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曰く、この世は生きるに値する

2013年、秋。
当時お付き合いしていた女性と、東京は立川のワンルームで同棲していた時のことだ。
着の身着のままで二人で東京に引っ越してきてばかり。お金もなくひどく物の少ない部屋のなか、床に座って備え付けのテレビを二人で眺めていた。

見つめる画面の向こうには、スタジオジブリの宮崎駿監督。
映画「風立ちぬ」の劇場上映が終わり、今度こそ本当に現役を引退すると、記者会見に応じていた。

僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったので、基本的に子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた。それはいまも変わらない。
 ー 宮崎駿監督 2013年9月6日 引退会見より

なぜだかわからない。
わからないが、雷に打たれたような、というのはきっとあの時のことを言うのだろう。それくらいの衝撃だった。
なぜだか、「この世は生きるに値するんだ」という言葉に、強く惹きつけられた。

そして、
あぁ、受け取ってしまった。
俺も、その言葉を受け取ってしまったんだと同時に直感していた。

思えば、あれからもう6年が経つ。
あの言葉を受け取った者のひとりとして、ぼくはそれに少しでも見合う行動ができているのだろうか。
正直、少し不安になる。

それほどに、忘れることのできない言葉だった。

 *宮崎駿監督、引退会見の全文書き出し記事

宮崎駿監督も、過去の多くの作品、特に児童文学から「この世は生きるに値する」という言葉を受け取ってきたとおっしゃった。
そして、その作品の創作者たちは、この世は生きるに値すると伝えつつ、本当かな?と思いながら死んでいったのではないか。とも、彼は会見のなかで述べていた。

たしかに、この世は生きるに値すると、子どもたちへ伝えていきたい気持ちはすぐに共感できる。
しかし、大人になるにつれて、この世の不条理や抱える問題の大きさを知れば知るほど、それが疑いに変わっていくことになるだろう。
この世は生きるに値するなどと、無責任に子どもたちへ伝えることなど到底できやしないと、逆にこの世に絶望することだって容易に想像できる。

だが、いやむしろ、「この世は生きるに値する」という言葉は、絶望のなかから産まれた言葉なんじゃないのだろうか。
苦しみのなかにある人々の、祈りにも似た、希望の言葉だったんじゃないだろうか。

だからこそ、先人たちも、本当かな?と思いながらも、そうであってほしいとの祈りを込めて、この世は生きるに値すると、次の世代へ語り継いできたんじゃないだろうか。

いつからか、そういう風に思うようになった。

言葉を受け取った者のひとりとして、次の世代へそれを語り継げる人間になりたい。
そう考えて、6年を過ごしてきたが、やはりなかなかに険しい道だ。

生きていくなかでたくさんの理不尽に会う。心無い言葉もかけられる。
自分の愚鈍さ、非力さ、なにより勤勉でなく堕落的なところが嫌でも目に付く。
他人へ迷惑をかけてしまう、大切だったはずの人を悲しませてしまう、自分の言った言葉を自ら嘘にしてしまう。
ニュースをみる。目を塞ぎたくなるような悲惨な狂った事件や、正義ヅラして私刑を執行する烏合の衆。環境問題。国交問題。人口、超高齢化社会。

未来を夢みるには、あまりにも問題が多すぎる。
こんな世の中じゃあ、この世は生きるに値するなんて、とても言えない。

なにより、ぼくが。
ぼく自身が、生きるに値する人生なんて送れていないじゃないか。
社会や、なにより自分自身に絶望して、あぁいっそ死にたい。このまま静かに眠りについて、そのまま息も止まってくれと、そう願った夜もあった。

そして、その翌朝。
幸か不幸か、もちろんぼくの息は止まっていなかった。

だが、昨晩のうちにその悲しみを書きなぐっていたノートを見返したとき。
ぼくは、ひとつの気づきを得ることができた。

そうか。
まずは「自分自身が生きるに値する存在なのだ」と思うことができなければいけないのだ。
そう思えなければ、当然、自分の生きているこの世界も、生きるに値するものだとは思えないだろう。
そして、この世は生きるに値すると、次の世代に語り継ぐことも到底できるはずがないのだと。

