的な気持ちの高ぶりは、今でもしっかりと覚えています。

思うに、外国人の事務所で、かつ所長が目的志向の人だからそういう就職が可能だったのだろうと認識しています。ラッキーでした。

4. 建築デザイン事務所での仕事内容

小さなアトリエ事務所だったので、いろいろな種類の仕事に従事していました。基本的にすべて初めての仕事でしたが、教えてもらいながらなんとかこなせました。

  • Vectorworksで図面を書く

  • 模型を作る

  • 施主向けのプレゼンを作成する

  • プレゼンの文章を考える(プランニングのサポート)

  • 新規の取引先開拓の情報収集とアポ取り

  • 建材ネットショップの担当(他の人と分担)・システム導入

  • Webサイト担当

などです。
それでもさほどガチガチに仕事していたわけではなく、朝は10時出社で夕方6時に退社、昼は所長などと近くの大衆食堂(笑)に行くか、自分で買ってきてそれぞれ事務所で食べるという日常でした。

慣れてくると色々と、自分も所長のやり方に口を出すようになり、しばしば険悪になったりしていました。いま思うともっと大人の振る舞いをすればよかったなと思います。
最終的には給与待遇(ベースアップ)の面で折り合いがつかずに辞めることになったのですが、良い体験をさせてもらったと感謝しています。

5. Web制作を自営で始める

普通は、Web制作に従事するには正攻法として、制作会社に入ると思います。そこでコーダーなりデザイナーなりを経験すると思います。
独立したとしても、いわゆるフリーランスで、制作会社から仕事をもらって成果物を納品するという働き方になることが多いと思います。

自分の場合、いきなりWeb制作事務所を始めたわけです。
いきなり知り合いのお店のWebサイトを作らせてもらいました。

そこまではよかったのですが、その次の仕事に困るのですね。
ハガキでDMを店舗に配ったりしましたが、成果があるはずもなく・・
唯一、あの頃よくあったWeb制作ポータルサイト(さぶみっとのような)に登録したものを目に留めてもらって、近所のお医者さんなどから制作依頼がたまに来るようになった程度でした。

ひたすら自分で制作物を作って見せるとか、情報収集するなどしますが、孤独な毎日でやや消耗していました。
ちょうどその頃、メタバースの走り「セカンドライフ」が流行っていて、異次元空間に逃避して日々を過ごしていました。

6. 3Dパースの仕事も始める

売上を確保するため、3Dインテリアパースを書く仕事も始めました。
インテリア空間(内装)のプレゼンに使う3Dのイメージです。

需要が少ないため、これも集客に困りましたが、そういうことを個人で商売にしている人が少なかったため、Webサイトを立ち上げていると大手企業から問い合わせがあったりしたのです。
それで住宅設備の外資系大手や、国内の住宅メーカーの販社などから時折、発注をもらいました。

東京の一級建築士事務所から発注を受けて、エンドクライアントのゼネコン・大手不動産系のビルの新築に関わる3Dインテリアパースも依頼されたことがありますが、それはあまりに理不尽な仕事で、9割がた納品できていたのに最終的には支払いもなく、お断りしたという苦い経験もあります。

7. Web制作会社との付き合いができる

そのように毎日奮闘しているうちに、ある日突然、大阪の制作会社から制作の打診があり、ヘアサロンのページのコーディングをしてくれないかと。

非常に凝ったデザインのサイトで、コンテンツも多い案件でした。
とても初歩的なコーディング技術しかなかった自分にとっては、かなりハードルが高いと感じ、一旦はお断りしたのですが、1ページだけでもやってみないか?という提案があり、やらせてもらうことにしたのです。

実際、非常に大変だったので、ネットで情報収集しながらコーディングを進め、なんとか納品まで行ったという次第です。

その案件を評価してもらえて、その後の継続受注につながりました。
一時期は専属コーダーのようになって、ひたすらコーディングをする毎日でした。

8. システム開発を始めて・・挫折

やがてコーディングは、制作会社が内製を始めたり、外部のコーダーに依頼するようになって、自分の仕事は減ってきました。
その代わり、WordPressのサイト構築などが依頼されるようになりました。

コーダーの仕事よりサイト構築の方が単価が高いため、それは歓迎できる方向性でした。納期を目指してひたすら書くという作業がなくなり、エンジニアライクな仕事になっていきました。

その延長で、システム開発も始めました。
以前の建築事務所時代もECのシステムを自分で作ったりしていたため、特別苦労することもなく対応できていました。
しかし、テクノロジーが高度・複雑になり、セキュリティの要求も増えてくるという状況がありました。

自分のようにシステム開発を組織できちんと学んだ経験がない場合、まずチームでの仕事ができません。GitHubでのバージョン管理なども、学習しても身につかず、対応できずにいました。
他人のコードを読むスキルもなく、さらには自分が書いた複雑なコードを後から自分でメンテできないような状況に陥っていました。

システムトラブルで取引先にも迷惑をかけることになり、他の開発者さんにバトンタッチするようなこともありました。

そうこうしているうちに過労がたまり、心身に異常が生じて、休業 → 廃業せざるを得なくなりました。

9. Webライターとして復活

何年かのブランクの後、一昨年に僕はWebライターになっています。
きっかけはライティングのディレクション会社(Web制作会社)の外部ライターの求人に応募したことです。
最初は時給の内勤で働くつもりで応募しましたが、たまたま応募手段を間違えて、業務委託枠の方で応募してしまっていました。
運よく採用になり、継続的によい案件をいただけるようになったため、現在もベースの仕事として日々、ライティングに勤しんでいます。

ライターになるにあたって、以前のようなスタンドアローンな個人事業の働き方はやめようと思いました。組織と継続的に関わるフリーランス的なニュアンスで仕事をすることが、僕らのような個人には向いている働き方だと感じています。

つまり、直接多数のクライアントを持って単発を仕事を請け負うのではなく、1〜3社ぐらいと継続的にお付き合いをして仕事をさせていただくというスタイルがよいと思い、現在もその方針で仕事を進めています。

まとめ

「レールから外れる」という言葉がありますが、僕のクリエイティブ活動はまさにレールから外れたところから始まっています。

外れたことで客観的に誰が見ても成功したといえるような状態になっていれば、もっと堂々と本でも書いて(笑)ビジネスに繋げたいと思いますが、実際は上記のように「ぼちぼち」の進み具合となっています。

一時期は気持ち的に挫折してしまい、最悪の状態にまで自分を落としてしまいました。しかし神様がどこからか光を照らしてくれているような気がするため、前を向いて歩き、少しずつ上を向いて歩けるようになってきています。

常識にとらわれない働き方は日常的にリスクがありますが、自分が思うままに、自由な発想で仕事ができる点が最大のメリットだと思っています。
仕事をするなかで感じたこと、仕事や関わる人々から得られた知見、体験を大切にして、これまでよりも働くことを大切に考えていきたいと思っています。

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