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【私がいないこの世界で】

何も変わらない。

私がいなくても
時間は進むし
人は生き続ける。

それでも、迷ってしまう。

蔓延する疫病が人々の生気を食い尽くし、罹った人間は自らを失っていく。そして元となるウイルスは、皮肉にも我々人間の手によって日々力を増幅させていた。そんな中で、私の身体に潜む兵器は世界を助けられるそうだが、私も生ける一人の人間。私如きの人生の犠牲と世界の安定を天秤にかけてしまう。

ある日ある国から極秘支援要請が来た。
要請内容は身体の提供。
私の特異体質はウイルスを制御できる唯一の希望だという。100%ではない解決策でも、死者が急速に増加するこの国で、私は救世主らしい。
薬で永遠の眠りにつきながら心臓が息の根を止めるまで半永久的に物体として生きることで、特効薬を生み出すまでの時間を確保する。

つまりは私の死を意味した。

たとえ大勢の命が私一人死ぬ事で助けられるとしても、この要請を快諾することは難しい。嫌だ、というのが正直な気持ち。怠惰に生きてきてしまっていたけれど、死を突きつけられると手放したくないこの人生。なんて自己中なのだと、我ながらに思う。

昔からこの厄介な特異体質には辟易して、何度も生きることをやめようとした。人を傷つけてしまうことに何度も自己嫌悪で狂いそうになった。それでも生き続けてきた理由は周りに人がいてくれたからだった。こんな私を見離さず、ずっと隣にいてくれた人々がいた。

ハッとする。

何もできない私が唯一できる恩返し。
その人々の幸せが守れるかもしれない。
人を傷つけてきた兵器のようなこの特異体質が、世界を救えるのなら。そう思った。

極秘事項のため、誰にも知られず死を迎えなければならない。本当の理由は誰にも告げられず、行方不明のまま書類上のみ生き続ける。

それでもいい。


実行日前日の朝。
いつも通り出勤することにした。
やり残したことを潰すには、時間が足りない。
というか、そもそもやりたいことが思い浮かばなかった。

「おはよう」

何も変わらぬ日常に改めて感謝をする。
どれだけ疫病が蔓延しようと、人々は生活をしなければならない。私がいなくなることなんて、大したことじゃない。ありふれた生活が守られることこそ、大きなことだ。

明日急に私が消えるなんて誰も思っていないんだろうな。少し周りに迷惑がかかってしまうけれど、単なる雇われの身なので、特に影響はないはずだ。

黙々と作業をし、退勤時間が目の前までやってくる。
こんなにも残業をしたいと思った日はない。さよならを言えないさよならはこんなにも悲しいのか。込み上げてくる涙が溢れないように、グッと喉に力を入れた。

夕方。
私は数少ない友達に会って時間を過ごす。
一緒に笑い合える友達がいるって幸せだったんだ。今までの全ての細かないざこざがどうでも良くなるくらいの幸福感、多幸感。胸の奥が沸き立って、じわじわと温かくなる。あなたたちに出会えて、本当によかった。

「またね!次またすぐ行こ!連絡するね〜」

帰り際に放たれた友人の言葉。
二度と来ない"次"に、また涙が込み上げた。

夜。
家族に電話をする。
ここまで育ててくれた恩を無下にしてしまう申し訳なさを隠すように、通常運転を心がけた。
私の特異体質をよく知っていてくれた家族は、とても大変だったに違いない。本当に両親には感謝している。心の底から思っていた。
電話の内容はなんてことない。それでも楽しかった。
顔を見て決心が揺らいでしまいそうだったけれど、もう戻れないのでそんな心を押し殺す。

さようならを言えなくてごめんなさい。
親不孝な私で、ごめんね。

心の中で叫んで、謝った。

深夜。
不安や恐怖が胸中を渦巻いて、眠れなかった。
ベッドの中でじっとしていられない。
外着に着替え、夜の静かな街を徘徊する。
公園のベンチで休憩したり、コンビニでスイーツを買ったり。どうでもいいことをした。

次第に空が白んでいく。
夜明けがすぐそばに来ていた。

人々の希望として比喩される夜明け。
今日の私にとっては、全ての終焉だった。

美しいグラデーションを描く空を前に、心は緊張を解く。涙がとめどなく込み上げ、ついに溢れた。
声をあげて泣き続け、ヒックヒックと子供のようになってしまう。腕で何度涙を拭っても止まらなくて、どうしようもなかった。


さようなら、私。
さようなら、世界。


私がいないこの世界で、これからも人は生きていく。

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