だから君を選ぶ

       あらすじ

 学生時分はともかく、入社以降は真面目かつ精力的に働いてきた小木野。運にも恵まれ、若くして課長になることが決まった。妻へのサプライズを考えながら帰宅した彼に、妻が一通の手紙を渡す。差出人には懐かしい名があった。中学一年のときよく遊んだ徳川とは長らく音信不通だったが、何かあったのか。開封してみると――徳川は子供のときに小木野とともに語り合った空想を基に発明をなし、一財産築いた。だが最近になって不治の病に罹っていると判明。先が長くないと感じ、小木野に空想のアイディア料を払いたい――そう伝えてきたのだった。ついては、自宅の屋敷まで来てもらいたいと。
 幸運が続く小木野を待ち受ける運命とは。

        本文

 課長昇進の内示が出た。
 上の人に個人的不祥事があったことが大きいのは理解しているが、それでも三十一歳で課長とは我が社では異例であり、同期の中ではトップに立ったことになる。
 学生時代の友人知り合いの中でも出世頭なんじゃないだろうか。昔は引きずり込まれていくつかおいたをしたけれども、今はすっかり“更生”して、真面目にやってきた甲斐があったというもの。
 あの頃の仲間との付き合いはもうないが、現在どうなっているかは風の便りで耳に入ってくる。喧嘩っ早さが直らなくて上司を殴って解雇されたり、早々と子供ができて結婚したはいいがその子が小学校で問題を起こして賠償を求められたり、女との交際を際限なく広げた挙げ句に刺されたりと、悪い話の方が多い。もちろん真っ当に働いている者もいるに違いないが。一ヶ月ほど前には、当時リーダー格だった男がいい年になってもバイクをやかましく乗り回し、事故って命を落とした。あいつらとは雲泥の差だ。
 そもそも私は連中に無理矢理引きずり込まれただけで、悪さをする気なんて皆無だった。早めに縁を断ち切れて本当によかったと思う。もしそうしていなかったら、義父から律子との結婚を許可してもらえなかったもしれない。
 そんなことを思い返す内に妻を驚かせてやりたいなと思い付き、帰路、花屋に寄った。が、何故かあまり見栄えのしない花もしくは縁起のよくない花ばかりあって、思わず店の人に訳を聞いたら、若者に人気のある何とかという外国の歌手がお忍びで現れて、大量に買っていったという。
 間が悪かったなと思いつつ花屋をあとにして、よく考えたら私は祝われる立場じゃないか、いくら内助の功があったとは言え、花を買って妻にプレゼントするのは何か違うぞと考え直した。まあ、買うにしても後日だ。あとは寄り道せずに家に直行。妻にいつ、どんなタイミングで言おうかを考えながら、道を急いだ。
 急いだおかげで考えがまとまらない内に帰宅してしまった。まあいい。今日は疲れているし、知らせるのは明日以降にしよう。ぐずぐずしていたら噂の形で耳に入るかもしれないが、そのときはそのときだ。
 マンションの二階まで階段を昇り、右に折れてすぐの部屋。用心のため、一応施錠させている。インターフォンのカメラに姿を見せてドアを開けてもらう。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 差し出された律子りつこの右手は、白い封筒を挟んでいた。鞄と交換する形で受け取る。
「今日のお昼、郵便受けを見たら入っていたの。今どき、個人のやり取りで手紙なんて珍しいわね。もしかしたら大事な用事じゃないかと思って、忘れない内に」
「ありがとう」
 封筒のおもて面には差出人の名前はなかった。裏返すと、徳川真澄とくがわますみとあった。筆文字だが直筆ではなく、印刷のようだ。
「知っている方? どなた?」
 ジャケットを脱がせてくれた妻は、そのまま奥へ行きつつ、聞いてきた。
 実際のところ、妻の台詞を認識したのは数秒遅れになっていたと思う。私は差出人の名前を見て、懐かしさ以上に困惑を覚えていたためだ。
「ねえ?」
 ジャケットと鞄を置いて引き返して来た妻は、廊下の途中で角を折れてキッチンの方に入った。
「ああ。中学のときのクラスメートだよ」
「男の人? 女の人?」
 なるほど、その点が気になっていたのか。
「男だよ」
「ふうん。連絡を取り合っていたという風じゃないけれども、何ごとかしら」
「まだ封を切ってないんだ。先に食事をしよう。君に報告があるし」
 気が変わった。私は昇進についてさっさと伝え、喜びを分かち合うことにした。

