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自分らしさ?

5月1日から島にあるゲストハウス兼カフェでバイトを始めた。柑橘バイトも今はないし、家でごろごろスマホをいじったりしてぐだぐだひましてるより断然良いだろうと思ってやることにした。良かったのか悪かったのか面接に受かってしまい、今は試用期間中だ。

仕事内容はゲストハウスのハウスキーピング。仕事自体は悪くはないし、職場環境はとっても良いけれど、思った以上に力の要る仕事だったり、狭いところで作業しなくてはいけなかったりしてちょっと自分のキャパをオーバーしている気がする。なので試用期間が終わったら一旦辞めるつもりでいる。

自分は環境問題への関心から自給自足にも興味を持った。それに加えて40代で就職経験の無い人間に仕事の口はほとんど皆無だろうと思い、自給自足にシフトしようと思ったのだ。だけどここにきて何か、こういう生活は自分に合ってないんじゃないか、自然環境が危機だから自分も自然に沿った有機的な暮らしをしようという義務感だけでやっている気がしてきた。その証拠にバイトがない日も自給自足への取り組みはまったく進んでいない。

15歳以前の自分に、初心を取り戻して生きていきたいと願い、ここに来たけれど今はちょっと挫けそうになっている。自分は性根が善人でも素朴でもないし、粗暴で冷徹な人間だ。残念ながらもう子供の頃の様な素朴さはもう戻ってはこないのだ。今はそんな気持ちでいる。バイトで疲れてしまって気持ちも落ちているには違いない。元々浮き沈みが激しいので高揚してたかと思えば何日か後には落ちていたりする。

私に対する母親の愛情表現は強いて言えばお金だった。親は自分の親、つまり私からすると祖母に愛されていないと感じていたため、自分は愛情欠乏症だとよく言っていた。なのでだろう、母親はあまり愛情を表現するのが得意ではない。愛するという感情以前に愛されたいという気持ちが先行して生きている人に思える。祖母との同居が始まってから母は親に愛されたいという気持ちでいっぱいになってしまって、子供である自分に関心が向けられることがめっきり減った。それで私は体調を崩した。私は親からの愛情を感じられなくなってしまい、精神的に荒れてしまった。

しかし20代も半ばになると親も親で大変だったのだろうと相手の立場で考えられる様になり段々と精神の落ち着きを取り戻した。海外滞在もさせてもらったし、大学にも出してもらった。母は愛情表現はできないけどお金というかたちで私を愛してくれているのだ、と解釈することにしたし、女手一つでそこまでやるのは実際、子供への愛がなければ出来ないことだろう。しかし私はそうやって育てられたことによってひどく物質主義的な生き方をする様になったと思うし、それが私の大部分を占めている様に思えて仕方がない。今は心の時代というけれど、私にはそもそも暖かい心というのが育っていない様に思えてならない。

だけどもう街での暮らしにはうんざりしているし、ここで暖かい人たちに感化されて冷たいハートが少しでも暖かくなればいいなと思っている。もう街には戻れないし戻りたくない。たまに行って楽しむくらいがきっとちょうどいいのだろう。いろいろと酷く葛藤はありながらも人生は続いていく。


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