note_h_2-その1

妖精王の憂鬱 −その1

 

 「こっち?」

 「そっちじゃない、こっち」

 「こっち?」

 「だから、そっちではない。こっちだって!」

 「もーっ、こっちってどっち!」

 草むら影から小さな声が聞こえる。人間ならば耳を澄ませていても、到底、聞き取れないほどの小さな声。そんな声がする。一面にスズナがひしめき合い、争うように逞しく自生するハコベの隅、さらにその葉の裏の影。そんな場所で、小さな声がする。

 ハースハートン大陸ラームから西、ハイドランド遺跡をぐるりと囲うようにして膨大に広がる太古の森にほど近い一端に、妖精たちの住まう王国がある。

 在る、といっても、それはレムグレイド王国付きの大魔道士アリアトの書籍にそう記されているに過ぎず、他にそれを確認したという報告は未だに成されてはいない。

 それでも人々がその存在を信じていないといえば、そういうわけでもなく、では妖精が非常に稀少な生物なのかと問われれば、それさえも否である。

 つまり、妖精とは生来がそういった属性を持つ生き物であり、脆弱な妖精たちが太古から滅びずに過ごして来れたのも、その、ある種の特殊能力に依るものとも云えた。

 要するに、妖精とは、人間たちにとっては名も知れぬ珍しい虫のような存在であり、そのような、役にも立たない虫けらの名前や生息地などをこぞって知ろうと考える物好きな連中は、ベラゴアルドにおいては魔法使いくらいのものなのだ。

 「おい、ファフニン。ハイドランドに向かえと言っているのに、さっきからどんどん逆に進んではいないか?」

 「えー。進んでるもなにも、スズナの森からぜんぜん脱出できないよぉ」ファフニンと呼ばれた妖精が言う。妖精は背中に古ぼけた人形を背負っている。

 「そりゃそうだ!妖精の足で進めるわけがなかろう!早くグリフィンでも見つけて、翼に潜り込むのだっ!」その人形が怒鳴る。

 「えー。だってぇ。王さま、ぼく、グリフィンなんてみたこともないよぉ」

 「つべこべ言わずに進むんじゃ。こら!そっちじゃないと言ってるだろう!」王さまと呼ばれた人形が妖精の背中で喚く。しかし、いくら喚いても妖精は言われた通りにはせず、真逆の方向に歩いていく。

 「おい、ファフ、一度飛んでみてはどうかな?」人形がそう言うと、ファフニンは両手を叩き、「おー、そーか」明るく笑う。

 「さーすが王さま」ファフニンはおぶり紐を解き、背負った人形を地面に置くと、「ちょぉっと、待っててねぇ」楽天的にそう言い、真っ直ぐ上空へと飛んでいく。

 「おい!待て待て!我も連れてけ!野ねずみにでも囓られたらどうするつもりじゃ!」王人形が憤慨する。

 「だぁってー重いんだもん」声はみるみるうちに遠ざかっていく。

 「上から見て、広い森があればそちらの方向。街道が見えたらそちらではないぞぉ!」人形は慌てて叫ぶが、返事はない。気の利かぬ妖精がうつ伏せに捨て置き、飛び去ってしまったので、目の前には土くれしか見えずにいる。

 人形は待ってみる。むしろ待つことしかできない。しばらくすると後頭部から声が聞こえる。「王さまぁ」呼ぶ声が近づいて来る。「いたよー!」人形は不意に抱きかかえられる。

 「待て待てまてまて!」しかしおてんば妖精は聞く耳を持たず、今度は人形を抱えて全力で走り出す。

 「おーいファフ、もう野良犬でもいいから、早く見つけて、背中に乗せてもらってくれぃ」

 非常に嫌な予感がする。どうしてこの妖精を従者に選んだか。こんな事なら世話役の堅ぶつどもを連れてくれば良かったかもしれぬ。小言を言われ続けたとて、まだましな旅が出来たかもしれん。人形は少し後悔する。

