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戦略的モラトリアム【大学生活編⑩】

日付:夏真っ只中の九月

どこにいったの?秋は……。東北にはないジメッとした初秋。

秋来ぬと
目にはさやかにみえねども
吹く風にぞおどろかれぬる

とはよく言ったもので、風はどことなく秋を感じさせるものであるが……。頬に当たる温い風は暑い空気をただ運んでいるだけの風だ……。

後期が始まってもまだ夏休みの様相。忙しない毎日がまた流れていくとはわかっていても、どうも気分が乗らない。というか、頭が切り替わらない。塾でバイトしていた気分が抜けきらず、自分が座っている位置にどことなく違和感がある。

そう、今までは曲がりなりにも教える側。そして今は教わる側だ。本来の正しい位置はここなのだ。そう自分に言い聞かせ、真新しいノートとテキストを開いた。

新しい折り目をつける。

そう、刻むのだ。今の自分を心に刻み付ける。高校までのようにのうのうと時間を垂れ流さない。毎日を新鮮な出会いをZIPロックして、心に刻み付ける。それが今の自分に出来ること。

本当はモラトリアムをのびのび満喫するつもりだったが、夏季休業中に少しだけ自分の中で変化が起きた。脳内革命?
いや、そんな大それたものではないのだけれど、少しだけ人間関係に変化があったので、その風に当たったといった感じだろうか。

塾での夏期講習、夏季合宿は本当に良い勉強になった。国語を教えていたが、授業の予習が楽しく思えてきたところだった。
夏の時間をもて余すことなく使っていた自分には多からず教え子なるものができつつあった。
彼らは一生懸命かと言えば、親に行かされてるだけの受動態人間も少なからずいた。よく聞く教育ママってやつに背中を押されているヤツだ。

彼らとのふれあいはほんの数センチ自分の曲がった性根を矯正したのかもしれない。

休み時間の彼らとの話は大方が愚痴であるが……。それを肯定も否定もせず、ただウンウンと聞いている。
それは話を流す常套手段だったが、自分は必ずコメントをつけるようにしていた。すると、それなりの反応だったのが、徐々に本音のようなものを吐露するようになる。

「ガッコでさ……」
「家でさ……ホントはさ……」

何のことないくだらないハナシ。十代の彼らが僕に伝えた本音のようなものは次第に自分の心に刺さっていく。過去の自分と彼らを重ね合わせながら。

彼らは日の光を浴びている学生。自分は日陰を歩いてきた大学生。彼らが眩しくも羨ましく思えた。羨望の眼差しで彼らを見ると同時に、自分がもし普通に高校に通っていたら、彼らと同じような青春があったのだろうか……などと、たらればの想像にうちひしがれる。

それはもうどうしようもないことだけれども、まともな「青春」と呼べるものを通過してこなかった自分がここにいることをただ恥じた。

彼らのなにも理解してやれないし、共感も得られないだろう。ただ一つ言えることは……

自分が経験し得なかった人並みの「十代」を謳歌してほしいということだけを切に伝えたかった。

今をもっと大切に生きないとダメだ!
という確信めいた結論を頭に楔のように打ち込み、自分にも言い聞かせるように幾重にも重ねた綺麗事の言葉とは比較にならないような重い言葉を彼らに投げた。

それは大きな弧を描いて、心を繋ぐアーチになったと思う。

あまり自分のことを話してはいけないという塾のルールだったが、自分が高校を辞めたこと。どういう経緯でここに至ったかなどは話して良いとの許可がでていた。

「彼らの良い刺激になると思うので、是非話してあげてください。」

塾長の柔和な顔が微笑み、自分の背中を押した。

授業中、そして授業後。
自分の特異な経験談はそれなりに彼らの話題になり、大きな興味をもって自分に接してくれるようになった。それが変な好奇の眼差しであったことは分かっている。それは次第に共感に変わり、そしてやがては相互理解に繋がっていった。

一生懸命今を生きないとダメだな……

ふとそう思った。

今を心に刻むように生きること。

それは今まで無駄にした時間への償いではない。
確かにそのとき自分は生きていたという証なのだ。

どんな影響かはわからないが、確かに彼らの存在は自分の頭の中に革命が起こり始めていた。

そうやって、残暑の熱気の中、大学がまた始まっていく。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》