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365日、書きました


2023年12月31日(日)朝の6:00になりました。

書けど書けどなお、我が暮らし楽にならざり。ぢっと手を見る。

どうも、高倉大希です。




気がつけば、年の瀬です。

2023年1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど365日が経過しました。


きっと毎朝書き続けられるだろうと高を括っていましたが、案の定書き続けることができました。

自分よりも前に書き続けていた人たちが、ハードルを下げてくれたおかげです。


書けど書けどなお、我が暮らし楽にならざり。

そんなことを言いつつも、じつはちょっとだけ楽になっているのかもしれません。


書くときのぼくたちは『手を動かすこと』が面倒くさいんじゃない。『頭を動かすこと』が面倒くさいんだ。なにかを書くためには、それについて真剣に考えなきゃいけない。その手間を、みんな面倒に感じているんだ。書くことは、考えることだからね。

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


書くことは、考えることです。

毎朝書くと決めていたおかげで、考えることをやめずに済みました。


毎朝ちょっとずつ考えているので、その蓄積がいろいろな場面で活きています。

何かに直面してから、あわてて考えはじめる必要がないわけです。


何よりも、自分が書いた文章を読み返せるところがとても大きな強みでした。

何言ってんだこいつは」という要素を、いち早くメタ認知することができます。


どんな仕事でも、とにかく毎日、一〇年やったらモノになる」と言いましたが、一〇年以上やっている人は、まず、「自己評価が正確である」と言えるんです。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


読んでくださっている方の声を聞くと、どうやら自信家だと思われがちです。

きっと、言い切ることが多い文体の影響です。


365日目にして断りを入れておくと、自信なんてこれっぽっちもありません。

むしろ、きっと間違っているのだろうなと思いながら書いています。


いま考えていることなんて、どうせ未来には変わっています

だからこそ、妙な謙遜など捨てて堂々と書いています。


なにかがガラッと変わるときというのは、いろんな関係なさそうな要素が、複雑にからみあって、ちょっぴりずつ流れをつくっていくものなんだと、ぼくは思っている。

糸井重里(2004)「ほぼ日刊イトイ新聞の本」講談社


何かが、突然変わることなんてありません

同時に、何もせずして変わることもありません


毎朝6:00に書いています

ずっと考え続けています


よいお年をお迎えください。

また明日、朝の6:00に会いしましょう。






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