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テロと民主主義。和歌山と奈良から感じる薄気味悪さ。

   今日の午前11時ごろ和歌山県和歌山市の雑賀崎漁港で首相に向けて発煙筒のようなものが投げられる事件が発生した。昨年発生した安倍元首相銃撃事件を想起させるような事件だ。

   背景に何があったのか気になる。というのも安倍元首相の銃撃事件の際は、犯行に及んだ山上容疑者の動機が安倍元首相と旧統一教会の関係性に関連していた。一度に大きく全国報道されたことで世論が動き、政治家や行政も対応に追われることになった。

   現在も拘留中の山上容疑者を巡っては裁判を前に殺害行為自体が「社会に問題提起した」として致し仕方が無かったものだと受け取り、支援する団体や運動も存在する。

   しかし、このような行為で国家政策や社会の現状が実際に変わってしまうのは、現実として日本の民主主義社会や制度を根幹から揺るがしかねないと私は考える。

   ともあれ現在は犯人を取り調べ中であるため何も分からない。今一つ待つ必要が在るが、現役首相や元首相といった国のトップの演説中や外遊中に爆発事件や銃撃事件が立て続けに発生する状況に薄気味悪さを感じたのは私だけだろうか。

   戦前陸軍青年将校は皇道派を名乗り2・26事件や5・15事件といった事件を引き起こし、高橋是清大蔵相や犬養毅首相、原敬首相の暗殺といったテロリズムが蔓延っていた時期がある。

 世界恐慌により経済不況に陥った中で社会に鬱屈した空気感が溜まり、議会や言論機関の価値が低下していた。

   現在と共通する状況でもある。経済が沈下し、社会の不正がなあなあにされ、民主主義が機能しなくなり、国家の風通しが悪くなっている。鉄砲や爆弾じゃないと、社会変革や問題解決ができないと考える人間が少なからずいるのかも知れない。

   議論闊達で国民に耳を傾けられる政治がなく、恣意と権力に委ねられた政治に万人が飽き、選挙で世の中を変えることより一番最悪で単純な方法が見つかってしまった。

 原因には安倍元首相の統一教会問題についての報道と現在までの政治の動きができたきっかけに、テロが関わってしまったという事実がある。
  
 そしてその背景には長期政権で対抗野党の印象操作を続け、後背に統一教会、不正行為は無かったことにし、閣僚官僚が腐敗してきたことが挙げられる。

 社会問題を変えるために政治に声を上げられない何も変わらない。鬱屈した社会はテロリズムを生んだ。

 不正行為追及や社会弱者の声に耳を傾けず、政策立案に抵抗し、国家を私物化する自民党や、三権分立が機能を果たさざる状況が続いていること。それから社会全体が新自由主義に犯され自己責任論に基づいた世論が正当化されている。

 これら全てこの国を崩壊に至らしめんとする病理であると思う。ここにおいてはメディアが組織ジャーナリズムをして、果たすべき役割は重大になってきている。

 もはや権力監視の組織としての対抗馬はメディアでしかなく、今それも砂上の楼閣だと感じる。もっと社会に政治に現状に国民が向き合わなければこの国はいずれ10年もせずに国家制度と秩序が崩壊してしまうのではないかと危惧する。

 安倍元首相の事件の後、「後に続く者が出てくるだろう」と薄々は感じ取っていた。だが、この様に早く事件が起きるとは思っていなかった。呆然とするしかない。

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