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バカの言語学:「バカ」の語源(2) 和語由来説

バカの言語学:「バカ」の語源(1) 外来語由来説

 「バカ」の語源を和語、つまり大和言葉に求める和語由来説も複数あります。
 「バカ」は俗語であって、生活の中で使われていた言葉ですから、知識人の親しんだ漢語ではなく、庶民も使っていた大和言葉から生まれたはずだ、という考え方は確かに自然です。
 「「バカ」の語源(1)」で見たように、柳田国男は「鳴滸の文学」の中で "moha" 説を批判して「文語と口語との区別すらも、心得ていたかどうか」と言っています。これは、僧侶や武士が文書を書くのに使っていた梵語の音訳や漢語が話し言葉である「バカ」の語源というのはおかしいではないか、ということだと思います。柳田国男は続けて、「バカ」が「こういうむつかしい舶来の文献から、借りて漸う間に合わせるほどに、毎日の使用の少ない単語だったら、それも国家のためにうれしいことなのだが」と皮肉っています。
 しかし一方で、「バカ」が文献に現れ出した室町時代は、漢語が日本語として一般化した時代だったともいわれています。
 和語では、もともとは語頭に濁音が使われていませんでしたが、室町時代ぐらいから、「抱く」が「いだく」→「だく」、「出る」が「いづる」→「いでる」→「でる」というように、語頭が濁音化した言葉が使われるようになります。これは漢語の普及が影響しているのではないかと考える人もいます。
 「バカ」も濁音で始まります。もしも「バカ」が和語由来なら、かつては語頭が清音だった言葉が音韻の変化によって「バカ」になったはずです。実際、「バカ」の和語由来説は清音で始まる言葉を語源とするもののほうが多く見られます。
 それでは、いくつかある和語由来説を見てみることにしましょう。


①雅語形容詞「はかなし」の語幹の強調

 これは『新明解国語辞典』が採用している語源説で、Wikipediaの「馬鹿」の項によれば『新明解国語辞典』の編纂に名を連ねている金田一春彦が唱えた説らしいのですが、何という文章で論じているのかが不明で、詳細を確かめることができませんでした。おなじく「新明解」とタイトルについている『新明解語源辞典』でも「比較的新しい説」と紹介しているのみです。
 「雅語」あるいは「雅言」は、『日本国語大辞典』によれば「正しくよいことば。洗練された優美なことば。特に中古の和歌や仮名文などに用いられることば」のことで、「はかなし」は例えば以下のような和歌に使われています。

夕暮れに命かけたるかげろふのありやあらずや問ふもはかなし

『新古今和歌集』巻十三

 夕暮れまでの命である蜻蛉のように命がけで夕暮れを迎える私に、いるのかいないのかと尋ねるのは愚かしくないですか、というような意味かと思います。「はかなし」に「愚か」の意味があることは「「バカ」の語誌(1)」でも見ましたが、その「はかなし」の語幹、つまり「はか」が語頭の濁音化で意味を強調されて「バカ」になった、というのがこの説です。
 『日本国語大辞典』の「語誌」欄にもこの説が紹介されていて、「和語の中だけで解釈できる点、濁音の持つ意味合いなどを考え合わせると注目に値する」としていますから、「はかなし」の語幹「はか」が強調されて「バカ」になる、というのは、音韻論的にありうると日本語学の世界では考えられているようです。
 私はもちろん日本語学者ではありませんが、私なりに調べた結果から考えつくのは、ハ行の発音の変遷が関係しているのではないかということです。
 ハ行の発音は、現代ではもちろん「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」ですが、奈良時代にはこれが「パ・ピ・プ・ペ・ポ」だったといわれています。つまり「はかなし」は奈良時代には「パカナシ」と発音されていたようです。そして、「「バカ」の語誌(3)」でも見ましたが、これが平安時代の間に「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」("f" の音のように前歯で下唇を噛むのではなく、英語の "wh" の発音に近いようです)となって江戸時代の初めくらいまで続いたとされています。この変化は「唇音退化現象」と言われていて、「パ」は完全に唇がくっつき、「ファ」は少し開いて、「ハ」になるとさらに開きます。
 「ハ」を強調して「バ」になる、というのは感覚的に納得しにくいところがありますが、唇の間隔がもっと小さい「ファ」ならありうるかな、と思います。もしも地域によって「パ」の発音が残っていれば、なおさらありえたでしょう。

