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本の虫12ヵ月 3月



↓2月の分




大量消費みたいな、
いまのじぶんの読み方に疑問を感じて、
すこしペースを落としている
(またはさぼっている)。
図書館で借りてきた本を、
期限内に読みきるのは良いことだけど、
こう首狩り族みたいに、
大切に読むべき本を読み飛ばすのは、
じぶんの為にならない。

 
……と思っていたのに、
後半に結構追い上げて、
今月もかなりの数を読んだ。




「井深大」PHP出版

ソニーの創業者の井深さん。
江戸時代にさかのぼる遠い遠い親戚。
いまさら興味が出て読んだ。
彼が松本の才能教育に関係していたこと、
彼がクリスチャンで、
親戚に薦められて入信したらしいこと。
(井深梶之助のことだったりする?)
会津の井深家は9家あったそうだが、
彼の家も分家のひとつ。


「マンゾーニ家の人々」上 
ナタリア・ギンズブルグ

「ある家族の会話」が好きだったので、もっとギンズブルグを読んでみたくて。こういう家族の大河小説が、わたしは好きである。楡家のひとびとから始まり、ブッテンブローグに、パール・バックの大地だとか、有吉佐和子の紀ノ川とか、あとすこし違うかもしれぬが細雪とか。

イタリアというところは、かなりの階級社会だろうとみている。これは貴族たち。さいきん色々なイタリアを読んでいる。それぞれが繋がって、多面的になっていくのがたのしい。


「源実朝」坂井孝一

 源実朝が好きなのは、かれが地元のひとで、
その歌った景色が身近だから、というのもある。
あずまの人間だからか、
万葉集でも東歌に近しみを感じる。
あの銀杏が立っていた頃も覚えてる。
ちいさい頃、地元には、京都のような、
歴史の地層がないことが不満だった。
でも吾妻鏡には、わたしの遊び場だった
砂浜が出てきたり、買い物に行くとき通る土地が
出てきたりする。適度な歴史と、
 息苦しさを払ってくれる潮風と、
適度な空白があって、好きです、三浦半島。



「傷を愛せるか」宮地尚子

冬島いのりさんの選書②
すごいなあ、すごい本だなあ
じぶんでは決して手に取らなかっただろうに、
開いてみれば、わたしの知っている声をしていた。
どうしてこんなにおなじ声をした本を
選ぶことができるのだろう。
わたしは、誰かにこんなにちょうど合った、
すてきな本を贈ることが出来る気がしない。
すごいなあ。


「いのちと平和を守るために」
和田穆追悼文集

 大伯母からいただいてきた一族の資料①
一族の歴史が、巻末にまとめられていた。
だからわたしにくださったのだなあ。
妹である祖母たちが寄稿した文章もあった。
わたしの役目は集めて、読んで、記憶して、
じぶんの子どもに伝えること。
歴史を絶やさないこと。


「休戦」
プリーモ・レーヴィ

十代の頃に読んだときよりずっと、
今度の方が高精細に理解できた。
極限から人間性を取り戻していく過程。
祖国イタリアへの帰路は、
新田次郎の妻、藤原ていの
「流れる星は生きている」を思い出す。
あれは満州から諏訪の実家へ帰る旅だった。


「与謝野晶子 温泉と歌の旅」
杉山由美子

晶子にみずからの人生を重ねるスタイルの本。 
同時に読んでいる須賀敦子の
「ユルスナールの靴」も、同じスタイルであるが、雲泥の差だ。比べてはいけない。

与謝野晶子と柳原白蓮を借りてきたのは、
片山廣子と同時期の歌人を比べてみたかったから。「真面目な女の内面的生活」と
みずからの歌集について廣子は語った。
では「真面目ではない」とはどういうことか、
と思って浮かんだのが、
スキャンダラスな上の二人だった。

わたしは廣子の歌集を読みながら、
しみじみとおなじ声を、おなじ感覚を、
じぶんの声の先にあるみたいな
近しいものを感じる。
だれかの言葉ではなく、
晶子の歌集を読むべきだったかもしれない。
俗っぽい印象ばかり残った。



「いばらの実」柳原白蓮

片山廣子と比べるために、
同時代の女性歌人について読む②

高貴なところにお生まれになるのも、
ほんとうにお大変なことで……
というか晶子に続いて、ゴシップ雑誌を
読まされているみたいな気分になる。
こういう同時代の歌人たちが光る時代に、
廣子さんは生きていたのか。
 どちらも村岡花子と親交があるよねえ。
花子さんは、ご主人との出会いからして、
両者の真ん中(の一般人よりのほう)
くらいにいる気がする。
廣子さんにも芥川というひとがあったけれど
彼女はうつくしい身の慎み方をした。
なんて低俗な読み方でしょう、
廣子さんに叱られてきます。


大伯母からいただいてきた資料②

大伯父は中国を舞台にした「白駿馬」
という小説で徳間書店の賞を取ったそうで、
一族の歴史をたくさん書き残してくれた。
このほかに、曾祖父のパリ留学日記と、
曾祖母のフェリス女学院時代の手記も、
手書きで書き起こされたものがあり、
そちらはわたしも祖母の家から
貰ってきていた為、いただいてこなかった。
曾祖父の日記は、祖母の結婚前後の記事があり、
とてもうれしかった。
そして曾祖母の実家の由来について!
はじめて知ったことばかり!