 食後、個室に入って手紙の封を切った。
 そこにはワープロ文字で印刷された文章があった。「前略」で始まる定型文を冒頭に置いて、徳川真澄はまず自身の現状を述べていた。
 大学を出て就職し、順調に暮らしていたが去年、病を患って体力が急速に衰え、身体を思うように動かせないという。どこに出しても胸を張れる名高い大学に企業。病気になるまでは順調どころか成功者の道を歩んでいたようだ。しかも今は自宅療養中とあるのだが、空気のきれいな土地に大きな屋敷を構え、お手伝いを雇って世話をしてもらっているらしいことが窺えた。もしかすると、勤め先に多大な貢献をする何かを開発したのかもしれないなと想像した。
 その想像が当たっていたことは、次の段落に目を通して分かった。それは徳川が私に手紙をよこした理由にもつながっていたのだ。
 中学一年の夏。私と徳川は空想の物語をこしらえていた。終わりの見えない、とりとめもなく続くストーリーで、その要所要所には未来の発明品とでも呼ぶべき発想が出て来た。
 その一つに、画像から個人を特定する方法とそれをさせまいとする方法との攻防を描いたパートがあった。徳川はこの防御方法のアイディアを現実の物としたようだ。かいつまんで言うと画像の個人特定に関わる部分――指紋や虹彩、特徴的な背景などを自動的に認識して、架空の物に置き換えるアプリらしい。子供のときに空想した物語の中では、悪人が警察の手から逃れるためにこの防御技術を駆使するのだが、現実の世界では一般の者がストーカー被害に遭わないようにするために役立っているから、皮肉を感じる。
 それはさておき、アイディア料をいくらか払いたいというのが徳川の手紙の趣旨だった。
 正直、私は金銭面で困っていないし、アイディア料をよこせと主張できるほどのことはしていないだろう。少年時代の他愛もない思い付きが、徳川の発明のヒントになった。それだけである。
 ただ……今より余裕ができれば、そろそろ新しい家族を、つまり子供が欲しい頃合いなのも事実である。具体的な額は記されていないが、わざわざ手紙をくれるくらいなのだから、そこそこ大金なのだろう。
 それにだ。徳川自身が先が長くないと感じてこんなことを言い出したんだとしたら、応じてやるべきかもしれない。少なくとも見舞いに行くのが当然だろう。話の流れでアイディア料を受け取る受け取らないで押し問答をするも押し切られる、なんていうのはありがちなことだ。
 ――私はいつの間にか自分に言い聞かせていた。
 結局、徳川に嫉妬したのかもしれない。自分が同級生のトップを走っているつもりだったのに、それを上回る存在がいると知らされて。
 恐らく私は今現在の徳川の状態を見て、安堵したいだけなのだ。どんなに金を稼ごうが、身体が不自由じゃほとんど意味がないさと。我ながら最低だ。
 ここまで真面目に生きてきたのに、まだこんな考え方が残っているなんて。
 私は強くかぶりを振って、最低な考え方を追い出した。
「何もかも白紙に戻して、とにかく見舞いに行こう」
 決意を声に出して固めると、スケジュールを調べて自分にとって都合のよい日を探した。