②子供の玩具「べか」

 この説は、服部大方たいほう(服部、服部星渓せいけいとも)という幕末の儒者が書いた『名言通』という辞書で唱えられている説です。
 同書によれば、玩具の「べか」は「べか児」とも呼ばれ、顔の形で真ん丸な目がくるくる回ったり舌が長く出たりする、要するに「べっかんこ」をするもののようです。「べっかんこ」は「あっかんべえ」ともいいますが、『名言通』では「赤ベ」が「ベカ児ニ擬ス」と、まるで玩具の名前が語源であるかのような言い方をしています。
 しかし『日本国語大辞典』によれば、「べっかんこ」は元々「めかこう」といわれていたのが変化したものといわれ、「めかこう」は「目赤う」に由来するとされています。また「あかんべい」の項を見ると、語源は「赤目」となっています。「べか」や「べかこ」なる玩具の名前がつけいる隙はありません。
 もちろん『日本国語大辞典』のほうが絶対に正しいといえるわけではないのでしょうけれど、『名言通』の言っていることはちょっと怪しいかなと思います。
 ただ「「バカ」の語義(1)」で触れたように、「バカ貝」の語源説として、中身が貝殻からはみ出しているのが舌を出しているように見えるのがバカのようだから、というのがありますので、舌を出すことは昔からバカと結びついていたのでしょう。

③「ぼけ」

 この説は、江戸時代後期の国学者小山田与清(高田与清ともいいます)が19世紀前半に書いた『松屋筆記』に記されています。
 『松屋筆記』は随筆本に分類されていて、言葉やことわざの由来だけでなく、歴史や地理、宗教、文芸、習俗、病気やケガの治し方など、さまざまな話題を扱っています。今でいえば「雑学本」に近いかもしれません。
 この本の中で「バカ」の語源は、巻七十八の六十四「馬鹿の糟食」という記事に書かれています。

俗言に馬鹿の糟食さうしよくといへり。馬鹿はボケの義にてホレとおなじ。糟食は碧巌集二の巻(一丁右)十一則に汝等諸人尽是噇酒糟漢云々とあり。此外にも見ゆ。

小山田与清『松屋筆記』
※句点を補うなど、適宜表記を変えています。

 「ボケの義」とあるので、語源だと言っているのか、単に意味の説明なのかが不明ではあります。新村出は「馬鹿考」の中でこの説について、次のように言っています。

ボケルという動詞の連用形をもって解釈しようとしているらしい。語形上から観てバカは無活用だがそれはよいとする。ボケてバカになるわけだから、意味の変遷も自然に説明がつきもする。

新村出「馬鹿考」

 文法的にはともかく、意味のつながりという点では「自然」としています。
 意味的にもそうですが、この説のわかりやすいのは、バ行+カ行という形で子音が変化していないことだと思います。それなら母音の変化はなぜなのか。この疑問については、言語学者の楳垣実は『語源随筆・猫も杓子も』の中で、次のように書いています。

エもオも、口を半分開いて出す音であるが、それが二つとも、口を大きく開いて出すアに変わったのだから、大きな声でどなりつけたりすれば、こんな変化はきわめて起こりやすいとも考えられる。もちろんこんな説明は、あまりにも「うがち過ぎた」もののようだが、また頭から否定もできない。

