小鬼と駆ける者 −その5
森の入り口でソレルは脇道に逸れ、ひときわ大きな古木の元で腰を落とす。三人が不思議そうに見ていると、彼は枯葉の中から、布に包まれた長細い物を取り出す。
「ダンナ、そいつは?」 髭づらの男が訊ねてくる。ソレルと同じくらい背の高い男だ。この男はゴゴルと名乗った。
包んでいたボロ切れを解く。使い込んだ革の鞘に収められた長剣が現れる。抜いてみせると一同は感嘆の声をあげる。銀色に輝く両刃の剣。よく見ると刃の表面がきらきらと輝いている。
「銀の剣。銀は魔の物に効果がある。鋼と白銀で加工しているので斬れ味も良い」
「なんだって、そんな所に隠していたんで?」 いかにも気の弱そうな顔立ちの男が訊く。自分から買って出て、捕らえた小鬼を背負ってくれてはいるが、彼はすでに汗をかいている。男の名はマスケスといった。
「これでいて、高価なものでね。」ソレルは静かに剣を収め、長剣を背負う。
背に負った大弓に長剣。野を駆ける者。まるきり『アルデラルの勲』の詠に出てくる伝説とそっくりのその姿を二人がうっとりと見ていると、
「へっ、そんなに田舎の農民が信用できないかよ」ブウルウが悪態をつく。
そこで別の二人も言葉の意味を理解する。マスケスだけが、「まあ、無理もねぇよな、ダンナ。農民は卑しいもんだ」そう自嘲気味に頷いているので、ソレルは逆に、少しだけ心配になる。
半日ほど歩いたところに開けた野原があると言うので、三人の案内でそこを目指す。その先の森の奥で、つる草の採集に行くはずだった若者が行方不明になったと言う。三人の中で最も森を知るゴゴルが先行する。
「それで? ダンナは何だって水車小屋ではそいつを使わなかったんで?」ゴゴルはソレルの背中に収まる銀の剣を、物珍しげに眺める。
「狭い場所では、長剣は不利になることもある」ソレルはマントを捲ってみせる。
「これの方がずっと使いやすい」腰にさしたダガーをちらりと覗かせる。
「ふぇ、そりゃすげえ。まったく豪気なもんだ」マスケスが単純な感想を言う。
「だが、あなたたちのその手斧も良い。使い慣れた得物を使うことが勝利につながる近道だ」
三人は思わず腰にさした手斧握りしめる。
長い急勾配が続く。遅れるマスケスを見かねたゴゴルが小鬼を受け取り、坂を登る。数歩前を歩いていたソレルが不意にしゃがみこみ、合図を送る。三人はあらかじめ教えられていたその合図に従い、直ちに姿勢を低くする。
ソレルは東の方向をじっと見つめている。皆もそちらを見るが、視界には深い緑の木々がひたすらに折り重なっているだけだ。
そうしてソレルは徐に大弓を構える。緩慢に弓弦を引いたかと思うと、吐く息と共に一度戻し、それから息を吸い込むと同時に素早く矢を射る。
森の影に矢が消えていく。
彼は構わずに滑らかな動きでもう一度矢を引き、ふたたび射る。
少しずつ南へと位置をずらしながら、四度ほど同じ動作をする。
その度に三人は首を振り、森の方を見やるが、やはり何も見えない。
しかし、ソレルが五度ほど構えたところで葉むらが騒めきだし、二匹のゴブリンが飛び出してくる。その様子にマスケスは腰を抜かし、他の二人はなんとか手斧を取り出す。
一匹がかなり遠い所で射抜かれて、吹き飛ぶ。
ところが、三人に気づいたもう一匹が方向転換をし、坂道を凄い勢いで下ってくる。
ブウムウはあわてて手斧を構える。彼が予想しているよりも小鬼の脚はずっと早い。手には何か武器のようなものを持っているのが分かる。
ゴブリンが飛びかかってくる。ブウムウは覚悟を決めて思い切り手斧を振り下ろそうとするが、すんでの所で突然、敵が視界から消える。彼は慌てるが、小鬼が地面に押し付けられているのを見つけると、胸を撫で下ろす。矢は後頭部から見事に貫通している。
「怪我はないな」
坂の上にいたはずのソレルがいつの間に背後に立っている。
「うひゃぁ、すんげーなぁ!」マスケスは起き上がり無邪気にはしゃぐ。
「まだ森の向こうに小鬼がいるんで?」ゴゴルは警戒を解かない。ほう。ソレルは死骸から矢を引き抜きつつも関心する。この男の対応は正しい。
「全部で七匹だ。すべて急所を射抜けたので心配はいらない」
三人は唖然とする。
「七匹だって! あんた、みんな一撃で仕留めたっていうのか!?」ブウムウが思わず声を張り上げる。