よし、わかった。
じゃあ、まずは自分から。
自分自身が生きるに値すると思えるよう、日々を過ごすことから始めよう。

そう考えて、ぼくは次に進むことにした。

それで、ぼくはまず、自分を愛することにした。

自分のなかの嫌なところ、直していきたいところ、もっと成長したいところ、他人に見られたくないところ。たくさんある。

だが、それも含めて自分を受け入れて、自分を愛していく。
そのうえで、より良い自分であろうと日々を重ねていく。
そうやって生きていくことにした。

ナルシストだと思うだろうか、たしかに、自分が大好きだからナルシストだと思う。自覚もある。

だが、ナルシストでなにが悪い?
自分が好きだからと甘やかすのではなく、自分を好きであり続けるために、より良くあろうと日々を積み重ねるのであれば、それは健全なナルシストじゃないだろうか。

そして、いま、ぼくは世界にも同じような目を向けるように心がけている。
世界にどれだけの問題があろうとも、不条理や理不尽があろうとも、それだけをみて絶望するのではなく、それを含めたうえで、受け入れて愛そうとしている。
そして、この世界を愛することができるように、愛し続けることができるように、より良い世界にしていこうと日々を積み重ねているつもりだ。

たとえいまこの瞬間、この世が生きるに値するとは言えなくとも。
それを受け入れたうえで、それでもなお、そうあってほしいと願うことはできるはずだ。

そして、その願いからすべてが始まるはず。
いや、そう願い、そうあるようにと働きかけていくことしかできない。
それ以外の手段を、いまのぼくは持ち合わせていないのだから。

能天気なやつだと思われるかも知れないな。
想像を絶するような、この世の歪み(ひずみ)や澱み(よどみ)にまみれ、身動きの取れない、苦しみの只中にいる人からすれば、恵まれた人間のキレイごとでしかないのだろう。

しかし、だからといって、ぼくはこの世界に対する願いを捨てることはできない。

「ショーシャンクの空に」という映画をご存知だろうか。
とても有名な映画だ。無実の罪で投獄された男が、監獄の塀の中で理不尽や暴力に晒されながらも、決して希望を捨てることなく、最後には脱獄に成功する。
そして物語の最後、塀のなかで友人となったひとりの男と、塀の外で再会するところで映画は終わる。

原作はスティーブン・キングス。
あの「スタンドバイミー」や「シャイニング」と同じ作者だ。

映画のなかでは「希望 = HOPE」という言葉がなんども使われている。

塀のなかで知り合った友人は、塀のなかで希望を持つことの危険性を主人公に語る。希望は絶望にも繋がると。
だが、主人公は希望を持つことを決して諦めなかった。
そして最後まで希望を持つことを諦めなかった主人公は脱獄し、残された友人は国の恩赦によって保護観察付きで釈放されることになる。

…実は原作小説の最後は、映画とは少し違う。
二人の再会は明確には描かれておらず、手紙のやり取りと、友人の一人語りで締めとなる。

Andy's letter ;
Remember, Red, hope is a good thing, maybe the best things. 
And no good thing ever dies.
(主人公アンディの手紙) ;
なぁ、レッド。希望はすばらしいものだ。おそらく、この世でもっとも素晴らしいものだ。
そして、その素晴らしいものは決して死ぬことはない。
Red ; 
I hope I can make it across the border.
I hope to see my friends, and shake his hand.
I hope the pacific is as blue as it has been in my dreams.
I hope.
(友人レッドの一人語り);
うまく国境を越えられることを願おう。
そして友人と再会し、彼と握手ができることを願う。
太平洋の海が、夢で見たのと同じような青さであることを願おう。
そう、わたしは希望する。


希望は、誰かに与えられるものでも、誰かに抱くものでも、誰かに奪われるものでもない。

自分のなかに、自分を主語として、希望を持つんだ。

たとえ、世の中がいかに不条理で残酷で凄惨なものであったとしても。
それでもなおと、自分のなかに、希望を持つんだ。


曰く、この世は生きるに値する。

宮崎駿から、スティーブン・キングスから、その他の多くの先達たちから、ぼくはその言葉を受け取ってきた。

だが、残念ながら、ぼくはまだ "曰く" の頭を外すことはできない。


だから、代わりにぼくは希望を持とう。

この世が生きるに値するものであるようにと願おう。
そして、ぼくたちの人生が生きるに値するものであるようにと願おう。
その願いを、次の世代へ語り継げるようにと願い、行動していこう。

そう、ぼくは希望しよう。

I "hope" our life is worth living.



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