「よく来てくれたね」
 玄関戸がすーっと横に開いた。そこにいた徳川真澄は車椅子姿だった。
小木野おぎの君、久しぶり。変わってないなあ」
「や、やあ。久しぶり。手紙をもらって驚いた」
 お手伝いさんが応対に出てくるものと思い込んでいた私は、旧友とのいきなりの対面に内心、焦っていた。どう声を掛けようか迷う。間違っても「変わっていない」なんて言えない。
 家の方は想像した豪邸とはやや異なり、平屋の別荘という風情だった。ただし広大だ。車椅子で動き回るのに適した造りになっているのだろう。空気も澄んでいるようだし、静養するにはもってこいの場所に感じられた。
「突然で悪いとは思ったんだけど、今を逃すともう僕は人前に出られなくなるかもしれないから」
「どんな症状の病なのか、聞いてもいいかい?」
「いいとも。ご覧の通り、足腰が立たなくなっている。つい十日ほど前までは一人じゃできないことがたくさんあった。訓練を重ねてようやくお手伝いさんのいらない状況まで持って来たんだ」
「ああ、それでお手伝いさんはいないのか」
「うん。今は通いでだいたい二日に一度ぐらい来てもらう形だな。徐々に間隔を広げていくつもりだよ。ただ、いくら頑張っても完治はしない。それどころか緩やかな下降線を描いてどんどん悪化するのが普通らしい。最後は呼吸ができなくなるそうだ」
「……」
 何年保つのだとはとても聞けず、私は見舞いの品の入った紙袋を身体の前に持って来た。
「これ、お見舞いだ。渡して大丈夫か?」
「よほど重たい物でない限り。中身は何だろう?」
「何がいいのか分からなかったから、酒と果物とジグソーパズルにした」
「なるほど。――暇つぶしにはよさそうだ」
 受け取った袋を覗き、彼は言った。ジグソーパズルの大きさに対しての感想だろう。面を上げた徳川が笑顔になっていたので、私はほっとした。これで少し話し易くなるか。
「下世話なことを聞いていいか」
「ああ」
「収入はどうなっている?」
「もちろんあるよ。会社を辞めたといっても、成果を上げている僕をそのまま残すと出世レースに歪みが生じかねないからと、個人事務所を起ち上げた僕に元の勤め先が仕事を発注する形を取ってくれたんだ。まあ、悪くない待遇で感謝してる」
「悪くないどころか、えらく好待遇じゃないか。何か裏があるのか」
「ずばり聞いてくるねえ。守秘義務があるので詳しくは言えないが、僕の病を悪化させる要因を作ったのが勤務先の環境だと強く疑われる故、だ」
 詳しくは言えないとしつつも、状況がよく分かる説明だった。
「金銭面で不自由していないのは分かった。ご家族は?」
「婚約者はいたが、こんな身体になったら逃げられた。向こうの親御さんが強烈に反対したらしい。ま、仕方がない。両親もともにもういないし、天涯孤独ってことになるのかな。親戚は探せばいると思うんだが、よく分からない」
「そうか……もし女性と遊びたいのなら、時間をくれればセッティングできると思うぞ、どうだ?」
「うーん、いやまあ、気持ちだけ受け取っておく。すまない。なかなかそういう気分にはならないのでね。なるときもあるんだけど、前に比べたら全然。それよりも小木野君、君近況を聞かせてくれよ。尤も、住所を知るためにあちこち伝を頼ったからだいたいは把握してるんだけどさ」
 私はおおよそ知られているのならと、気軽に近況を伝えた。ややおどけたり、自慢げに語ったりしても、この雰囲気なら問題あるまい。
「そうか。課長になったばかりか。さすがにそこまでは掴めてなかったよ」
 感心したように目を見張ると、徳川はふと思い出した風に手を一つ打った。
「悪い悪い、お茶も出さずに失礼をしたね。インスタントだが、用意するよ」
 電動の車椅子を操作し、方向転換する徳川。私は「お茶なら私が入れるよ。場所を教えてくれたら多分、できるだろ」と言った。
「いや、練習がてら自分で入れたいんだ。もらった物を仕舞わないといけないしね」
 座ったまま紙袋をちょっと掲げると、徳川は遠ざかっていった。
 最初から準備をしていたのだろうか、五分余りで戻って来た。

 コーヒーを飲みながら徳川から本題を切り出された。アイディア料の話だ。
「――それで、正直言って、いくらが適当なのか判断しかねているんだ。今後も利益をもたらすからパーセンテージで払ってもいいし、まとまった額がすぐに入り用なら相談に乗る。と言っても、出世頭の課長さんには失礼な話かもしれないな」
「そのことなんだが」
 私はわずかに残っていた未練と迷いを吹っ切った。徳川の今の様子を目の当たりにして、じゃあ頂戴と両手を出せるものか。
「君の病気は将来、悪化する可能性が高いのだろう?」
「そう言われている」
「だったらそのときに使えばいい。いや、悪化を望んでるって意味じゃないぜ。備えが必要だってことだ。多ければ多いほどいいだろう?」
「しかし」
「課長昇進が決まる前なら、気持ちがぐらついたと思うよ。いや一も二もなく受け取っているだろうな。だが状況は変わったんだ」
 このあとも数分間、やり取りが続いたが、結局は徳川の方が引いた。
「分かったよ。君の情には負けた。ただ、言いにくいんだが一筆書いてもらえるだろうか」
 予め用意していたらしい、印刷物とボールペンを車椅子の脇から取り出した徳川。私の方に向けて、テーブルに置く。
「何だ? ああ、アイディア料を今後一切請求しないとか何とかだな、元の勤め先に提供してるんだったら当然だ」
「うん。分かってくれて助かるよ。――昔みたいに、ころっと態度を変えられちゃたまらない」
 え?
 書類に目を通そうとしていた私は、徳川の声の調子の変化にぎょっとした。ひやりと冷たい口調に、顔を起こす。
「昔……中学二年生になる直前の春休みに、小木野君は僕を裏切ったよね」
「お……覚えていたんだ? そう、そりゃそうだよな。忘れるはずがないよな」
 中学一年の私と徳川はどちらかというと陰気なタイプで、そのせいか学校のいわゆる不良に目を付けられ、何かと命じられたり、理不尽な暴力を振るわれたりしていた。何をされるにしても二人揃ってだった。
 だけど年が明けてから、私は段々と要領のよさを身につけていった。不良のリーダー格に気に入られようとするあまり、徳川を貶める嘘をつくまでになった。中二になる頃には私は不良グループの側に立っていたと思う。対照的に徳川はいつまでも搾取される側だった。
「もちろん、鮮明に覚えている。僕は執着する質で、だからこそ小さな頃のアイディアを商品化できたんだと思っている。その一方で、いつまでも引きずってしまうんだ、恨みを」
 恨み? 瞬間的にやばいと察したが遅かった。身体がしびれてきている。動けない。目の前のテーブルにしがみつく格好で、私は倒れた。
「コーヒーに何か入れたか」
「入れた。効かなかった場合は、お手製のスタンガンをいきなり当てなきゃならないから不安があったが、どうやらその必要はなさそうだね」
「ま、待て。どうするつもりだ?」
「死んでもらう」
「――」
 叫んだかもしれないがよく覚えていない。私の意識を完全に失わせるためか、徳川がその自家製スタンガンを首に押し当ててきた。