ソレルは弓を背負いマントの乱れを正す。
「いや、一射は外した。だが最初の一射が二匹同時に射抜けた」
もはや三人には言葉が出ない。
「我ながら上手くいったと思う」ソレルはそう言い、肩をすくめる。
「先を急ごう」そうして、そそくさと坂道を登っていく。
三人は絶句したままに顔を見合わせ、灰色の背中に従う。
◇
森が途切れ景色が開ける。男たちは捕らえていた小鬼の拘束を解く。小鬼はかなり憔悴していたが目隠しと猿ぐつわを外すと、すぐにあばれ始める。
「おい、もう放してもいいか?」手足を押さえていたゴゴルとマスケスが慌てる。
「ああ、いつでも」ソレルはダガーを抜く。二人が手を放すと同時に白い閃光が走り、ゴブリンの片手の肘から下が切り落とされる。青黒い血が大量に吹き出し、泥のように地面を染める。
「ダンナ!?なにを?」ゴブリンは、ギギ、ギギ、と奇妙な声を出して男たちを睨むが、すぐに森の方に走り出す。
「こうしておけば、そう逃げられることもない」ソレルは事もなげにそう告げ、ダガーを収める。
そうして手負いの小鬼が見えなくなるまで待ち、それから後をつけはじめる。三人の村人は血痕を辿る。森の奥に消えた小鬼は、ソレルだけが目視できる。
「こんなに血を出しちゃ、巣に辿り着くまでに死にゃしないもんですかね」マスケスが心配そうに訊ねる。
「魔のものは、出血くらいではなかなか死なないものだ」ソレルは背中で答える。
「ヤツが仲間をかばって違う所におれたちを連れてくってことは?」今度はブウムウ。
「ゴブリンにそんな知恵はない。断言しよう。」
「ダンナ。なぁ、ソレルのダンナ。おれの女房はダンナが来る前日にさらわれました。」マスケスが急に悲痛な声を出す。
「息子は、五日前にいなくなりました。」何か嫌な予感に、ソレルがマスケスのほうを振り向く。他の二人は黙っている。
「女房は消えた息子を探して、一人で森に入ったのです」なあダンナ、マスケスはソレルにすがりつく。「まだそんなに日が経っちゃいねぇ、もし、もしかしてだが…なあ?」
「おいっ!」ソレルは言葉を遮る。
それからブウムウを睨む。
「この男が付いてきた理由はこれか!? では、ゴゴル殿も同じかっ!」急に怒り出すストライダに驚き、マスケスは慌ててマントから手を放す。
「おれは違う」ブウムウだけが物怖じせずに睨み返す。
「そりゃ、女房の敵は討ちたいが、そんなことより、おれはあんたを監視してるんだ」それから小さな声で付け加える。「あんたから、息子を守るためだ」
なるほど。ソレルはひとまず納得する。ストライダは人攫い、か。まったく困った噂だ。
「…ゴゴル殿?」今度はゴゴルを睨む。
「おれも、違うよ。おれはひとりもんだ」ゴゴルは目を伏せる。
「では、英雄にでもなりたいか?」さらに問い詰める。ゴゴルは小さく首を振る。そんなんじゃねぇ。そんなんじゃねぇよ。言葉を濁す。思うところはあるがソレルはそれ以上は問い詰めない。代わりに再びマスケスと向き合う。
「マスケス殿。いいか。あなたの家族はもう戻らない。悲しいが受け入れなくてはならない」
でも、でもよぉ。マスケスはうわごとのように繰り返す。
「もしかしたら生け捕りにされてるかも。家畜みたいにどこかに閉じ込められてよぉ…」
ソレルは黙って首を振る。
「わからんでしょ、まだ、わからんでしょ…」
「わかる。ゴブリン共はそんなことはしない」言い切るが、それでもマスケスは納得しない。ソレルはため息を漏らし、「マスケス殿はこれ以上連れて行けない。」そう他の二人に告げる。
「へっ、じゃあどうする? ここへおいていくのか? マスケスがおとなしく戻るとでも?」ブウムウが食ってかかる。「そうだ、おれは帰らないぞ!」マスケスが叫ぶ。
「おいっ、もういいだろ!こんなところで仲間割れ…」
「静かに!」仲裁に入ったゴゴルをソレルが制する。
「…なんっ」「黙れ!」剣の柄を握る手が、皆を黙らせる。
彼のただならぬ警戒心を三人は理解する。言われた通りに低い姿勢を取り、辺りを警戒する。
まいった。ソレルが呟く。
「囲まれている。待ち伏せだ。」
「なんだって!?」
「もと来た場所へ、森が途切れたところまで走るんだ」低い声で告げる。「いいから走れっ!」次には強い命令。
