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メアリが信じていたもの




 「神を信じる人と、頭のおかしい人との違いは紙一重だ」

 そうナイジェリア人のKさんの台詞を訳し終えたとたんに、背後からくすくす笑いがした。分かってる、これは中国人のFさんだ。元の英語では誰も笑わなかったのだから、わたしの訳が飛んでいたのだろう。意訳と誤訳の違いだって紙一重だ、とこのハチャメチャな通訳は思う。
 
 でも確かにそうだ、と思う。おかしいかもしれない、と思ったことはある。この前、わたしは聖書のすべてを、神のみことばとして信頼しています、と人に言ったとき。本を読み、ニュースを読んでいるとき。きっとわたしはおかしいに違いない、と思う。

 信じている、と誰もが言う。誰もが信じている。真理だ、と言う。真理はいくつもあって、いろいろな色がある、それが美しいのだ、と言う。

 そんな世界で、わたしは聖書のすべてを信じます。ただひとつの現実として、絶対的なものとして、わたしは神のことばのすべてを受け入れます、というのは、頭のおかしいことだ。

 信じる、というのには、二種類あるそうだ。知的に信じることと、心の底から信じること。誰でも生まれ変わらなければ、神の国に入ることは出来ない。

 さっき読んだ、哀しい女のひとの話を、訳してみようと思う。それはじぶんを戒めるためでもある。たったひとつの真理に、いつでも立っていられるように。



 ある田舎に、ひとりの育ちの良い少女がいた。音大を出た彼女は、荘厳なチャペル造りの教会で、礼拝のピアニストをしていた。彼女 -名はメアリとでもしておこうか- は、ジョンと恋に落ちた。ジョンは、家柄はすこし落ちるけれど、真面目で、そして聖霊によって生まれ変わった、熱心なクリスチャンだった。結婚して、ふたりは大きな街に移り住んだ。そこでもメアリは、街でいちばん立派な教会に通い、ピアニストを続けた。

 メアリは厳しい家庭に生まれて、レディらしい、聖書にのっとった教育を受けてきた。けれど、親許を離れてから、世の中には色んな価値観のひとがいることに気付いた。それはちょうどアメリカで、ミニスカートが流行りだした頃だった。教会の女性たちも、例外ではなかった。牧師夫人が着てるんだもの、べつにわたしが着たって悪くないわよね。ジョンは眉を潜めたけれど、メアリは古風な慎みについての教えを忘れた。それからメアリは、煙草を吸い始めた。あれと、これと、どれもしてはいけない、と教えられていたこと。

 教会ピアニストとして、メアリの名声は募るばかりだった。いつも教会の周りで生きてきて、わたしは教会に通うクリスチャンよ、と誇りに思っていた。メアリの信仰が、とってもうわっ面で浅はかだと、思うひともいたけれど、そんなこと、口に出せなどしなかった。

 ある日、隣の家に若い男が移り住んできた。かなりハンサムね、とメアリはときめいた。ジョン? もうこの頃になると、ジョンとメアリの関係は冷えきっていた。ジョンはメアリの通う、お体裁じみた教会に耐えられなくなっていたし、ふたりはどんどん離れていった。ときたま朝食のあと、ホセア書が開かれたままの聖書が、テーブルに載っていたりした。

 「あなたって、神に愛されているのは自分だけだ、とでもいうふりをするけれど、おあいにく様よ。わたしだって、神に愛されてるんですからね」

 「......神がきみを愛しているのは知っているけれど、きみが神を愛しているかどうかは分からない」

 ふん、とメアリ。なんでこんな男と結婚したのか分からない。田舎で育ったから、選択肢が無かったのよね。それに比べて、隣家の男はデトロイトから来たらしい。さいしょは、とってもイノセントだった。誰もみていない夜、こっそりと庭に出て、白い垣根越しに、おやすみのキスを交わした。罪とも言えない、と思いません? まるでロミオとジュリエットね、とジュリエットには年を取りすぎているくせに、メアリは頬を染めた。

 あっという間に、メアリはジョンを捨て、隣家の男と再婚していた。男もまた、妻子を捨てたのだった。それでも教会のピアニストは続けた。叱られるかしら、とメアリも一瞬思ったのだけれど、誰にも咎められることはなかった。それもそのはず、重婚の罪を犯したのは、その教会でメアリが初めてではなかった。故郷の両親から届いた叱責の手紙を握りつぶして、メアリは再婚を祝ってくれる教会の友だちに、笑顔を返した。