楳垣実『語源随筆・猫も杓子も』

 鎌倉~室町時代の荒くれた悪党や武士たちが大声で「ボケ!」と怒鳴っているうちに、「バカ!」になったということでしょうか。関西地方には口癖のように「ボケ!」と怒鳴る人がいますが、ああいう人たちもいずれは「バカ!」と怒鳴るようになるのかもしれません。
 ところで「馬鹿の糟食」という慣用句に少し触れておきましょう。
 『松屋筆記』に引かれている『碧巌録』(「「バカ」の語誌(6)」参照)第十一則の一節「汝等諸人尽是噇酒糟漢」は、「あなた方はみな、酒を飲まずに酒粕をがつがつ食べただけで酔っ払う人のように、言葉のみに酔いしれて仏道をわかったつもりになっている」という意味です。禅宗には言葉による理解に否定的なところがあるので、ここでは言葉を酒粕程度のものと見なして、座禅などによる修行という本物の酒とは全然違うのだから、仏の教えを頭で理解しようとするな、日々の修行で体得せよ、と言っているのだと思います。
 ということは、「馬鹿の糟食」の意味は「愚かな者は中途半端な知識を得ただけですべて理解したつもりになる」みたいなことなのでしょう。確かにそういう人はよくいます(私自身も含めて)。
 しかし『新編 故事ことわざ辞典』という本では、このことわざの意味は以下のように説明されています。

うまく機敏に立ち回れない者は、うまいものは他人に取られて、まずいものしか食べられないということ。「ばか」という語のなかには、こうした立ち回りの上手・下手も含んでいたことがわかる。類 馬鹿にはうまい物は食えぬ。

鈴木棠三編『新編 故事ことわざ辞典』

 この説明だと『碧巌集』のありがたい教えとは全くかみ合いません。いったいどっちが正しいのでしょう。

④「大まか」の「まか」

 この説は、17世紀末ごろに太田全斎が編纂した辞書『俚言集覧』(かつては村田了阿が編纂したとされていましたが、現在は太田全斎が編者とされています)で取り上げられています。

馬鹿を秦趙高が故事を引事常になりてあり。然れども此ハ人を愚弄にする事にこそあれ、自愚にハあらず。因て案ずるに、バカハ麼加にてバとマとは常に通ずる也。さてマカは荒マカ大マカ小マカのマカにて間所マカの義なるべし。すなわち簡素の義。疎字愚字並におろそかともおろかとも訓に同じかるべし。バをマといふハ、柧梭そばの木を素麼スマと云に同じ〔日本紀仁徳、萬葉集十四〕。この外にもマをバと通ハす事多くあり。或説に佛書、慕河翻癡摩訶羅翻無知引るハ非也。然れども摩訶をバカとよめるは是也。漢音理趣経に摩訶薩をバカサツとよめり。

太田全斎編『俚言集覧』

 つまり、「「バカ」の語源(1)」で見た「鹿を謂ひて馬と為す」説や「慕何」説、「摩訶羅」説を否定して、「大まかに言って」と言う場合に使う「まか」が語源だとしています。そしてその根拠として、「バ」と「マ」がお互いに一方へ変化しやすいという音韻論的な事実を挙げています。
 確かにMとBが替わりやすいのは、上で見たように「べっかんこ」の語源が「目赤う」である(らしい)ことからもいえます。しかしそれなら「慕何」説や「摩訶羅」説も原語(サンスクリット語)のMがBに変わったのですから(このことは著者も認めています)、なぜ「非也」と言い切って否定するのでしょう。
 それから「まか」を「簡疎の義」といい、「疎」の字も「愚」の字も「おろそか」あるいは「おろか」とも読むではないか、と言っています。「おろか」が「疎か」と「愚か」に分かれ、前者が「おろそか」になったことについては「「バカ」の語誌(1)」で見ました。ただ、考えが「おろそか」である、あるいは「大マカ」である人を「バカ」と呼ぶこともありますから、両者の区別には曖昧なところがあるのも確かです。
 ただ『俚言集覧』では、上に引いた文章の後に『節用集』の「狼藉ノ義也」という記述(「「バカ」の語誌(2)」参照)や『太平記』の巻二十三の一節(「「バカ」の語誌(4)」参照)を引用しています。しかし「簡疎」と「狼藉」とではだいぶ違うと思いますし、『太平記』で土岐頼遠が言う「バカ者」も、こじつけられなくもないとはいえ、やはり違うかなと思います。
 このように『俚言集覧』の説明には混乱したところがあります。

