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読む前から感動させる本 〜本にもオーラがあるよって話〜

 本当に素晴らしい本って、ふと手に取るだけで心が震えて、目頭が熱くなる。まだ読んでいないのに(!)、直感で「あ、絶対すごい本だ」というのがわかるんだ。何の前評判も、なくてもね。

今日は、本にもオーラがあるっていう話をしようと思う。


さてさて。おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。

ところで、俺は毎回「スピリチュアルネイティブ」と名乗ってるんだけど、そもそも人間は誰しもスピリチュアルネイティブなんだよな、とは思っていて。縄文時代の頃の遺跡なんか見てると、あの頃は誰でも目には見えないものが見えていたんだろうなって思う。

目には見えないものが見える、って、何も肉眼だけの話じゃない。

肉眼で見るモモ、肌で見る俺

例えばパートナーのモモは、肉眼で結構なんでも見えるタイプ。いわゆるオーラとか、守護してる存在とか、神社に行けばそこにいる神様とか。見える領域も、本人の成長度や器の大きさ、心を癒し、満たせている度合いなんかによって、どんどん深く、広がっているらしい。

俺の場合は、肉眼ではあんまり見える方じゃないんだけど、代わりに肌感覚がかなり強くて、あらゆる気に触れることで浮かぶビジョンによって「見てる」って感じだ。だから、オーラも、触れれば「だいたいこれくらいだな」とか、気の中に詰まってる情報をビジョンで把握したりだとか、そういう受けとり方をする。

余談だけど、俺は肌感覚が敏感なあまり、電磁波もかなりわかる。特に強いものは触れるだけで細かい針が刺さるような感じがしてかなり苦手。一応スマホは持ってるんだけど、基本は持ち歩かない。これを人に話すと、「敏感で大変だね」って言われるけど、俺からすると、あんなやばいもんを頭とか耳につけるって、想像を絶。。。とかは思うよ。

俺は敏感だから「わかる」だけであって、「何も感じない」って人も、同じだけの被害はあびてるワケだからね。

絵画を映画のように見る

まあこれ以外にも色々あるんだけど、そんな感じで、目に見えないものがわかるって、現代を生きるには大変なことも多い。けど、まあ敏感なぶん健康を守れてるって意味では、生き物としては悪くないよなとは思ってる。

それに、うんと素晴らしいもの、素敵なものが発している気にも敏感なので、例えば自然や優れた芸術作品、アーティストが発している気に触れた時なんかは、この体質でよかった〜って小躍りしちゃうよね。膨大な情報量と細やかな粒子の全てを一身に感じることができるから。

例えばパリのオルセー美術館でゴッホの絵画を見た時なんか、たった一枚の絵を見ているだけなのに、まるでクリストファーノーランの映画を見ているような臨場感を味わえた。だってマジで聞こえるから。創作中のゴッホの息遣い、彼の心の声、痛みも、そこにあった快楽も全てね。

読む前から感動させる本


で、前置きが長くなったんだけど。少し前のことだ。本屋で、平置きの本をふと手に取ったら、胸の辺りが震えて、瞼がいきなり熱くなり、うっかり泣きそうになった。まだ、中身を開いてもないのに。

俺はちょっとびっくりして、すぐにモモを呼んだ。

「この本を手に取ったら、すごい体が反応したんだけど。ちょっとオーラ見てくんね?」

「へー」

モモはハイハイ、って感じで、本を棚の隅に置いて、薄目で観察するように本をみた。

「わー綺麗。金色の光の柱みたいなのが、本の上ににょ〜んってたってる」

ここでちょっと解説するが、オーラの多くは丸型をしていて、黄色とか水色とか、色を発していることが多い。例えば人間の場合、魂が腹と胸の間に入ってて丸く光ってるんだけど、その光が体の外まで広がって、いわゆる「オーラ」として見える、ってことらしい(モモ曰く)。

でもたまに、丸型ではなくて柱状に天地を貫いているオーラってのがあって、俺が手に取った本は、まさにそういう本だった。

この日、家に帰っていろんな本のオーラを見てみた。多くは丸型の色付きオーラだったが、確かにうちにも何冊か、金色の柱がニョーっと伸びている本があったんだ。

そしてそれらの本は、既読済みの俺からすれば

「だろうな!!」

って感じの名作ばかりだった。

少し話を戻す。俺は、先述した本屋で見つけた「触れただけで感動した本」を買った。実はこの日、触れただけで目頭が熱くなった本に、二冊も出会えたんだ。

まだ読むのはこれから。とても楽しみ。

ちなみにどちらも、海外の本です。



読んでくれてありがとう。


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