こういうふうに、家族の歴史に興味のあるだれかが
書き残してくれて、それを次の世代の
だれかが読んで、保管して、
そしてまた次に伝えていくのだ。
コピーをして伯父達に送ろうと考えている。



「工場日記」
シモーヌ・ヴェイユ

いかにもそぐわない背景と写っているけれど、
わたしの読書する環境がこうなので。
(ちゃぶ台はホームスクリングテーブルです)

だいすきな友達が読んでいた本。
かのじょを思いながら読んでいた。
かのじょがゆっくりと糧にするみたいに
読む本を、また超高速で読み飛ばしてしまう
じぶんに呆れながら……
なるちゃんごめんね。

「人々と同化し、人々と同じ色をまとうことによって、その人々のなかを、さまざまな人間環境のなかを通っていきたい、という本質的欲求を、わたしは持っております。それを神の召命と呼んでもよいと思います」

その思いは、なにか近しくおもえる。
けれどわたしは、それを本を読み飛ばすことだけで
叶えようとしている。


「主よ一羽の鳩のために」
須賀敦子詩集

かのじょはこれが死後出版されることを望んだだろうか? あれほどことばにこだわったひとなら、詩集という形で出版するのなら、きっと何年も何年もかけて、練りに練ったものを作りたかったのではないだろうか?

須賀敦子さんに期待していたことがある。
「キリストに夢中になる」ということばを語った彼女なら、きっとキリストについて、わたしが理想としているようなものを書けたのではないだろうかと。「わたしが書きたかったものは、こんなものではなかった。それに比べたら、いままでのものなんてゴミみたい」と彼女が最後に言ったことを、ずっと思っている。

米原万里さんも亡くなったあとに、
ひとに見せるつもりもなかっただろうものを
出版されたりしていた。
わたしは米原さんが大好きだけれど、
そこまでは付き合いきれない気がした。
死姦みたい。
須賀敦子さんに関するこの熱狂と商売気も、
なんだかそういう嫌な感じがしなくもない。
須賀さんは、じぶんを指し示していたのかしら?
彼女がほんとうに、わたしが思うものを持っていたのなら、ひとびとがじぶんを偶像にすることを、
望まなかったのではないかとおもう。
須賀敦子さんって、偶像みたいになってる。

とにかくなによりも、古いノートは
死ぬ前に焼かなきゃいけないということ。


「ユルスナールの靴」
須賀敦子

わたしがかのじょに期待していたものがわかった。それは、霊的な生活、キリストとの関係について、かのじょならきっと書けただろう、ということだった。何冊も読み進めて、偶像化されているかのじょに辟易したりしながら、(それはユルスナールが偶像にされているらしいのにも似て)、わたしはちょっとがっかりしていた。特に期待していたのは、信仰の共同体についた書いたのかな、とおもったコルシカ書店だった。それなら、霊的な生活について書かれているんじゃないかしらと。

須賀敦子さんは商業的に物を書いていたので、きっとそれは書きづらいテーマであったろう。
カトリックの専門誌なら載せてくれるかしらないが、生きているかのじょはきっと、宗教誌には扱いづらい、左派で、異端だったことだろう。死ねば、カトリックだから、だれだって聖人に祭り上げるのだけれど。

ほんの少し、わたしが期待していたものが、
この本にはあった。そこには鉛筆で線をひきながら読んだ。どうしてかしら、サンテクジュペリのほうが、もっと直接的にキリストを語っていないかしら。どうしてこう奥歯にものを挟んだみたいにしか、語ってはいけないのかしら。

でもそれは、この作品としての完成度とは違った尺度の話だ。作品として、わたしはこんなにうつくしい構成の、音楽的な、深みと歴史と人生をすべてかたむけた尽くしたようなことばのエッセイを知らないし、こんなにうつくしい絵を描けただけで、須賀敦子さんは作家としてもう大満足していいと思う。

それでも残るのだ。かのじょの最後の言葉が。
やはり、かのじょがほんとうに書きたかったものが、足りていないのではないかという思いが。



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