⑤「わか」

 「わか」は「若」のことで、現代でも否定的に「お前はまだ若いから」と言う場合は、常識が不足していたり、考えが甘かったりすることを意味します。また、バカをやっていられるのは若いうち、という意見には賛同者が結構いるかもしれません。
 "waka" が "baka" になったのですから、音韻的にはW→Bという子音の変化が果たしてありうるのかが問題になります。
 果たしてどうだろうと調べて見ると、「打つ」という言葉が室町時代あたりから「ぶつ」とも読むようになった、というのがあります。両者の違いは、現代の発音では "u" と "b" の違いですが、 『日葡辞書』を見ると、「打つ」が "Vtcu" と記されています。「「バカ」の語誌(3)」で見たように、 『日葡辞書』において頭文字の "V" は発音的には英語の "W" と同じなので、「うつ」→「ぶつ」は "wutsu" が "butsu" に変化したことになるのではないか。そうだとすると、W→Bという子音の変化は確かに起こりうるといえます。
 以上はあくまで門外漢の憶測ですが、この問題は、後で見る「をこ」説でも出てきます。
 ところでこの「わか」説は、誰が言い出したのかははっきりしません。柳田国男は前述の「嗚滸の文学」(1947年に発表)の中で、これを新村出の説としています。

私の老友新村博士は、夙くこの点について思いを潜められた一人である。そうしてこのバカという新語の原型を、年少青春を意味するワカ(若)という語ではないかとの説を、『日本の言葉』と題する文集に発表しておられる。

柳田国男「嗚滸の文学」

 これまで何度か引用している新村出の「馬鹿考」は、1940年に創元社から刊行された『日本の言葉』に収められています。しかし「「バカ」の語源(1)」で見たように、新村出はこの文章で梵語の「慕何」や「摩訶羅」が語源だろうと主張していて、「わか」説はどこにも見当たりません。
 柳田国男は「嗚滸の文学」よりも前、『日本の言葉』刊行の翌年に書かれた「馬鹿考異説」という文章では新村出が梵語由来説を唱えていることに触れていて、「新村さんもまた唐か天竺からの輸入というより外に、別に心当りも無いような口ぶりだが、私などは久しくそれを疑っているのである」と否定的な言い方をしています。そして自説として、後でご紹介する「をこ」説を主張するのですが、その部分でこんなことを書いています。

ヲコヅルという動詞などは、元はワカヅルと謂っても意味は同じだったと言われている。是が不十分ながらバカはヲコだろうという私の推定説の根拠である。

柳田国男「馬鹿考異説」

 つまり「ヲコ」→「ワカ」→「バカ」と変化したのではないか、と言っているわけです。そうすると「バカ」が直接的には「ワカ」の変形であると言い出したのは柳田国男自身ではなかったのか――。
 これはいったいどうしたことでしょう。太平洋戦争中に柳田国男はぼけてしまったのでしょうか。
 実は、国語学者の奥里将建が『日本語系統論』という本に以下のようなことを書いています。

新村出氏などは、寧ろ純国語史的に「わか」(若)との関係を考えていられるが(直話)、b<wの子音交替からいっても,世事にうとい若者にあびせたのがその起源であろう。一方「ばかばかし」という重言の形容詞があるが、梵語を重ねて形容詞に仕立てることもあるまいから、この点からいっても、「ばか」(若)起源説のほうが自然であろう。それに、平安朝を降って現われる「わかわかし」に、多少「ばかばかし」に近い概念が窺われるのも、参照すべきであるかも知れない。

