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言葉にできない浮遊感

私は日々の生活を効率良く過ごしたいと思ってしまう。
その判断基準は「時間」だ。

時間をかける価値はあるのか、どうすれば最小限の時間で目標が達成できるのか。
些細なことも何となくこの価値基準で行動している気がする。

そんな自分が嫌いではないが、時間を使うことに臆病になっている場合も多い。
人生を楽しみきれていない気がする。

そんなことを考え出すと人生ってなんなんだ?生きる意味とは・・・見たいな深い森へ迷い込んでしまうので、スッと思考に蓋を閉じる。

それでも時々、生きる意味なんてないと決めてみると、自分は何を目指しているのか、何者かになりたいのか、日々律しているのは何のためかと落ち込む。
生きる意味なんてないし、自分は思ってるより普通の人間と割り切ることが生きやすさにつながる気がするし、そう思うことで肩の力が抜けて前に進めることもあると分かってはいるけど、言語化できない何かが急な坂持を下る時のような浮遊感になって感覚として現れる。

自分は他人と違って特別な少数派。そう思っているのは自分の中だけ。
冷静に自分の置かれている状況を俯瞰してみると、至って普通の生活、普通の人間だ。

普通の定義が人によって別れると思うけど、多くの人がそうであるように、存在しても存在しなくても、世の中に何の影響も無く社会や文化は形成される。

決して悲観的な話をしたいわけではない。

単純化すると「だったらやりたい事やろうよ」ってこと。
ただし、なんとなく過ごした「あっても無くても変わらない1日」を過ごすのはやめよう。

自分の感情に注目すること。
何を感じ、どう思うのか、どう行動するのか。
それを認識することがだいじ。

なるべく無目的は避けよう。
仮説や検証、そんな堅苦しく考えなくても「思っていたのとちゃう!」という感覚が豊かな感性につながると思う。

「存在」して初めて「存在しないもの」を認識できる。

生きる意味なんてなくたって、生きる目的がなくたって、どうせ生きるのであれば、知見を深めて認識できることを増やしていきたいと思う。

今日は朝起きると庭には若干雪が積もっていました。
とうとうこの季節が来たという感じです。

今日もいい1日です。

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