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幸福日和 #096「時計の針をずらしてゆく」

同じように与えられたものを
どのように使っていくか。

そういった部分にこそ、
自分らしい毎日を送ってゆくための
ヒントがあるのだと思う。

例えば「時間」。

与えられた時間は皆同じはずなのに、
その時間の使い方はそれぞれに違う。

一つのことに時間の全てを注ぐ人もいれば、
その時間を丁寧に切り分けて、
色々なことを同時に楽しんでしまう器用な人だっていますよね。

使ってきた時間の連続が、
その人の人生になるのだとしたら、
その「時間」というものを
もっと工夫して使っていきたいとおもう。

この時間を自分らしく使えているか。
周りに合わせて浪費してはいないだろうか。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


僕が時間を使う上で、
大切にしていることがあるんです。

それは「時間をずらす」ということ。
時に、周囲の人とは違う時間軸で
日常を送るんです。

思い返せば、幼い時や学生時代、
サラリーマン時代だろうと今でも
この習慣は変わっていません。

小学生だった当時。
不登校気質だった僕は、
早朝に家を出る時だけは、
不思議と学校に向かえたんです。

誰もいない時間の学校だったから。

人々が起床し始めただろう時間に僕は足早に家を出て、
ひとり静かな通学路を学校に向かっていく。
それは、まるでこの世界に自分だけしかいないのではないかと
錯覚してしまうほどに、静かな時間でした。

そして、学校に着くと、
学校の敷地内に住んでいるおじいさんの家に行くんです。
昔からこのおじいさんが何年も
この学校を見守り続けていて、
校門や教室の鍵も管理していたんです。

おじいさんは僕の事情をよく知ってくれていて、
僕は鍵をもらうと、
誰もいない図書館にこもっては
ひとり読書の時間を楽しんでいました。

その時間に没頭しているうちに、
窓の外からは、
柔らかい朝日が少しずつ差し込んでくるんです。

まるで夏休みのような静けさの中で、
おもいおもいに物語の中に入り込んでいました。

自分で時間の針をずらすだけで、
日常はこんなにも違うものに感じられるのかと
不思議な思いがしたものです。

不登校の僕は、
そうして、時計の針を早めることで
密かに学校に通っていたのでした。

✳︎ ✳︎ ✳︎ 

桜が満開になるころも、
僕はその季節を感じるために
決まって「時計の針をずらして」外に出かけてゆきました。

社会人になり都内に住んでいた僕は、
早朝の誰もいない目黒川沿いを
ひとり静かに歩きながら、
春の訪れをひとりで感じていたものです。

満開の桜とは、人混みの中ではなく、
ひとりで静かに向き合っていたかった。

ふと頭上から舞い落ちる花弁に、
季節の儚さと、
その一瞬に巡り会えたありがたさを感じました。

雪の降り注ぐ時期や、
紅葉が色づき始める時にも、
僕はそうして自分なりに時計の針を
周囲の人々とは違う方向に動かしながら、
自分なりの時間と向き合ってきました。

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世間を避けるように時計の針を進めているように
見えるのかもしれませんが、
けっしてそんなことはないんです。

ひとりの時間を大切にしているからこそ、
大切な人と時計の針を合わせられた時には、
その時間の中で言葉にならない幸福感に
満たされるんです。

与えられた時間を、自分の思うように使う。
そのために、時に時計の針をずらしてゆく。

人は性格も違えば感性も違う。
それなのに、なにも人と同じように
時間を使わなくてもいいんじゃないか。

そんなことを思いながら
今日もこの与えられた二十四時間を味わっています。

みなさんは、
この時間をどう使っていますか?


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