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棺の妻

 物音に敏感すぎる私は、良質の眠りを求めて、ついに別宅を用意するに至ったのです。こんなことを人に言うと、きまって意味ありげな笑みを浮かべられるんですが、そんなんじゃありません。ただただ夜の無音の環境を求めた結果が、これだったんです。

 越したのは一応都内ではありますが、周囲を山々に囲まれた鄙びた土地です。通勤時間はおのずと長くなりましたが、あの殺人的ラッシュで知られる通勤電車にほぼ座って乗れるようになったわけですから怪我の功名というもの。妻も子どもたちも週末は行楽気分で訪ねてきて、日中は山登りなどしてしばらくは楽しんだものですが、なにせ相手は聴覚過敏の神経衰弱予備軍ですからね、そっとしておこうと段々遠慮が働いたもので、連休明けからぱったり来なくなった。

 日没後は人の生活音の絶える土地ではあるのですが、かえって水の音、風の音、虫のすだく音……と諸々の自然音が耳につかないこともない。カエルの合唱などかえってするほうが寝つけるなどと楽観的な構えでいたのですけど。それでどう無音の状態を確保するかとなりましてね、これではどこに越しても詮ないこと、私は軽トラ借りまして近くのホームセンターまで出向きましてね、素人の引いた設計図を広げながら、板やら角材やらを切り分けてもらった。で、妻子の来ない梅雨の只中の日曜日、私はそれを一日がかりでこしらえたのでした。

 以来私はいまだかつてない眠りを得るようになったのです。心身とも上々でした。しかし会う人会う人こう言うのです、どこかお体悪いのですか、と。顔色が悪いはずはない。それを人は認めます。毎日が自炊で粗食に甘んじておりますからね、痩せたというのはあるんだと思います。ところが痩せたことを人は指摘するのではない。さる忌憚のない物言いをする同僚がついにこう言ったのでした、「なんていうのかな、日に日に白く抜けていくとでもいうのかな。生気が薄まってやしないか」

 下衆の勘繰りから免れないからそんな妙な想像をするのだと思って私は気にも留めなかった。ところが梅雨明けの声を聞く頃に、どうも日中立ちくらみにしばしば襲われるようになった。よく眠り、よく食べもしている健康そのものの日々を送っているのに、どうしたものか、ときに丹田に力が入らぬようなのです。

「あなた、どうしたんです! これ、なんの真似ですか?」
 そう叫ぶ声に私は眠りを破られた。こちらからは見えない死角で啜り泣きのような音が立つのは、どうやら子どもたちのよう。観音開きに開く空気取りの小窓から、せいぜい笑い顔を作って私は無事安泰を伝えようとしたはずです。妻は必死で爪を立てて蓋をこじ開けようとする。ところがびくともしない。私のほうは中から加勢する力も出なくって。妙だな、とは思っていない。安眠を不当に破られたと、いささか不快に思っているくらいなもの。

 妻はどこぞで釘抜きを手に入れて、長の時間をかけて私をそこから救い出した。夫は棺の中に閉じ込められていた、と妻や子どもからしたらそうなるわけですが、私からすればそれは棺でも何でもなく、私の考案し自作した無音を得るための箱、言うなれば安眠箱ということになるのでした。

 妻の説得により私は山間に借りたアパートを引き払い、しばらく会社を休んで療養することになりました。ちょっとの音でも目が覚めてしまうのは相変わらずで、不眠の夜々がいまだに続いております。例の安眠箱の行方ですか。いずれ妻が処分したものでしょう。

 しかしそれにしても、あの箱の蓋に外から釘を打ったのは誰か、ふと気にならないこともない。妻をはじめ、誰もそれを話題にしないので、私も黙っておりますが。

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