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何かそうさせるもの/本来の自分に戻る


ここ数年、自分は15歳以前の自分に戻りたいという気持ちが強くなっていた。その結果の一つにこの0円ハウスに住むことも含まれている。15歳、1995年までの自分はそんなにひねくれてもいなかったし、言ってみれば全てにおいて真面目で真剣だった。テレビで目にする社会悪に対して憤りを感じていたし、悪いものは良くしたいと思っていた。そして田舎生まれ田舎育ちの田舎の子どもだった。

何がきっかけだったのかはわからないが16歳位から屈折した感情を抱く様になり、それまでの真面目な自分を否定するかの様に振る舞い出した。一言で言うとグレたのだった。ただいわゆるヤンキーや不良とも違う、精神的な病みを抱えたグレ方だった。

それを表す一つのエピソードがある。私は15歳の年にNGOの平和団体ピースボートの南太平洋クルーズというものに参加した。3週間に渡る船旅はまるで映画の中に居る様な非日常の日々だった。何より不登校だった自分はそこで友達が沢山出来たのが本当に嬉しかった。乗船後見に行った福岡のフリースペースの人たちとは全然仲良くなれなかったのにピースボートで知り合った人たちとはすんなりなかよくなれたし、みんな面白いし素敵で輝いていた。乗船していた同世代は、自由の森学園やフリースクール東京シューレ、大学生が多く、3週間の長旅だからそういう自由がきく学校の人が多いんだろうな、と思っていた。このピースボートに乗船した話もまた別な機会に話したいと思う。

17歳くらいの頃、代々木公園だかどこだったか忘れたけれど、イベントがやっていて、ピースボートのブースを見かけたのでほんの少し立ち止まり、あ〜あのピ○○ボートね、と巷での俗称を口走ったかしてないかは覚えてないが何か馬鹿にする様な視線を送った覚えがある。たったの1年、2年でここまで変わってしまったのは何だったのだろう。そしてその屈折した感情が今でも自分の中で燻っているのを感じる。

理由としては2つ思い付く。一つには親がいわゆる左翼で、幼い頃から左翼的な考えに触れてきたのでそれに対する反発、反感感情によるもの。真面目なんてかっこわるいという若さ故の反発だったのだと思う。そしてもう一つは何かこう、抗えない時代の変化というのか、大きな波によるものだった様に思えてならない。1995年という年ははっきりと世の中が変わった年だったと思う。単純に言ってしまうとキラキラと満ち足りた光の世界から、ドス黒い欠落した闇の世界にはっきり落ちていったのがこの1995年だった。阪神淡路大震災が起こり、オウム事件が起こり、エヴァが流行った。この3つだけでもこれからやってくる時代の空気感を感じさせる。80年代〜90年代に作品を発表していた漫画家、岡崎京子の作品にも80年代の刹那主義と忍び寄る精神的退廃の世界がよく描かれていた様に思う。

自分が屈折してしまったことと時代の変化が本当に関連があるかはわからないが、一個人の力でどうにもならないことというのは本当にあるというのは生きていて強く感じる。時代の変化なんて正にそうだ。ずっとこのままでいたいと強く願っても肉体も精神も周りの環境も否が応にも変わってしまうし、変わってしまった。そこにはネガティブなものもあればポジティブなものもある。

そうやって屈折してしまったものの、ずっとこれは本来の自分ではない、今はただ寄り道をしているだけなのだ、という想いでいた。ただ屈折した自分の期間が長過ぎてもうどっちが自分らしいのかわからなくなる。それで自分が下らない人間になってそのままなことを時代のせいにしたいだけなのかも知れない。ただ流石に親に対する反発の部分はもう捨てて成長、成熟したいものだと思う。

15歳以前の本来の自分に戻れても戻れなくても、以前にも書いたかも知れないことだけど、今まで世の中を生きる上で身に付けた、特に都会で身に付いてしまった余計なものを削ぎ落として、また元の田舎の人間に戻ることを意識しながら、折り返し地点に差し掛かったこの後の人生を大事に満たして生きていこうと思う。本当に大事なことを大事にして。

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