大人になれないお寿司問題。

 お寿司や刺し身に、醤油をビショビショにかけて食べるのが好きだ。
 握り寿司ならネタにもシャリにもたっぷりと醤油をかけて、刺し身なら、醤油の皿にしばらく漬けてからいただいている。
 これは昔からの嗜好で、『醤油食べてるみたい』となじられた事や『それで美味いの?魚の味わかるの?』と呆れられた事もしばしばだったし、露骨に顔をしかめられた事さえあったが、元来人の目を気にしない私にとってそれらの忠告は馬耳東風と言うものでしかなかった。
 そんな私も何時の間にか年を重ね、食べ歩きと称しては、県内外のあちこちに美味しい物を目指して知人友人に、連れ出される機会が増えた。
 しかしそこで問題が起こる。
 そう、醤油ビショビショ事件だ。
 海が近い地域に暮らしているせいか、どうしても美味い物となると海鮮系に的を絞られてしまい、さぁ寿司だ!海鮮丼だと連れ回される。
 当然ではあるけれど、わざわざ車や電車を乗り継いでチェーン店に向かうはずは無い。少し格式の高そうな店に連れ込まれ、お勧めの海鮮丼を注文すると、恐ろしく少量の醤油と共に丼が運ばれて来る。
 私はそのお盆を眺め、戦慄しながら息を飲み、思考する。
『果たしてこの微々たる量の醤油で全体的に行き渡るのか……』と。
 戦々恐々としながらも醤油の小皿を回しかけると、かなり残念な予想通り、表層部の切り身がほんのり色付くだけで終わった。
 覚悟を決めて箸を入れ、口に運ぶ。
少しも美味しくない。生魚の臭いと弾力だけが私の口中を占めていくだけで、あの力強い濃さと有無を言わさぬ香りの醤油力など皆無だ。
 好き嫌いは少ない方だと自認していたが、醤油力に欠ける生魚系は苦手だとその日初めて自覚した。

 それから数ヶ月後、今度は廻らない寿司屋に連れて行かれた。
 またしても、と言うか今度はより少量の、私がお寿司一貫に使う程度の量の醤油に対して、10貫の握り寿司が提供された。
 暖かいご飯の上に切り身魚の乗った海鮮丼に比べると幾分と食べやすい感はあったが、だからといって、醤油を遠慮しながらチョッとだけ漬けて食べるお寿司は、やはり好みではなかった。
 私がようやくお寿司を口に運び終えて、会計の際に友人の醤油皿ががほとんど減っていないのを目にした時、
『あ、これが大人なんだな』
と妙に納得した。素材の旨味とか、鮮度が云々と言う世界に触れた瞬間だった。
 だけど私にはまだその境地は遠いようで、好きなお寿司は?と聞かれると

『ツナマヨ軍艦です』

と即答してしまう。

まだまだ大人思考の舌にはなれないようだ。

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