炎上覚悟、相模原やまゆり園からまなんだ障がい者と健常者の命は平等なのか

こんにちはどうもブルドーザーです
今回は炎上覚悟で障がい者と健常者の命は平等なのかについて書いてきました
読んでいただけると幸いです

本当に命は平等で公平なのか?

なぜそう思ったのかというとある先生の授業の中で取り扱っていた相模原障がい者施設殺傷事件津久井やまゆり園で起きた植松聖容疑者が起こした重度の障がいの子を刺殺した事件について関心を持ちました。

この現代に至ってはSNSやインターネットが普及していていろんな情報が容易く見れることによっていい反応を見れる反面悪い反応も目に入ってきてしまい生産性のないやつはいらないという過激な思想が生まれ

現代は高齢化社会高齢者が多く障がいを抱えてる方も多い、働き手が少なく生きにくい世の中で

ピリピリしてる状況で

社会的に立場が低い人「高齢者、障がいを抱えてる方がいなくなった方がいいと思うのも

健常者の方の視点から見てみればそういう考えが起こっても不自然ではないのではないか

話を戻して植松聖容疑者が重度の障がい者を刺殺してしまったのも自分が役に立たない人間だと思い込んでしまって役に立つ人間だと証明するために19人の方を刺して殺めてしまった部分もあるのではないかと思いました。

その前にも学生の頃障がい者入らないなどという作文も書いていたので学校で何かあったのかそれとも家庭環境なのかはわかりませんが

そう思うふうになったのにも原因はあると思います。

それに

排泄できない喋れない人間は人間ではない

と言っているので本人は正しいことをしたと証言しています。みんなの税金でいろいろ賄われてるのも事実ではありますがそれだからと言って殺していい理由にならないと思います。


私の考え、理想では人間みんな平等で生きる権利があると言いたいのですが

現実的に考えれば植松聖容疑者の意見に賛同はしませんがわかってしまう部分もあります。

私は生まれつき右手手足に障がいを抱えており、左手手足は普通の人と変わらず動きます。今から話は少し逸れてしまいますがご了承ください。半分動いて半分動きが鈍いそうなるとどちらの考え方も理解ができ

私が十九年生きて思ったことは

障がい者と健常者の間には格差や優生思想などがあり

人と違うから障がいを理由にいじめられたり

尊厳破壊などで破壊されることもたくさんあります。私も中学時代に障がいのことでいじめられたことあります。

話は戻しますが

-この事件の中で思ったことは本当に命は平等で公平なのか?平等=差別のない世界すごく素晴らしいことだと思います。実際問題、優生思想が根付いているのではないか?命の優劣をつけているのではないか?優秀な人は劣ってる人材を下に見て劣ってる人材はどうするか

さらに下に劣ってる人を下に見る

学問のすゝめでもあった天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずとかいているが生きにくくなってきたり不満が

-募ると人の上に人が立っていて人の下に人が立っている状況になるのだなと思いました。

結論として殺人するのは良くないと思いますしそれが肯定される世の中になってしまったら

弱いものは切り捨て強いもの優秀なものが生き残ってしまう世界になって

かつて世界を驚愕させたヒトラーのような優生思想者がさらに出てしまうので

まずは理解することが大事だと思ってます。

この事件は世間に衝撃を与え障がいを抱えてる方たちを苦しめて自分が障がいだと明かすのが怖いという人達が増えた。いつ殺されるか

自分は必要ない人間だと考える人までてまできて第二の被害が出ないように

健常者、障がいを抱えてる方でお互いわかんないところもでてくると思うのでまずは見て話して体験するそうすることによって理解は広がってくのではないかと考えました。

もっとどのように健常者と障がいの方がどうすれば分かり合えるのかそのために私たちに何ができるかの方法を深く学んでいき

将来その一端の架け橋になりたいと私は考えております。

みなさんのお考えをおきかせくたさい

反対意見、賛成意見
どちらでもない、自分がおもったことなどコメントしてくれるとうれしいです


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