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ライターになるのは必然だった

私がライターとしての道を歩み始めたのは、2年前。
フリーを志したのは1年前。
実際に行動し始めたのは、1ヶ月前。

でも、きっかけは思えば14歳のときだったように思う。

ある漫画との出会い

その漫画は「フルーツバスケット」

『花とゆめ』で連載された少女マンガ。作者は高屋奈月先生。
“異性に抱きつかれると、十二支のもののけに変身してしまう”という体質を持った登場人物たちが、自分の境遇や自分自身と闘いながら大人になっていくストーリー。

マンガだからと都合のよい展開になるのではない。
試練、試練、試練の繰り返し。
その試練を前にして、怖くなる。足がとまる。
「やっぱり自分には無理だ。」と絶望の中に引き戻されそうになる。

でも、そのたびに彼女たちは“言葉”で道を切り開いてきた。
友人を鼓舞してきた。自らを奮い立たせてきた。気持ちを分かち合ってきた。

そして、その言葉は私の心にも染み込んだ。
言葉には、こんなに可能性があるのだと。
言葉一つで、こんなに気持ちは変わるのだと。

それから私は、友達に相談されたとき、大切な節目に手紙を書くとき
言葉選びにこだわるようになった。

「あの人の今、欲しい言葉はなんだろう?」
私ならではの言葉で。今の私にしか言えない言葉で。
少しでもあなたの気持ちに寄り添いたい。支えたい。背中を押したい。

私の心を動かしたフルーツバスケットのように。
そう思っていた。

“言葉”を話したくなくなった営業マン時代

就職活動のときも、「言葉一つで心を左右する広告の世界で働きたい」と
広告業界を目指した。
WEB広告や雑誌の営業として内定をもらうことができたので、
その中で一番ネームバリューがあるところを選んだ。

しかし、思いっきり挫折した。
頑張れば頑張るほど、話せば話すほど、煙たがられる。信頼が崩れていく。
極め付けは、上司に言われたこの言葉。

「人の気持ちがわかってない。ロボットだ。」

“言葉”を発するのが怖くなった。

何もできず、何も返せず、迷惑しかかけず、
自分の存在意義が見出せなくなり、実家に逃げ帰った。

もう誰かに迷惑をかけたくない。
コミュニケーションもできるだけとりたくない。

次の仕事は「やりたい仕事」ではなく、
「私でもできる仕事」でないと務まらない。

でも、「私なんかにできる仕事ってあるのかな…?」と思っていた。

そんな中、転職サイトのコーディネーターさんが「きっと合うと思う」と
勧めてきたのが、「コールセンターの募集」だった。

“言葉”を発したくないのに、コールセンターで働く!?

コーディネーターさんがあまりにも強く押すので、
とりあえず見学に行くことにした。
すると、社長が直々に1チーム1チーム丁寧に解説しながら、
2時間くらいかけて会社を案内してくれた。

こんなにしっかり対応してもらったのは、転職活動中初めてだった。

そこで、思い切って打ち明けてみた。
「コールセンターのオペレーターなんてできない。私は、前職で言葉でたくさんの人に嫌われた。だから、言葉を使う仕事なんてできない。もう人に嫌われたくない。」

これから入ろうという会社の事業を「できない」と
半ベソで言い放ったのだ。
「今までの時間はなんだったんだ」と思われて当然だろう。

それなのに、
「全ての人に好かれようなんてしなくていいよ。それは無理やで。
いろんな人がいるんやもん。今は、傷ついてしまってるだけやと思うけどなぁ。受けたいなら受けてみて。受かるから。」
と、まだチャンスをくれた。

ここなら大丈夫な気がして、チャンスに乗っかることにした。

そして、2年がたった頃、電話での指名や、毎月文通をする上客が
10名ほどつくようになっていた。


商品についてだけ話すのではなく、そのお客様の近況や趣味などについて
話すことが多い。

商品の説明と違って、正解がないからこそ
「この人は何を言えば喜んでくれるんだろう?」と
過去の通話履歴から想像を膨らませた。

ウクレレを10年習い続けているAさんとは、
練習は毎週何曜日なのか、発表会は毎年いつなのか、
家族構成はどうなのか、いろいろな話をした。

「もうすぐ発表会の時期じゃないですか?」と聞くと
「そうなの!ふむりんさんはいつも私が何話していたか、
どんな風に過ごしているか覚えていてくれるわよね。娘みたいだなって思ってるの。」と言ってくださった。

その数ヶ月後、Aさんからお孫さんとの話を書いた手紙が送られてきた。
私のことを娘だと言ってくださるAさんだったので、
「Aさんみたいな温かい家庭は憧れです。実は、私結婚します。」と
お返事をした。

すると、結婚祝いとして、メッセージカードと手作りケーキが
送られてきた。

会ったこともない、声すら聞いたこともないのに。
ロボットだと言われた私は、“言葉”で人を喜ばせることができた。

そしてライターに

そんな私の姿を見て、社長が「ライターやってみいひん?」と
声をかけてくれた。

「クリエイティブでカッコ良さそう!」と言う憧れだけで、
二つ返事で了承した。

実際やってみると、思っていたより地道な作業の繰り返しだった。
急に斬新なコピーがおりてくるわけでもないし、次々と説得力のある文章を思いつくわけでもない。
考えては書いて、変えて、意見をもらって、修正して…

文章力のなさ、ボキャブラリーのなさ、企画力のなさ、
とにかく足りないものを痛感しては、嘆いてばかり。

だけど、やめたいとは思わなかった。

それどころか、育休中で、夜中に複数回授乳をしなければいけない状態でも
WEBライター育成プログラムを受講するくらいには、ライターであることにこだわりがある。

それは、私の人生のそばには、常に言葉があったからだろう。
だから、言葉にこだわらずにはいられないのだ。

フルーツバスケットと出会ったあの日の私のように、
言葉一つで、誰かの心を動かせるその日まで、走り続ける。

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