奥里将建『日本語系統論』
※太字強調は○△▢。以下同。

 つまり、新村出は一時的に「わか」説へ心が動いたらしく、奥里将建と直接話した折にその考えを伝えたのですが、結局は「わか」説を捨てて梵語由来説を採用した、ということなのでしょう。
 「馬鹿考」は1951年に刊行された『語源をさぐる(1)』に再録されていますが、この本の「序説」で新村出は次のように書いています。

外来語源説、詳しく言うならば梵語語源説を私の友人の柳田国男君が非難して、これは日本の純然たる俗語である。すなわち日本のヲコという国語から来たという反対論を唱え、私も再考したがその異論に絶対服従したわけではなく、仮りに国語語源説を採るとしてもヲコ以外の語源説が考えられそうに思えてならない。直接柳田君とも論争を試み、折々語源論の一例としてこの語を取扱ったことがあるので、自他ともに古くなってしまったような気もする。

新村出『語源をさぐる』 「序説」

 つまり新村出は『日本の言葉』刊行後、「バカ」の語源について柳田国男と「直接」話す機会があったそうなのですが、おそらくはその際に奥里将建に話したのと同じ考え、つまり「わか」説を口にしたのだろうと思われます。そして柳田国男は戦後になって「嗚滸の文学」を書く際には、新村出から直接聞いた「わか」説を「馬鹿考」に書いてあったと勘違いしてしまっていた、というのが事の真相だったのでしょう。
 以上の話は、松本修の『全国アホ・バカ分布考』に詳しく書かれています。

⑥「をこ」

 「「バカ」の語誌(1)」で見たように、「をこ」は古くから「おろかな」「ばかげた」などの意味で使われていた言葉です。現代でも「おこがましい」という言葉が「生意気な」「差し出がましい」といった意味で使われますが、かつては「ばかばかしい」という意味で使われていて、『源氏物語』にも繰り返し出てきます。
 柳田国男は、こんなふうに昔から同じ意味で使っていた言葉を無視して、なぜ難しい外来語に語源を求めるのだと言って、「をこ」説を提唱しました。「嗚滸の文学」では、冒頭で引用した「こういうむつかしい舶来の文献から……」という皮肉に続けて、こう言っています。

奈何いかんせんもうそれよりもずっと前から、日本はこのヲコという語がやや濫用せられ、是をもう他へは用いにくいくらいに、毎日毎日ただ一方の者にばかり、連発しなければならぬほどの需要のある国だったのである。

柳田国男「嗚滸の文学」

 それでは「をこ」からどうやって「ばか」へと変化したのか。1941年に書かれた「馬鹿考異説」では先ほど見たとおり、「不十分ながら」の推定としながらも、「ヲコ」→「ワカ」→「バカ」という変化があったのではないかとしていましたが、戦後に書いた「嗚滸の文学」では「私の証拠は少々ばかりではない」とかなり自信満々になっていて、以下のように説明しています。

日本語のワ行がバ行に、WがBに移ってくることは通例というべきもので、南方のある島などは我がをバガ、鷲をバシの鳥という風に、むしろこの点をもって内地と繋がっているとさえ見られる。女の髪のタボを、以前はタヲまたはタワと謂ったというような例は、こちらにもたくさんある……