 神さまが、メアリを放っておいた訳ではなかった。再婚相手に捨てられて、なんの仕事をしているのかよく分からない男と同棲していた頃のこと、故郷から牧師がやってきて、メアリが床に臥しているのを見つけた。ついに罪が追い付いて、メアリは不治の病にかかっていた。

 「わたしは教会に属している、れっきとした教会員よ。あんたにどうこう言われる筋合いなんかないわ」

 「メアリ、そんなことは関係ないんだよ。きみはいまだって煙草を吸っているが、それは正しいことかね?」
 
 「あんたの知ったことじゃないわ。会いに来てくれなんて、一言も言ってないもの」

 「そうだね、でも神様に行くように言われたんだ。......きみは結婚していない相手と同棲しているらしいね、メアリ?」

 「ほんっとに、放っておいてよ。わたしはあんたと同じくらい善人よ。だってクリスチャンなんですもの」

 メアリが自らを疑いもせずにいるのをみて、牧師はこんな聖句を思い出した、「人の目には正しく映る道がある、けれどその終わりは死である」

 メアリはほんとうに信じていたのだ。何を信じていたのかは分からないけれど。教会に対して、神について、知的な信仰を持っていた。自分がクリスチャンであるという信仰を持っていた。その信仰が試される時は、すぐやってきた。

 危篤の床についたメアリは、はじめ何も怖いとも思わなかった。だってわたしはクリスチャンだもの。神を信じているもの。枕元にやってきたひとびとを、追い返そうとさえした。いらないわ、最期の悔い改めなんて。間に合ってるわよ。

 けれどメアリの魂が、だんだんとあちらの領域に近づいてきたときに、突然彼女は叫びだした。

 「おお、神さま! わたし、滅びちゃうわ!」

 それからメアリは横を向いて、街の教会の牧師を罵った。

 「あんた、騙したのね! わたし、滅びちゃうわ!」

 滅びちゃうわ! 滅びちゃうわ! とメアリの声が木霊した。そのときちょうどその声を聞きながら、ジョンが部屋に入ってきた。けれどメアリの目には、もう誰も映らない。

 「先生、彼女は苦しんでいるようだ。最期くらいは安らかに眠らせてあげましょう。鎮静剤を打ってください」

 さっき騙したと罵られた牧師が、メアリの叫びを遮るように、大きな声で言った。ジョンから何歩も離れたところで、医者がメアリに注射を打った。ほろびちゃう、ほろびちゃ……と哀しげに、メアリは呟きながら、意識を失った。

 ジョンが駆け寄って、衰えきった身体をゆさぶってみたけれど、もうメアリはいなかった。死んだメアリの傍に、ジョンはずっと佇んでいた。

 「ぼくはもうずっと前に、きみのことを赦していたのにね」

 帰っておいで、と伝えればよかった。そうジョンは後悔した。そうすれば、メアリの最期は、こんなおぞましいものにならなかったかもしれない。そうだとしても無駄だった、とジョンの心のなかで、何かが囁いた。メアリが、じぶんの意思で、この道を選んだのだから。

 ジョンはメアリを連れて帰って、故郷の教会で葬式を出した。壇上で司会が、いつも教会でピアノ演奏の奉仕をしていた故人を讃え、天国での再会について語った。ジョンは後ろの方に座りながら、苦虫を潰したような顔をして聴いていた。


  *


 さて、意訳と誤訳についてだけれども、さすがに上の物語は、意訳も意訳が過ぎている。原文にはメアリの名前も、ジョンとの会話も、最期にジョンが立ち会ったことも書いてなかったのだから。かなりの部分を、わたしが膨らませてしまった。

 お涙頂戴の話しに紛れてしまったのだけれど、わたしは信仰を持って生きると、まるで狂人のように見えることがある、というテーマを書きたい、と思っていたのだった。でも、ジョンの純愛のせいで霞んでしまった。

 それはそれで良いのかもしれない、と最近思う。わたしは書くことよりも、まず生きなくてはならない。神さまのために書くことにばかり主眼が言って、なにを語られても、どんな体験をしても、どういうふうに文章を組み立てようかしら、とばかり考えていたわたしに、神さまは、寝室にペンを持ち込むみたいな真似をするな、と溜め息をついておられたから。わたしにとって書くことが、通訳をすることが、メアリのピアノにならないように。

 なによりもまず、わたしがキリストを生きることが出来ますように。キリストに愛されるだけでなく、キリストを愛することができますように。聖霊が、わたしを満たしてくださいますように。

 わたしを、ほんとうに心から信じるものとしてくださいますように。頭がおかしいと言われようが、構わず。

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