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マイノリティこそマジョリティ ビジネスの鍵は福祉現場にあり

大量生産・大量消費・大量破棄が問題となって久しい。しばしば話題になる食料品や衣料品のみならず、人材業界やコンテンツ業界のような可視化されづらい領域においても、大量に産み出されては捨てられゆくのが常だ。ともすれば、ヒト自身も、その渦に巻き込まれゆく錯覚さえ覚える。
資本主義が続く限り、我々人類は、この過剰な社会経済から逃れられないのだろうか?


どうやら、介護現場にひとつのヒントがありそうだ。広島の縫製会社・マルカの視点が面白い。

「1人で簡単に脱ぎ着できるシャツがほしい」――脳出血の後遺症で半身まひとなった友人の一言をきっかけに、開発を始めたという後藤社長。ブランド名「ONESELF(ワンセルフ)」からも、「体が不自由な人が1人で服を着られるということは気持ちを前向きにさせることなんだ」という瑞々しい気付きが伝わってくる。

これまで社会の大枠において、「身体が不自由な人」はマイノリティ(少数派)であった。反対に、「障がい者」ではなく「健常者」、「外国人」ではなく「日本人」、「運動音痴な人」より「スポーツを好きな人」、「食べない人」より「食べる人」が、マジョリティ(多数派)とされてきた。「弱者」/「強者」とも言い換えられるかもしれない。
しかし、架空の「マジョリティ」を前提とした商売は、企業にも地球にもヒトにとっても、限界を迎えつつある。
我々はまだ、均質化されてなどいない。多様な有象無象の集合体だ。その意味で、マイノリティこそマジョリティを形成すると言えまいか。

「年40億着の服が輸入され、30億着が廃棄されているとも言われるが、実は本当に必要な服が必要な人に届いていない。この現状を何とかしたかった」と後藤社長は語る。必要な物を必要な人に、はそもそも商売の基本であったはずだ。加えて「必要なだけ」を実現できれば、大量破棄とはなり得ない。


「マイノリティ」における沢山の小さな声を、丁寧に拾っていく。介護・福祉の現場において重要な視点が、いま、ビジネスにも取り入れられ始めている。こうした動きこそ、過剰な社会経済を抜け出す鍵となり、ひいては多様性を許容する社会の実現へ繋がるかもしれない。

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