 そうして予感は的中する。

 案の定、草むらを抜けると二人は街道に出てしまう。

 「ひろぉい」

 「広いじゃない!街道には出るなと言ったはずだ!」

 「えー、言ってましたぁ」

 「もう良い、戻るのだ、元来た道を戻るのが」

 妖精は人形の意見などまるで聞こえない様子で、目をらんらんと輝かせている。「来るよ、来るよっ」わくわくが止まんないよぉー、そんな、訳の分からないことを言う。

 するともの凄い地鳴りがする。土埃を立てて街道から二頭立ての幌馬車がやって来る。

 「来たよぉ!」妖精は人形を抱えて跳ね上がる。「まてまてまてまて!」おーい、待ってくださぁい。哀願の声は届かない。妖精は一心に幌馬車を目指す。土埃の風圧で紙切れのように飛ばされるが、何とか幌の継ぎ目から中に侵入する。

 「もう、野良猫でも良いから、背中に乗せてもらってー。」人形は弱々しく声を上げる。「人間は勘弁してー」観念したようにそう言うが、無論、そんな声は、妖精には届かない。



 「いやぁ、ひさびさの大きい街!腕がなるよねぇ」ナイフを弄びながら、赤毛の若い女が嬉しそうに言う。

 「まあ、今回はしっかりとした依頼で来てるから、食いっぱぐれることもあるまい。」汚れた黒い山高帽を被り、上唇の上に細いヒゲを生やした男が言う。

 「団長の古い知り合いだっけ?」

 「その通り。金熊亭は自由都市タミナで一番の酒場宿だ」団長と呼ばれた男は、その細いちょびヒゲを得意そうに弄る。

 「暖かいベッドに、旨い肉!」「それにタミナ産のエール!」二人は顔を見合わせて笑い合う。

 「旅芸人はこうでなくちゃな!おいフリセラ、しっかり頼むぞ」

 「任せときなって」フリセラと呼ばれた女がナイフを立てる。ナイフはいつの間にか六本に増えている。彼女は滑らかな動きで次々とナイフを空中に投げ、それを受け止めていく。

 小石を踏んだ馬車が揺れる。二人は尻を浮かすが動じない。荷馬車の旅は馴れている。次第に道は悪くなり、揺れが激しくなる。フリセラは流石にナイフをしまい。腕を後ろに組んで眠りに入ろうとする。街まではまだかかりそうだ。

 しばらく経ち、フリセラが船を漕いでいると、なにやら奇妙な音に気がつき目が覚める。彼女は団長を見やるがすっかり眠りこけている様子。次に、隅に追いやっている荷物の塊を眺める。

 「ねえ、団長、」団長ってば、と、揺すり起こす。

 「団長、婆が気味悪い。なんか寝言いってる!」フリセラは荷物の塊を指さす。塊の一端に、荷物に埋もれた老婆がいる。

 「婆の寝言なんて聞いたことあるか?」団長は目をこすり、意にも介さず帽子を目深に被るが、彼も奇妙な声に気がつくと、慌てて飛び起きる。

 「本当だ!」

 二人は老婆に近寄る。

 「おい、これ。精霊付きじゃないのか?」

 「たしか、前に婆の言葉を無視して進んだときは…」二人は顔を見合わせる。

 「…ぬかるみにはまって、おまけにグールーに囲まれたっけ」フリセラは背筋を寒くする。

 しかし、近付いてみても老婆の口からは何も聞こえない。いつものようにぐっすりと眠っている。

 「おかしいな…」

 二人は耳を澄ませる。やはり奇妙な話し声は聞こえてくる。

 「…さま…い…てん」「あ…おま…いけ…」

 声を辿り移動する。婆の足もと、荷物の脇、フリセラは耳を傾けて這いつくばる。それから何かを見つけると、尻を突き出し頬をぺたりと板にくっつけ、「ああ!」と声を上げる。