それを合図に三人は飛び跳ねるように一斉に走り出す。同時に、森のそこら中から葉の擦れる音が追いかける。不愉快な金切り声が、辺り一面に響きわたる。
◇
ブウムウは走る。ゴゴルも斧を振り回しながら走る。そして、その少し後ろでマスケスも必死に付いてくる。
時折茂みからゴブリンが奇声を上げて飛び出してくる。その度に風を切る音がして、敵が吹き飛んでいく。
後ろを振り向くと、ソレルは走りながら的確に弓を射っている。しかもその死骸から矢を抜き取り、次の一射に利用しているではないか。「なんという」ゴゴルはストライダの身体能力に心底感嘆する。これではまるで足手まといではないか。彼は斧を振るのを止め、ただひたすらに走ることに集中する。
森が抜けると、四人は野原の中心まで進む。
「皆、背中合わせになれ。ブウムウ、マスケスはわたしの隣へ、ゴゴルは真後ろに」男たちは言われたとおりに円を囲む。
ところがゴブリンどもはやって来ない。
「あれ?」マスケスが拍子抜けた声を出す。「逃げ切ったのか?」
「違う!斧を構えてろ。油断するな!」
森がざわめいている。木の陰から何百という気配がする。その気配が四方を囲んでいくのがわかる。まずいぞ。ソレルは思う。このまま夜を待たれるとまずいことになる。
すると、森から二匹のゴブリンが顔を出す。あいつだ。水車小屋のやつらだ。
「あいつ、鍋なんて被っているぞ。隣のやつは腰布なんて巻きやがって。」マスケスが言う。「ありゃ、なんだ?ナタを持ってやがる。隣のやつは棍棒か?」
「でかいな。あいつがリーダーか?」ブウムウが言う。
「あの二匹は、ホブ・ゴブリンだ。」油断するなよ。そう促し、弓を構える。
二匹の魔物は逃げようともせずに、その場を動かない。するとリーダーと思しき奴が突然に、手に持つナタで頭を叩き出す。ガン、ガン、ガン。金属の音が響く。その音に呼応するように森が動き出す。無数の小鬼が木に登り、枝を揺すっている。森のそこら中から小鬼どもが一歩、また一歩と歩み寄ってくる。ギギ、ギギ、とはじまり、あの不愉快な金切り声の大合唱が男たちを囲む。
「おいおい、なんだ。なんなんだこれは!?」ブウムウの叫びがかき消される。「ひぃぃ」マスケスが堪らずに耳を塞ぐ。ゴゴルも態度には出さないが、かなり混乱している。だがソレルは動じない。彼は静かに獲物を見据える。猫のような目つきで狙いを定める。そして、力いっぱい張り詰めていた弓弦を、躊躇いなく解き放つ。
一心不乱に頭の鍋を叩いていたホブ・ゴブリンは、不意に耳元に強い風を感じる。次には、鈍い音を耳にする。それから、隣で仲間が倒れていることに気付く。ばかな魔物には、何が起きたのかが分からない。倒れた仲間を足でつつく。動かない。頭に何かが刺さっている。
そこで辺りはぴたりと静まり返る。百はくだらないゴブリンたちが、一匹だけになった頭目を見つめる。
事態に気づいたホブ・ゴブリンは物凄い形相でソレルを睨む。ギギギと声を出す。ソレルは二射目を構えて睨み返す。男たちは固唾を飲み込みそれを見守る。
「来るのかっ!来るのか!?」ブウムウがたまらず声を上げる。
しかしゴブリンたちは襲って来ない。大型のゴブリンはギリギリと乱杭歯を鳴らすが、他の小鬼とともに、ソレルを睨んだまま後退り、静かに森へと消えていく。
森はふたたびおし黙る。しかしソレルは構えた弓を下げはしない。そうしてしばらく経ち、彼が
弓を下ろすと、それを見た男たちが安堵の溜め息を吐く。
「なんということだ」ソレルは唖然とする。
あれは鬨の声だ。戦いの前に挑発するゴブリンなんて聞いたこともないぞ。もしやあいつは違うのかもしれん。他に頭目がいるのだ。あの行動は、そいつのやり方に倣ったのだ。ゴブリンとは、リーダーのやり方に忠実なものだ。
しかし、…だとしたら。
そこで彼は思考は中断する。放心する彼を心配し、ゴゴルが近づいて来たからだ。
「おい、ソレルのダンナ。どうなったんだ?」
「今のは宣戦布告だ」ソレルは答え、こう付け加える。
「おそらく奴らは、夜を待つ気だ」
−その6に続く−
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