 意識が戻ったとき、私はベッドの上にいた。いや、やけに狭い。周りを板のような物で囲われている。これは棺桶? 身動きしようにも手足を固定されているらしく、びくともしなかった。
「あ、やっと起きた」
 徳川の顔が不意に横から現れ、私を覗き込む。それを見て違和感に気付いた。
「――徳川。君は立てるのか」
「うん」
 こともなげに答える。
「じゃ、じゃあ病気も嘘か?」
「いや、病気は本当だ。足腰が立たなくなる部分だけが偽りで、平均寿命よりだいぶ早めになくなる公算が強いよ」
「車椅子に乗っていたのは私を油断させるためか」
「まあそうなるかな。君がどれだけ優しいのかを試したかったんだ」
「優しいかを試す? な何のためにそんな。私は充分に優しくしたはずだ。それなのに君は中学生のときの恨みで、殺人に手を染めるのか」
「執着する性格なのでとしか言えないな」
「いや、だから何でテストしたんだ? そもそも恨み骨髄なのは私にではなく、他の不良連中だろ?」
「彼らにも恨みを持っているのは言うまでもない」
「だったら何で。何で私なんだ? 他の奴らを生きながらえさせていいのか? 私を殺したあと連中も殺すのか? だとしたら順番がおかしいだろう。日本の警察は優秀だ。復讐の途中で捕まる危険性がある。そうなったら一番恨みのある相手をやり損なうんだぞ」
 助かりたい、生きながらえたい一心で、思い付くことを一気にまくし立てた。こちらの息が途切れたところで、徳川が口を開く。
「色々と思い違いをしているようだから説明しておく。まずはそうだな、一番恨みのあるのはリーダーだったあいつだが、あいつはすでに地獄に落ちただろう。知らないのか? バイクで自損事故を起こして死んだのを」
「あ」
 思い出した。
「だ、だが、他にも恨みのある相手はいるだろ? まだ生きてるだろ? そいつらよりも私が先ってことはない」
「いや、これでいいんだ」
 徳川はいつの間にか注射器と何かのアンプルを手にしていた。
「小木野君は理解できていないようだ。僕が命を削って復讐する対象を君に絞った理由を」
 その通りだ。徳川は何故、私を選んだ? 友達だと思っていたのに裏切られたからか?
「この先の人生を想像するに、君が一番死にそうにないからだよ」
「……何だって?」
「僕をいじめた連中の内、小木野君が最も真っ当で、幸せな人生を送っている。出世レースの先頭に立っているが周りとの関係は良好のようだ。住んでいる土地柄の治安もいい。破滅という言葉からほど遠い暮らしぶりだ。他の奴らは女に刺されたり、違法薬物に手を出したり、子供が問題を起こしたりで、いつか死ぬか、身を滅ぼすだろう。君だけなんだよ、小木野君。無事に人生を全うし、皆に看取られながらこの世を旅立ちそうなのは。テストをして改めて確信を持てた。僕の申し出を拒んでお金を受け取らないなんて、今後の人生でもきっとうまく揉め事を避けていくんだろうな」
 更生し、真っ当な人生を送り、幸せを掴んだがために、私は殺される……?
「僕も不治の病に罹らなかったら、君の言うように恨みの強い順に殺していったかもしれない。けれども現実は無慈悲だった。最後の命の火を灯しても、一人しか葬れないのだ」
 私は絶望感を飲み込んで、説得を試みようとした。
 だが。
 最後に感じたのは、注射針が腕に刺さるちくりとした痛みだった。

 了

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