 「どうしたどうした」団長も身体を伸ばしてフリセラの隣に顔を突き出す。フリセラが荷物の塊のちょっとした空間を指さす。そこには小さな人形が二つみえる。

 「ん?」団長は首をかしげる。隣を見ると彼女はにやにやと笑っている。

 「わかんない?」

 「人形か?」

 「違う違う、わかんない?これ、妖精だよ」

 「あぁん?ようせいだぁ?」団長は人形に顔を近づける。確かに二体の人形のようなものが喋っている。

 「…声は聞こえるが、人形にしか見えんな」どう見ても薄汚れた兵士の人形。それから貴族の子どもが持つような可愛らしい女の子の人形だ。

 「そう?確かにこっちの兵隊は人形にしかみえないけど、こっちはほら、ちゃんと動いてるし、キラキラ光ってるじゃない」

 訝しげにもう一度見る。やはりどちらも人形にしか見えない。団長は肩をすくめる。

 フリセラは少し考えて、「あ、でも、ほら、妖精って、人によって見え方が違うって言うじゃない?」

 「言うか?そんなこと?」

 「言う言う。あたしの田舎では常識よー」適当なことを言う。団長の相手が面倒になったのだ。

 団長は「ふんっ」と鼻を鳴らすと、興味を無くしたようで、再び定位置に戻り、眠りに入る。

 フリセラはそんな団長のことなど構わずに、妖精たちを眺める。「んー。可愛いね」目を潤ませる。「こっちの子は女の子かなぁ。…ん?」

 よく耳をすませると、何やら言い争いをしている。

 「…言ったかなぁ」「言ったぞ、言ったぞ、いいました!」「えー聞いてないですよぉ」「だからはじめから言ってるだろ。人間はダメだって!」「王さまがぁ?」「我の話じゃない、妖精全体の平和をだな」「ぼくはすきだよぉ、人間」「お前はじめて見ただろう」「そうですけどぉ」

 「おい、ちょっと待て」人形が異変に気付く。妖精が振り向くと大きな顔が目の前にある。

 「え?あ、」ある意味肝の据わったファフニンも流石に焦る。なにせ、目の前に自分の三倍もある女の顔が見つめているのだ。

 「見えます、か?」念のため、聞いてみる。

 「見えるよぉ」巨大な顔はうっとりとして言う。

 「どうしよう。見えるって」一応、王に聞いてみる。

 「どうもこうも…て、ああっ!」大きな顔から大きな腕が伸び、人形を攫っていく。

 「こっちは普通の人形みたいだけど?何で喋れるの?」大きな顔が不思議そうに言う。人形は憤慨する。

 「失礼な!我は王なるぞ!厳粛なる妖精王、残り神、ベラゴアルド四の希望が一つ、アリア・アルア・リア・ルーアンなるぞ!」

 効果はないだろうと感じつつ、思い切り凄んでみる。すると驚いたことに、巨大な顔は丁寧な手つきで王人形を元の場所に戻す。巨大な顔は眉を寄せ、申し訳なさそうにしている。

 「なんか、ごめんね。あたし、そういうのよくわかんないけど。…あ、あたしの名前はフリセラ。えーと、ナイフの達人。…って言っても、ただの旅芸人だけどさ…」

 きょとんとして佇む妖精に、フリセラは内心かなり焦っている。早くも嫌われたかも知れない。

 「…えっと、ああ、あっちの帽子のおじさんが団長、ウンナーナ。で、そこで寝てるのが婆、占い師ね」それでつい早口になる。「…んと、外で馬車の手綱引いてんのがドンムゴ…は、いっか、あいつあんまり喋んないし」

 「ほう」王人形は感心する。「礼儀はわきまえているようだの」

 「いい人みたいね」ファフニンは嬉しそうにそう言うと、顔を見上げ、

 「ぼくはファフニン。ファフでいいよぉ」早速、自己紹介をはじめる。


 −その2へ続く

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