震災クロニクル5/7~15(45)

東京電力からの仮払いがチラホラ始まってきた。周りの人々はその話題でいっぱい。特に書類の記入法が複雑で、混乱をきたしていた。特に領収書の添付に関しては取っていない人がほとんどで、どのように請求するのか悩んでいた。電話相談も開設され、ひっきりなしに情報の錯綜が起こった。「とりあえず請求しておけばいいよ」口々にそういった声が聞こえてきた。確かにいちいち領収書を取って避難していた人なんているのだろうか。自分も東京に避難したときは、とりあえず毎日生きるのに必死で「領収書」なんてものは残っていない。しかも、記入欄には「滞在場所」を書く欄があった。自分は歌舞伎町のカプセルホテルと親戚宅なのでネットで調べて、電話番号も添えて記載した。ある程度電話で確認することがあるようなので、大切な情報だが、明らかに個人情報だ。こんなものを本当に一民間企業が集めてよいのだろうか。一抹の不安が頭をよぎったが、とにかくこれを提出しないことにはこれからの補償も受けられない。分かることだけを記入し、投函した。友人たちの書類もみんなで協力して作成して、まとめて仕上げた。しかし、自分の数少ない友人たちもそのほとんどが避難中で、この街に戻ってきているのはほんのわずか。結局のところ、毎日ベントだなんだの原発関連のニュースが身近にあり、せわしなく生きているこの街に戻ろうとする人はいないのだろう。

「ここでこれも請求しておこうぜ」

「どうせわかりゃしないよ」

「避難に使った車も放射能汚染で使えないからって請求しておいた」

ああ、ついにこの話題になったか。ゴールデンウィークが終わり、仮払いの手続きが本格化すれば、おのずとこのような話題になるのは分かっていた。

「とれるものは取っておこう」

人間の本質を見たような気がした。どんなに清廉潔白に振舞っても、本当の裸はこのようなものなのかもしれない。少し寂しくなりつつも、自分もその会話の中にいた。しかし、重い口が開くことはなかった。それは避難の時、歌舞伎町のホテルで知り合った宇田川さんをはじめ、そのカプセルホテルに暮らす人々を思い出したからである。

「がんばれよ」

優しく元気づけてくれたその言葉が一カ月以上経過した自分の胸に突き刺さった。どうしても浮かれた気分になれない自分がいた。

あのときの自分の心の中……明日が見えない不安と漠然としたこれからの不安。その繰り返しの避難生活の中で自分によくしてくれた、あの人々の顔が頭から離れない。

東京電力にできるだけ多くの請求を立てて、にんまりしている自分の周りと同調することはどうしてもできなかった。自分にもほんのちっぽけな良心があったのか。少し自分自身を見直したというか、避難で出会った人々に対しては実直でありたかった。

自分から言わせてもらえば、そんな賠償金の請求に盛り上がっている面々に対しては、ホールボディを計測に行った避難所でのカレー販売と何ら変わりのない感情を抱いた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》