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本当にすごい人はすごそうに見えない


2024年3月3日(日)朝の6:00になりました。

シンプルであることは、複雑であることよりも難しい。

どうも、高倉大希です。




気持ちよく話せるのは、相手が自分よりも優秀な証拠である。

相手の聞き方が上手だからこそ、自分が気持ちよく話せるというわけです。


争いは、同じレベルの者どうしでしか発生しない。

これもまた、同様の考え方から生まれた言葉だと思われます。


本当にすごい人は、話している最中に相手の思考を追い越します。

その上で、まるでずっと隣にいるかのような相槌を打ってくれるのです。


なんとなく「右へ行くのかな?」と仮説を立てました。でもこの時点ではあくまで仮説でしかありません。大きな字で「右へ行け」と書いてあるわけではありませんから、仮説には正しいはずだという確証も自信もありません。(中略)その直後、右から出てきたクリボーに気づきます。右に行くという行動が正しいかどうかという不安の中、クリボーに出会ったら......さあらあらためて問います。クリボーを見つけたプレイヤーがよろこぶ理由とは?こたへは「右へ行って正解だった!と、よろこぶ」です。

玉城真一郎(2019)『「ついやってしまう」体験のつくりかた』ダイヤモンド社


ゲームをつくる人は、プレイヤーが喜ぶ姿を想像してプログラムを組むそうです。

自分たちがつくったゲームで楽しんでほしいという、極めて純粋な想いです。


しかし、実際に注力するのはプレーヤーが喜ぶ瞬間のプログラムではありません。

それより前に、どんな仕掛けを施すかが重要だというわけです。


喜ぶ姿から逆算して、必然性をつくります。

プレイヤーの思考を追い越して、喜びをつくるのです。


いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。

古賀史健(2021)「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」ダイヤモンド社


だからといって、意図が見え透いてはなりません。

ウケを狙いすぎた発言が、まったくウケないのと同じです。


相手を思いどおりに動かしてやろう。

そのような発想ではうまくいかないところも、とてもおもしろいポイントです。


だから、本当にすごい人というのはすごそうに見えません。

本当にすごい人のすごさは、巧妙にカモフラージュされているのです。


つまり、才能とうのは、「ご褒美を見つけられる力」のことなんじゃないだろうかと。「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。

ほぼ日刊イトイ新聞(2019)「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた」ほぼ日


自己顕示欲がどうのとか、承認欲求がどうのとか。

そんなことを言っているうちは、まだまだなのだろうなと思います。


この世の中、すごい人だらけです。

そしてくり返しになりますが、そんなすごい人のすごさはすごそうに見えません。


いやいや、実際にすごくもなんともないんだよ。

すごい人は、いつだってこう言います。







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