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どうして私は明るい記事を書けないのだろう。。。

noteを始めて、来月で1年になる。
1年近くにもなるというのに、私はこの1年で成長がどれだけあったのだろうか?
正直言って、微々たるものだと思う。
わずかに客観性が生まれ、多少、冷静さが備わってきたか?ぐらいなものである。
なによりも変わってないのは、私はほとんど明るい記事を書けていないことだ。

どうして私は明るい記事を書けないのだろう。。。

フォロワーさんの記事を読ませて頂くと、皆さん、バラエティに富んだ記事を書いていらっしゃる。
趣味のこと、料理のこと、仕事のこと、子育てのこと、旅行のこと、美味しい物を食べに行ったこと、などなどが、写真と共に、時にジョークも交えながら、実に生き生きとした雰囲気で紹介されている。

いいなぁ、私もあんな記事を書いてみたいなぁ、明るくて楽しい記事を書いてみたいなぁ、と常に感じている。
ならば、書けばいいのに、残念ながら、ネタも文章も浮かばないのだ。
私が、ネタや文章が浮かぶのは、思考を必要とする事柄が起きた時がほとんどだ。

なんとまあ、地味な記事だろう。
癒し効果、娯楽性、エンタメ性などが低い、私の記事を、読みに来て下さる方々は、本当に貴重な存在だと思う。
こんな感じの記事を、過去に数えきれないほど書いてきた。
その都度、励まされ、そうですねと納得するのだが、結局はいつも同じところでつまずいてしまうというか、心に引っ掛かりを覚えてしまう。

私は、変わりたいのか?変わりたくないのか?自分でもよくわからないのだ。
少し前、抽象的に書くという手法で、少しばかり、これまでの文体を脱してみた。
それはそれは、気持ち良い感覚(解放感)があった。
しかしながら、それは、私の中で、書けそうなテーマがあったからだ。

いつもいつも、そんな感じに書けるわけではない。
抽象的に書くことは楽しかったが、書けそうなテーマがなければ、なかなか気持ち良く書く(解放感)には至らない。
書くことを考えすぎなのだろうか?
そもそも、私は生きることを考えすぎだから、書くことまで考えすぎという状況を作り出しているのかもしれない。

こんな私の記事やコメントを読む皆さんは、ちょっとした窮屈感を感じてしまっているのではなかろうか?
とまあ、また私お得意の、気にしぃを発揮した思考展開となるのであるが。

記事を書くのは楽しいのだが、長くいると、妙なコンプレックスを増幅させてしまっている気がする。
私はnoteにいていいのかしら?
noteにいることは、自分にどういう役割をしてくれているのかしら?
自分は、noteで、何を得ようとしているのかしら?

そんな、とりとめもないことをまた考えだし、夜が更けるどころか朝を迎える時間に近付いていくのである。


石井さん、色っぽい~、あ~、カッコいい~😍

私が見てた時は、岡まゆみさんがお姉さんだったなぁ🎶

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