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母の更年期10年間の人生を知り、見えてきた『老年期』という未来

わたしの母は『統合失調症』で8年、入院生活を送っている

なぜ、わたしの母は『 統合失調症 』という病になってしまったのか🤔

病気を引き起こす発端は、食生活が大半を占める

アメリカでは『 統合失調症 』の発症原因は『 小麦グルテン』であることを突き止めている🤔

そして、統合失調症患者のほとんどが、幸せホルモンの1つであるセロトニンが脳内で作られていないこともわかっているのだ

統合失調症の原因が、アメリカでは解明されつつあるのにも関わらず、日本では未だに薬物療法で、その症状を抑えているに過ぎない

一度は回復した母だったが、3ヶ月後に症状が急変し、現在に至る

母と共に過ごしてきた日々の中で、『 統合失調症 』は、母の過去の出来事が引き起こした『 病 』なのではないか🤔

昨年、北海道に帰省した時に、『 母 』がなぜ故郷である北海道を捨てて、関東に移住してきたのか

母の過去を辿る ひとり旅に出たわたしは、母の『 更年期 』という10年間に起きた出来事が『 統合失調症 』の最大の原因であると考えるようになった

女性ホルモンは、人生そのものだ

まさしくその言葉が当てはまるような、母の波乱万丈な過去と更年期について綴ってみたいと思う




▶︎祖母と母


わたしの祖母と母の確執

叔母からそう聞かされて驚いた

母は祖母から『 おまえはおれ(わたし)の娘じゃない 』
いつも喧嘩ばかりしていたそうだ

祖母と仲が悪かった母は、18歳高校を卒業後、札幌へ逃げるように帯広を出て行った

札幌で、プロ歌手を目指しながら、『 ススキノ 』の高級クラブでシャンソン歌手として活動をはじめた

その6年後…、母の噂を聞いた某芸能プロダクションからスカウトがかかり、札幌を離れ東京へ出てきたのだ

スカウトされて東京に出てきたものの、デビューする前に母は『 結婚して家庭に入った方が幸せかもしれない 』と考えるようになったのだとか

そして、知り合いに紹介された相手と結婚をし、わたしが産まれたのだ😌

母からよく聞かされた話が🤔

母は、ススキノ時代に酒の飲み過ぎと不規則な生活続きで『 肝硬変 』を患い、医者から『 死にたくなければ酒をやめなさい 』と言われ、酒を控えていた

ところが結婚をし、ある日のこと

生理がこない、お腹が膨れてきた

…となれば、普通は『 妊娠 』を疑うはずだ

それなのに、母はなぜか🤔『 肝硬変 』再発だと思い込み、『 肝硬変の治療薬 』を飲んだというのだ😂

しかし、一向に症状が治る気配がない😂

医者から言われた一言が『 婦人科行きました?』

そこで母は気づいたらしい😂妊娠?

婦人科での検査の結果『 妊娠6ヶ月目 』に突入していたそうだ

そして、婦人科医に『 肝硬変の治療薬 』を飲み続けていた話をしたところ、『 奇形児 』が産まれてこないことだけ願ってください

…と言われたそうなのだ

仲の悪い祖母は、母が結婚を決め、相手を紹介し、両家の顔合わせの時に『 あんな ろくでもない男と結婚する娘は娘じゃない 』と言い張ったらしい

そして、母の花嫁道具や結婚式の資金を、一切出さなかったそうだ

ひどい扱いを受けていた母だが、お産の時は祖母を頼って北海道に帰省し、無事にわたしが産まれたという話だが

『 奇形児 』が産まれるかもしれない

その不安と闘いながら、無事にわたしが産まれ😌
肝硬変の治療薬の影響を受けていなかったことが、後から分かったのだ


▶︎何度も離婚話を繰り返す わたしの両親


耳を疑うような話がある😳

わたしの父は、わたしが生まれて間もない頃、『 お見合い 』で知り合った女性と付き合っていたという

その後、その女性の耳に『 あの人は既婚者で、つい最近 子供が生まれたばかりだ 』という話を聞き、交際を断ったそうだ( 当たり前だ )

わたしの父は、女癖が悪く、異常だったとしか言いようがない

勤めていた商社は社長が脱税で逃げ、行方不明になり、会社は倒産

無一文になった父は、再就職のために、中途採用募集の会社に1発内定をもらうが最初の給料があまりにも安過ぎて、家族を養うだけの お金を工面できずにいた

母は、札幌から持ってきた大事な家財道具を全て質屋に売り払い、その お金でなんとか、わたしのミルク代を賄っていたそうだ

個人事業主として働いていた母は、ススキノ時代の あの頃を思い出しては、『 甲斐性なしの男と結婚すると、これだけ苦労するから、金の ある男と結婚しなさい 』と わたしにいつも言っていた