柳田国男「嗚滸の文学」

 また母音の変化については「母音のオ列からア列に移ること、是もタヲヤメをまたタワヤメとも謂い、ヲノノクとワナナクとが同じ意味に、ほぼ同じ時代から使われている」としています。
 しかし柳田国男は、この「をこ」という言葉を単に「バカ」の語源としてのみ重視しているのではありません。彼にとって「をこ」は、貴族や庶民といった社会的階層に関係なく、日本文化全体にとって重要な概念となっています。
 柳田国男によれば「をこ」は本来、単に無知で常識知らずの「バカ」というよりも、人を笑わせ楽しませる存在としての「バカ」でした。ですから本人が意図しない愚行や失敗もそうですが、意図的に笑わせる技芸としての「バカ」もまた「をこ」と呼ばれ、日本人を楽しませてきたのです。『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に収められた滑稽譚や狂言、浮世草子などの文芸もそうですし、一休や彦六、吉四六の頓智ばなしのような民間伝承もまたしかりです。
 柳田国男はこれらを「世を楽しくする技芸」と言っていますが、現代の言い方なら「エンタテインメント」と呼ぶのがふさわしいでしょう。つまり日本の古来からのエンタメの根底にあったものが、柳田国男によれば「をこ」だったのです。
 さらに彼は、「バカ」だけでなく「をかし」の語源も「をこ」だろうと言っています(ちなみに『言海』の「をかし」の項にも「痴(ヲコ)シキ意ト云」とあります)。「をかし」はもちろん、『枕草子』にやたらと出てくる「いとをかし」の「をかし」です。学校の古文の授業では「いとをかし」を「たいそう趣のあることだ」などと訳しました。なぜ現代の「可笑おかしい」と意味が違うのか、疑問に思っていた方もいらっしゃるかもしれません。
 これは「をかし」が快適であること、いい気分がすることを意味すると気づけば、両者に共通の根っこがあるのがわかります。柳田国男は次のように言っています。

とにかくにヲコとヲカシと、二つ是ほどにも縁の深かった言葉が、いつしか袂を分ってむきむきの途を歩んだことが、莫迦外来説のごときばかげた現象を、招き寄せるもとになっているのである。私などの見たところ、ヲカシはもともと快楽の語だったのだから、なるだけ広い適用を受けようとする。これに対してヲコばかりが、不当に嫌われたのである。

柳田国男「嗚滸の文学」

 こうしていつの間にか「をこ」だけが「零落」し、「人のいやがる馬鹿にまで成り下った」と柳田国男は言います。彼はそうなってしまった理由を、人生に余裕がなくなったからだろう、と推測しています。確かに、忙しいときにバカなことを言われればたいていの人は腹が立ちます。
 「馬鹿はどうしても休み休み言うべきものであった」――ちょっとしゃれた言い方を柳田国男はしています。

 ところで彼は「馬鹿考異説」に「語源論ほど水掛論になりやすいものは無い」と書いています。
 前回、今回と2回にわたって「バカ」の語源についての諸説を見てきましたが、どれが正しいかなんて、結局のところわかるはずがありません。しかし柳田国男の文章を読むと、重要なのは言葉そのものよりも、言葉の背後にある文化であり人々の暮らしなのだろう、と思えてきます。

◎参考・引用文献
柳田国男「馬鹿考異説」「嗚滸の文学」『不幸なる芸術・笑の本願』 岩波文庫、1979年
北原保雄『日本国語大辞典 第二版』 小学館、2003年
「馬鹿」 ウェブサイト「ウィキペディア 日本語版」にて閲覧 https://ja.wikipedia.org/wiki/馬鹿
佐佐木信綱校訂『新古今和歌集 新訂』 岩波文庫、1977年
浅川哲也『知らなかった! 日本語の歴史』 東京書籍、2011年
服部大方『名言通』 1835年 新日本古典籍総合データベースにて閲覧 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100227347
小山田与清『松屋筆記』 国書刊行会、1908年 国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993266
新村出「序説」「馬鹿考」『語源をさぐる』 講談社文芸文庫、1995年
楳垣実『猫も杓子も』 関書院、1960年/創拓社、1989年
鈴木棠三編.『新編 故事ことわざ辞典』 創拓社、1992年
村田了阿編 井上頼圀・近藤瓶城増補・改編『増補 俚言集覧』 皇典講究所印刷部、1900年 国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/991571
土井忠生ほか編訳『邦訳日葡辞書』 岩波書店、1980年
奥里将建『日本語系統論』 日本地名学研究所、1957年
松本修『全国アホ・バカ分布考』 太田出版、1993年/新潮文庫、1996年
大槻文彦編『言海』 1889~1891年 国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧 https://dl.ndl.go.jp/pid/992954
その他、多数のウェブサイトを参考にしました。


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