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家族は未だ有効か?--エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の想い出』

 『エドワード・ヤンの恋愛時代』が4Kリマスターされたり『ヤンヤン 夏の想い出』がリバイバル上映されたりと、2023年はエドワード・ヤン再評価の波が押し寄せていた。本国、台湾でもエドワード・ヤンの大規模な展示イベントが催されていたようで、アジア全域で彼の映画を再発見しようという気運が高まっているといえるだろう。

 というわけで私もその流れに便乗しちゃおうと思う。今回取り上げるのはエドワード・ヤンの代名詞的作品ともいえる『ヤンヤン 夏の想い出(2000)』だ。

 ※以下ネタバレ注意!!

エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の想い出(2000)』

 結婚式に始まり葬式に終わるこの映画は、それ自体が何か巨大で複雑な生命体であるかのように胎動している。印象深い映像の蓄積の最果てには、「何かすごいものを見た」という漠然とした感慨が待ち受ける。とてもじゃないが一度見た程度では系列の全てを語り尽くせない。…のでわかる範囲で書けることを書く。

 既に多くの指摘がある通り、本作は小津安二郎の家族映画をその範型としている。小津の家族映画は、家族なるものの礼賛ではなく、そうした関係単位が生み出す悲喜劇をフラットに描き出すことに重点を置いた。そうすることで、家族なるもののイメージに纏わりついていた過度にヒューマニスティックで感傷的な色調は剥落し、強固な社会構造・制度としての「家族」が現前する

 小津の家族映画ではさまざまな経緯で「家族」の奇妙さ、理不尽さが顔をもたげるが、それらは最終的にはある種の諦観とともに「家族」の構造の中に呑み込まれていく。彼はそのことを良いとも悪いとも明言しないが、どちらにせよ「家族」がいかに強力で支配的な関係単位であるかは明白だ。

小津安二郎『晩春(1949)』
妻に先立たれた孤独な父親(笠智衆)を前に、結婚するか否かを決めかねる娘(原節子)の苦悩が描かれる。

 エドワード・ヤンが試みたのは「家族」の強さ・支配性の再認だ。小津安二郎からいくらかの時を、あるいは物理的距離を隔てた今ここ(2000年の台湾)においても「家族」は有効であるのか?

 結論から言えばそれはまだ有効だ。どれだけ不安材料を投下しようが、「家族」は揺らぐことがなかった。それは結婚に始まり葬式に終わる、すなわち「家族」のイニシエーションに始まり「家族」のイニシエーションに終わる本作の筋立てが証明している。

冒頭の結婚式シーン

 ヤンヤンの家族は各々が不安を抱える。ヤンヤンの両親の場合、それは生活への物足りなさだ。ミンミンは同じような毎日の連続に嫌気がさして奇妙な新興宗教にのめり込み、遂には家を出ていく。NJはアメリカに行った昔の女(シェリー)と結婚式でたまたま再会し、日本出張にかこつけて彼女とひとときの夢を見ようとする。しかし彼は最後までシェリーの求愛を真っ向から受け入れることができないまま帰国する。しばらくしてミンミンが家に帰ってくる。宗教に救いを求めた彼女もまた、結局それが何にもならないことを悟ったのだ。

 ヤンヤンの姉ティンティンは、祖母が交通事故に遭った理由が自分にあると思い込み不眠症を拗らせる。それゆえかいかにも情緒不安定そうな青年(ティンティンの女友達のボーイフレンド)と恋に落ちてしまうのだが、最後は青年の方から拒絶される。なお青年はその後で凄惨な殺人事件を起こす。もしティンティンが自暴自棄になりきれてしまっていたならば、青年の不安定な殺意の矛先は彼女だったかもしれない。ほどなくティンティンの祖母が死ぬ。しかし死に際に祖母はティンティンのことを許す(あの蝶々はたぶん許しの象徴だ)。それによって家族疎外の不安は払拭され、ティンティンは再び「家族」の中に戻る。

 このように、ヤンヤンの家族たちは紆余曲折を経ながらも最終的に「家族」の枠組みの中へと再帰していく。しかしより重要なのは、彼らの再帰の理由に何一つポジティブな色合いがないという点だ。

 NJはシェリーと破局したがゆえに、ミンミンは新興宗教の欺瞞に気が付いたがゆえに家に戻ってきたに過ぎない。ティンティンは祖母からの許しを希求していることからもわかるように、比較的最初から「家族」への再帰願望が強かった。しかしなぜ再帰したいのかはわからない。父も母も彼女のことをあまり構わない(そもそも家にいない)し、彼女もまた家の外でどれだけ悲しいことがあっても、家族に相談するよりは自室で孤独に泣き暮れる道を選ぶ。

 こうした理由の不在は、逆説的に「家族とはそこまでして保持すべきものなのか?」「保持するだけの価値があるのか?」といった根底的な疑問を突きつける。小津作品においてはフワッと暗示されるにとどまっていた問いが、本作においては徹底的な理由の不在という形でかえって強調されている

 「家族」は今ここにおいても依然として有効だった。しかもかなり強力に。しかしそこに内実はあるのか?既に形骸と化しているのではないのか?エドワード・ヤンはそういうことを問いかけている。

 こう考えてみるとなんとも暗い主題の映画だが『牯嶺街少年殺人事件(1991)』ほど陰鬱としていないのはやはり主人公・ヤンヤン少年のおかげだ。彼の無邪気で芯を食った物言いは作品世界に光明をもたらす。彼ならば、互いにそれを無意味と悟りつつも「家族」ゲームを続行しようとする父や母や姉やその他親族に向かって「家族に何の意味があるの?」と問いかけることもできるはずだ。

エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件(1991)』

 家族たちの苦悩をよそに性欲に目覚めたり写真を撮りまくったりプールで溺れたりしている彼を見ていると、こいつなら何か解決の手立てを思いついてくれるんじゃないかという希望が湧いてくる。

 以下余談だが、エドワード・ヤンにとっての台湾・日本・アメリカの三者関係は『台北ストーリー(1985)』と同様だ。利益第一主義のネオリベであるらしいシェリーの夫はアメリカ在住。やり手の仕事人だが仲良くなった相手にはとことん優しい大田は日本人。そして大田より単価の安い取引相手を勝手に見繕ってきた同僚に向かって「お前らに誇りはないのか!」と喚き散らすNJは台湾人。

 アメリカ、日本、台湾の順に経済的繁栄のグラデーションは薄まっていくが、人情の厚さは濃くなっていく。それゆえか人情の全くない、すなわち他者世界の存在しないアメリカは、作中で実際に映像として映し出されることがない。一方で日本が何度も登場するのは、日本が人情の余地を半分だけ残した場所であるからだ。

エドワード・ヤン『台北ストーリー(1985)』

 台湾の人々がなぜ日本人たちと割と友好的に接してくれるのか、私は常々理解ができなかった。しかしエドワード・ヤンの作品を見ていると、台湾の人々が生き急いで人間らしさを喪失したアメリカよりも、適度に人情の風土を残しながらも経済成長を実現した日本のほうをより目指すべきロールモデルと認識したからなんじゃないかという気がしてくる。

 とか何とか言って、今はもう全然ダメですけどね…日本😢

 今回はこのあたりにしておきましょうか。最後までお読みくださってありがとうございました。

記事:岡本因果(映画館&バー「第8電影」支配人)


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