母の口癖は、『 お金がない 』

幼少期時代、この言葉で育ったようなものだ

そして、『 結婚は人生の墓場 』と わたしは教え込まれていたのだと思う

わたしの父の家庭もまた、最悪な家庭だった

祖父と祖母は、30年以上ずっと別居生活だった

祖父は東京の下町でひとり暮らし、祖母は父の妹の家に居候をしていた

わたしの父と母は、いつも『 離婚 』を切り出しては喧嘩ばかり

幼い わたしに、その光景を見せてはいけないと思ったのだろうか、父は わたしを車に乗せ、祖母がいる栃木県に連れて行き、2〜3日預けられていた

物心がつく前に、離婚すればよかったものを…

実際、わたしが19歳の時に家庭は崩壊した

早かれ 遅かれ 結末は同じだったと思う🤔

なぜ離婚しなかったのか…と母に尋ねたら『 あなたのためによ 』

すでに、幼少期の頃から両親の仲の悪さは知っており、家族で一緒に過ごすことが苦痛で仕方なかったわたしは、『 離婚 』すればいいのにと思っていたのだ

だが、母が離婚に踏み出せなかった最大の理由は、『 自分の力で稼ぐだけの経済力がないほど、ココロもカラダも弱っていた 』からだろう

わたしが19歳、母は47歳

母は47歳、この出来事がきっかけで閉経したと教えてくれた🤔

母の更年期症状はひどいものだった

わたしは、母のそのカラダの不調は『 鬱 』からきているものだと思っていたが、実際、精神科で治療をしても一向によくならない

原因は、ホルモンバランスの乱れからくる自律神経失調症

そして『 更年期うつ 』だった


▶︎家庭崩壊を機に、母は『共依存』になった


更年期の症状は悪化の傾向を辿り、さらに追い討ちをかけるかのように、母は鬱 』症状が悪化していく

『 あなたがいないと、寂しくて仕方ないのよ 』

わたしが大学から戻ってくると、べったりくっついて離れない

知人と出かけようとすると、一緒に出かけたいと言って、くっついて離れない

当時付き合っていた恋人とのデートでも、一緒にデートするという😂

どこに行っても常に一緒

口癖は『 寂しくてどうしようもない 』

なんと、この状態が20年近く続くという結末である

母に言われ続けた『 あなたがいないとダメなのよ 』

この言葉は、のちに わたしにとって『 母の許可がないと何もできない 』という依存へつながっていく

そして、20代半ばから知人友人がどんどん結婚していく

わたしも当時付き合っていた交際相手と『 結婚 を考えはじめたのだが、相手は『 結婚はまだ早い 』と、なかなか『 結婚 を考えようとはしない

そして、わたしが26歳の時に発症した慢性疲労症候群と母のによって、交際相手の結婚に対する考え方がガラリと変わってしまった

『 結婚したら同居確定だろ?なんとかしろよ、おまえの母親 』

交際相手のほとんどが、同居に対しては反対だった

『 鬱 』と『 共依存 』の親子関係

正直な話、わたしはこの依存関係から抜け出したかった

わたしの慢性疲労症候群も、母のも、互いに依存関係から抜け出せずにいたため、ココロも カラダも 相当な負担をかけたために発症したと、精神科医に言われた

互いに別の生活はできないのかと、その方が お互いのために良いとのアドバイスをもらっていたのだが、その話を聞いた母の一言は

『 わたしを見捨てるのか、このろくでなしが!』

『 今まで どんな想いをして、あんたを育ててきたと思っているの、母親を捨てるとは なんて最低な娘 』だと、母が統合失調症と診断され、入院するまでの間ずっと言われ続けてきたのだ

