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【ザ・辞世】 第4回「旅に病んで…… 松尾芭蕉(前編)」

旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

中公新書「辞世のことば」中西進著

 この名句は、世に言う「字余り事件」に尽きる。

 タビニヤンデ(六文字)
    ユメハカレノヲ(七文字)
       カケメグル(五文字)

 初句が、五文字ではなく、六文字で字余りである。
 未必の故意……。
 それは、確信的犯行であった。

 *  *  *

 騒然とする忍者の里、伊賀。
 押しかけるマスコミ……。

 ——伊賀警察署前からお送りしております!
 ああっと、今、松尾芭蕉容疑者が警察車両から降りてきました!
 今朝、捜査員が容疑者宅に赴き、逮捕状が執行されました!
 警察庁は、この事件を、東北をはじめ全国に亘る特別広域事件に指定しています!
 これを受けた三重県警は、特別捜査本部を設置して松尾容疑者の足取りを追っていました!
 前代未聞の「字余り事件」、容疑者の逮捕で事件は解決に向けて大きく前進するのでしょうか?!
 現場からは以上です!

 *  *  *

 送検される、松尾容疑者……。
 そして、起訴……。

 *  *  *

「松尾さん、これ、あなたの犯行ですね。罪を認めますか?」
 被告席の松尾に、短冊の該当箇所を見せながら、検察官、田島紳助は罪状の認否を問うた。
「……」
 黙秘を貫く松尾。
「沈黙は肯定と取られますよ……」
「異議あり!
 被告人は黙秘権を行使しているに過ぎず、検察側の主張は裁判官に要らぬ心証を与えます!」
「異議を認めます。
 検察官は事実に基づいた尋問を行うように。速記者は先ほどの検察官の発言を削除すること……」
 緊迫する、法廷。
 固唾を飲む、傍聴席。
 沈黙を守る、松尾……。

 *  *  *

「さて、松尾さん……」
 一拍をおいた検察官は、ここから畳み掛ける。
 初公判、罪状認否から、数ヶ月。
 彼は自信を深めていた。
 腕を捲って立ち上がると、被告席の傍に立った。
「いいですか、松尾さん。
 あなた、初句の、「旅に病んで」は、意図的に字余りにしていますね。
 普通であれば、「旅に病み」で良かったはずだ。これだとちょうど五文字に収まる。
 でも、あなたはそうはしなかった!
 ……一体、何故です?」
「……」
 あくまでも沈黙する、松尾。
「なるほど。いいでしょう。なら、私が代わりにお答えしましょう。
 それは、被告人が、ファンを半永久的に繋ぎ止めようと意図していたからです!
 だからあえて、字余りにしたのです!」
 さらに、田島紳助検察官は、被告席に手をついて捲し立てる。
「「旅に病み」、つまり、五文字では、そうはいかなかった。
 リズムが良すぎて、結句までサラッと読めてしまうからです!
 これでは余韻がファンの胸に留まらないのです!
 つまり、自分の存在が人々から忘れられる……。
 これを恐れた被告人は、大胆にも、わざと字余りを演出し、犯行に及んだのです!」
 どよめく、傍聴席。
 胸を張る、検察官。
 沈黙する、松尾……。

 *  *  *

「検察側の主張は、憶測に基づくものであり、被告人の創作活動に対する、過度な干渉にあたり、到底看過できません!」
 必死の防戦をする、弁護人。
「検察官は、証拠に基づいて尋問をするように」
 ざわめく法廷を宥めるように静かに促す、裁判官。
「分かりました。裁判官。
 では、こうお尋ねしましょう。
 松尾さん、あなた、旅……、お好きですか?」
 松尾の眉がかすかにこわばる。
 公判が始まって以来、終始、無表情、沈黙でとおしていた松尾。
 その異変を、検察官、田島紳助は見逃さなかった。
「……」
「私はね、あなたの「奥の細道」を愛読してましてね。なんというのでしょう。鳥のさえずり、小川のせせらぎ、古人(いにしえびと)の息遣い……。
 ふと気がつくと、すべてが、この手のひらに小さな宇宙となって載っかっているのです。とても不思議で、心地よい世界です……」
「……」
 松尾の固く握られた拳から、汗が滲む。
 その拳を一瞥して、田島は勝負に出た。
「私は、確信しました!」
 静まり返る、法廷……。
 田島は、松尾の耳元にかがんだ。
 ——しまった!
 弁護人は、検察官、田島紳助のいつもの手口に警戒はしていた。
 だが、先手を打たれてしまった。抗議しようと腰を上げるが、もう間に合わない。
 それを尻目に田島は、松尾の耳元で囁いた。
 彼だけに聞こえる調べで………。

 ——旅は……、松尾さん、あなたのことを愛していますよ……。

 刹那、静寂が法廷に佇む……。

 次の瞬間、その叫びは、法廷のステンドグラスを激しく振るわせた。
 傍聴席は、ちゃぶ台をひっくり返したような騒ぎとなり、記者たちは、一刻も早くこれを伝えようと、次々と法廷から飛び出す。

 ——わっ、私が、やりました……!

 絶叫する句聖。
 松尾が、紳助の軍門に降った瞬間であった。

 *  *  *

「被告人、松尾芭蕉は、いたずらに読み手を自らの世界に引き摺り込み……、つなぎ止め……、
 その犯行は、極めて自己中心的で悪質……、
 一方で、反省の……、
 よって、被告人に対して、懲役X年を求刑します」

 *  *  *

 主文、被告人、松尾芭蕉を懲役X年に処す……。

 *  *  *

「あっ、芭蕉ちゃん!」
「芭蕉パイセン、お疲れ!」
 松尾は、刑期を終え、娑婆に戻ってきた。
 出迎える、白ギャルのハルカに、黒ギャルのモナカ。

 ——みんな元気そうやなぁ。

「当たり前じゃん! ウチらそのぐらいしか取りえないしぃ!」
「そうそう! ノリで天下統一したしね!」
 そこに、箱庭こと私が割って入る。
「お前らアホなんやから、芭蕉先生に失礼のないようにせえよ」
「うわ箱庭、上から目線、引くわー」
「箱ちゃん、そんなんだからチ◯ポ短いんだよ」

「黙れ! 鱧ギャルども!」
(鱧ギャルについては、前回参照)

 ——まあまあ、みんな仲良さそうで安心したわあ。

「ところで先生」
 私は切り出した。
 やはり、裁判の結果について、私は納得がいっていなかった。
 作家が読者を魅了して何が悪い。本分を全うして罰せられるなんて、本末転倒である。
 そのことについて松尾に熱っぽく語った。
 だが、松尾の答えは、想像の斜め上をいっていた。

 ——まあ、落ち着いてえなあ、箱庭ちゃん。あのな、ここだけの話にしといてな。実は、あの句には、もう一つ秘密があるんや……。

 えっ、マジ?!

 あの「字余り事件」のほかに、句聖は、別の秘密を仕込んでいたというのだ。

 私は、取り急ぎ、当面の仕事をすべてキャンセルすると、鶴橋の焼肉店に予約を入れた。
 夕暮れ時の、大阪、南森町。
 生野、鶴橋、四人で囲む、熱い鉄板、嵐の予感……。

 後編に続く……

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