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12月9日(土):「孤独」や「居場所」について、ローカルなフィットネスクラブからの模索⑥

今週は「『孤独』や『居場所』について、ローカルなフィットネスクラブからの模索」と題したことを記しています。

こちらはWHOが「孤独を差し迫った健康上の脅威」と位置づけたことに端を発したものですが、孤独のケアには物理的距離や心理的距離といった「一定の近さ」が必要になるから、ローカルでの取り組みが不可欠です。

そしてローカルな問題、ローカルな取り組みとして自分たちに引き寄せて考えていくことで、地域や自分の居場所からできそうなことが見えてくる面もあって、私たちはスクール制の小型フィットネスクラブを運営する民間企業としての模索になります。

これまでは居場所の定義でもある「主観/客観的承認」や「他者との関係性の有無」の観点から「お客様とトレーナーとの関係性」、「お客様同士の関係性」について触れてきました。

それらによってフィットネスクラブが関係性をつなぐ結節点になり、その地域のコミュニティになっていくのが理想です。

本日はこれに付随した話ですが、このコミュニティがメンバーの方々にとっての望ましい場、つまりコミュニティがコモンズ(共有財)であるために必要な要素はそこに属する人にコモンセンス(良識)だと思っています。

例えば他者の迷惑を省みない身勝手な振る舞いをしてしまう人、軽はずみな言動で他者の気持ちを踏みにじる人、他者への配慮が欠けて自分だけの利得を最大化しようとする人、批判だけは口にするけど代替案もなく、自分が手足を動かすこともしない人、このような人が多くなれば、どうしたってそこは居心地の悪い場所になっていきます。

これとは反対に自分の言動に責任を持つ人や他者への配慮ができる人など、コモンセンスのある人で占められているコミュニティは本当に気持ちの良い場です。

こうしたコモンセンスは本来的には誰しもが持っているものですが、状況によってそこに影を落とすことも出てきます。

そのひとつは一昨日に触れたような共同体の規模がそれにあたり、自分以外の他者しかいない空間では他人に無関心になりがちだし、「自分さえ良ければ」といった心理も働きがちです。

さらに昨今の「タイパ」や「コスパ」志向で、時間にしてもお金にしても徹底的に無駄を省いて効率を良くして、できるだけ多くのリターンを得ようとする発想ばかりに陥ると、誰かのために何かをすることが損得勘定でしか捉えられなくなっていきます。

こうなっていくとコモンセンスよりも、欲求やエゴがそれを上回っていきやすくなります。

そうならないための環境設定のひとつが、これまでにも触れてきた「互いの顔の見える関係」です。

互いに相手を良く知る間柄、そうした人が集う場では、誰しも自分の言動・行動が責任を伴ったものになっていくし、配慮も生まれやすくなります。

こうしたコモンセンスをもったコミュニティの先では、他者への配慮や温かな眼差しを通じて「ケア」へとつながっていく余地が出てきます。

このケアもまた物理的距離、心理的距離の「近さ」が必要で、ローカルのなかでの取り組みが前提になります。

以前に読んだ書籍「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」は精神科医の方が複数の自殺稀少地域(自殺者が少ない地域)を訪れたルポですが、前述したような適度な近さが孤独を和らげる点に触れているし、良い意味での「お節介」や人助け慣れしている人が多いこともあげていました。

そのような地域におけるケアにまで発展していくには長い時間を要するでしょうが、少なくともフィットネスクラブにおいて「互いの顔が見える関係」を構築していくことが、良好なコミュニティにつながっていく面は多分にあると思っています。

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