その後、わたしは若年性更年期障害と診断されるまで、グッと耐えてきた母が わたしに言い続けた言葉は、今も心に刻まれたままだ


▶︎母の入院生活を機に、ひとり暮らしになった


母が入院生活に入り、事実上わたしは ひとり暮らしになった

46歳のわたしは、今も母を憎んだことは一度もない

わたしにとって、関東という縁も ゆかりもないこの街で、たったひとりの身内であり、母親だからだ

精神科医に言われたのは

『 あなたのココロの傷は、あなた自身の力で癒していくしかない 』

『 若年性更年期障害 閉経 という形で、表面上に現れたココロの傷なのだ

統合失調症という病は、本人は自覚症状がない

自分の頭の中で見える光景全てが真実である

入院する前までの、過去の辛い出来事を思い出すのだろう

その過去の出来事に別の過去の出来事が混ざり合って、別の物語が出来上がっているのだ

統合失調症の患者とどう向き合っていけばいいのか、最初は戸惑った🤔

だが、入院先の看護師が わたしに教えてくれた😌

『 絶対に否定しないでくださいね 』

面会時間は30分

母は早く退院したいと、わたしに切に訴えてくる

『 もう退院していいって先生が言っているから、そろそろ準備しないと 』

面会に行くたびに、荷物をまとめて一緒に出て行こうとする😂

コロナを機に、もう5年近く外出をしていない母は、『 完全な浦島太郎 』状態だろう

母が好きだった店は全て閉店してしまっている

街の風景もガラリと変わってしまった

母がいずれ退院して、また一緒に生活することを見込んで引っ越したマンションには、たった1度だけ2泊3日の外泊が許された時だけ

ここだけの話、今まで共に住んでいたアパートではない、見知らぬマンション

1泊しただけで症状が悪化してしまい、外に飛び出してしまったのだ😔

それ以来一度も訪れず、共に生活することもなく、わたしは離婚し、別のアパートに引っ越してしまった

母とわたし、性格も考え方も真逆

母は『 更年期 』という10年間、人を恨みつらみ、憎しみだけ抱え続けた人生を歩んでしまった結果、『 統合失調症 』という形でカラダに現れてしまったのだと思う


▶︎過去の辛い経験しか覚えていない


面会で母がわたしに話すことといえば、過去の辛い経験ばかりだ

そして、離婚後の わたしのことを心配していた

『 この先、新しい人と結婚をして幸せになってほしい 』

母はわたしに『 普通の人と結婚をし、子供を産んで、家庭を築いて欲しかった 』と言ってくる

それが本音なのだろう🤔

結婚は人生の墓場と幼少期からずっと聞かされ続けてきたわたしだが、母は実際『 娘には幸せになってほしい 』という母心がようやく見えるようになってきた

父方の祖父から、『 本家を受け継ぐものは男子でなければならない 』

その言葉がずっと、幼少期から刻み込まれてきたため、わたしは『 女性性 』であることを否定し続けてきた

わたしは、強くならなければならない

そう思い続け、必死に生きることにしがみついてきたわたしは、『若年性更年期障害』を発症するまでの38年間という人生の中で、それを脳は受け入れるかのように『 閉経 』という道を選択したのだろう

『 女性 』である必要はない、と言わんばかりに

わたしが更年期で治療中の身であることを、母に明かしたところ🤔

『 更年期でわたし、死にかけたのよ 』と言ってきた

よっぽど辛かったのだろう

死ぬところだった と言い続ける母😂

婦人科で治療をしたから『 助かった 』と言っていた

そんな母の今までの辛い過去を知りたい

そう思いわたしは、昨年36年ぶりに北海道へ帰省した

叔母と会うのは16年ぶり

叔母は何度か東京に訪れており、再会している

祖母に母の状況を伝えたところ、わたしに全てを打ち明けてくれた

祖母と母の確執のこと

祖母から大事にされてこなかったこと

そして、祖母が母にいつも言っていた言葉

『 おまえみたいな娘は、おれ( わたし )の娘じゃない!出ていけ 』

思えば、母と喧嘩するたびに同じセリフを言われ続けていた

あぁ、育った環境が そのまま引き継がれているのだと、わたしは思ったのだ

わたしが子どもを産むことを拒んだ理由😌

まさしく、これだと思ったのだ

『 わたしの代で、この負の連鎖を断ち切ろう 』


▶︎銀座という街で、わたしは生きる術を知る


31歳、会社をリストラされ、1年半の無職生活の中で、生きるためにはじめた銀座ホステス

10年間で学んだことは『 生きる術 』

田舎育ちのわたしは、人付き合いが本当に下手だった😂

だが、銀座ホステスを続けていくうちに、わたし自身を成長させてくれた

昔から わたしを知っている知人が、考え方が変わっていく様を見て

『 ともちゃんは、もう考え方も 何もかも東京の人になったんだね… 』

ぽつり、寂しそうに言ってきた

統合失調症の母を抱えて、わたしは どう生き抜いていけばいいのか

生きる術を身につけること

それしか、わたしに残された道はなかった

そして、母が入院していること、統合失調症であることを打ち明けることをやめた

今まで、母の話をするだけで嫌がられるからだ

理解されることは決してないわけではない

だが、統合失調症に対する偏見があることもまた事実である

30代の頃は母の病の話をするだけで、去っていく人が大半だった

理解されることはない『 統合失調症 』という病は、日本国内では患者数が年々増え続けていることをほとんどの人が知らない

母の話をするだけで、『 大変ね 』で終わる

それでいい😌

母の過去を知り、わたしは母と同じ運命を辿るつもりはない

母の人生を知り、それを教訓にし、わたしは わたしの人生を歩むだけだ

わたしを産んでくれたことに、感謝している😌

そして、わたし自身、自分の人生を恨んだことはない

自分で選んだ人生だからこそ、これから先の『 人生 を豊かなものにするために、日々精進するだけなのだ

何があっても、わたしは自分の信念を貫く覚悟で、これからもメンタルとマインドを磨き続ける( 魂を磨く )ことこそが『 母への恩返し 』だと思っている

『 母が わたしに願った幸せ 』とは程遠いものかもしれない

だが、娘のわたしは、今がいちばん幸せだと😌母に伝えようと思う

そして、母と共に故郷の北海道に帰る日を夢見て




佐方ともみ 
美容業界28年目 エステティシャン
IOB認定オーガニック専門家
食べて痩せるオーガニックダイエットBioeat(ビオエット)®︎協会代表
フェミニンケア×更年期プラクティショナー養成講座主宰兼講師


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