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「明日こそがんばるぞ」の辞め方

「明日こそがんばるぞ」という呪詛を、ここ最近、毎晩のように唱えてしまっていた。日頃から心の中の言葉遣いには気をつけているつもりだった。でも忙しい時期が続いて、なおしたつもりのクセがぶり返してしまっていたようだ。ずいぶんとまた、自分を傷つけてしまった。

とはいえ気づくことができれば対処ができる。こういうとき、僕は「24時間」単位で生きることをいったんやめるようにしている。

地球は決まった周期で明るくなったり暗くなったりする。このリズムがわかりやすすぎて、僕らはなんとなく24時間という単位で生きている。でも「48時間周期」で生きようが「朝5時に寝て昼過ぎに起きる」リズムで生きようが、それはこの球体に住む僕ら一人ひとりが好きに決めればいい。

そもそも僕らの肉体は24時間周期のリズムを刻んではいない。これは何ヶ月か引きこもったことがある人にはよく知られていることだ。何日も陽に当たらず、好きな時間に寝る生活を続けていると、人間は毎日1時間ずつ起きる時間がズレていく。

「明日こそは」という思考はある意味、ゲーム脳かもしれない。音ゲーも格ゲーもFPSも、基本的には「ほぼ失敗する」「ほぼ負ける」ゲームだ。何百回も負けてくやしい思いをしながら、ごく稀に得られるハイスコアやドン勝が気持ちよすぎて、その一瞬のために苦しい失敗を積み重ねることができてしまう。

けれどそうやってアドレナリンで動く生き方は、たまに娯楽として嗜む分にはいいとしても、人生のメインエンジンにしてはいけないようだ。これは結局、喫煙や飲酒と変わらない。そう気づいたはずなのに、昔からのクセでこのエンジンについ、頼ってしまう。

とうていこなせない量の「やらなきゃいけないこと」を頭の中に思い浮かべる。無理なことは最初から薄々わかっている。そして実際、こなせなかったタスクが残る。

そもそも「今日一日で……」という制限時間を決めているのも自分だし、「50個の作業をこなす」と決めているのも自分だし、
自作のゲームがクリアできずイラついたり自分を責めてたりしているのも、やっぱり自分なのだ。
こういう幼稚なことを僕らは無意識にやってしまう。ちょっと忙しい時期が続くだけで、僕らはすぐに小学生レベルの知能に退行してしまう。

変なルールで自分をチクチクと痛めつけていることに気づいたら、ルールをあれこれいじってみるといい。たとえば「今日1日で」を「2日かけて」にしてみたり、やるべきことを50個じゃなくて2個にしてみたりするのだ。

バカみたいな自分ルールに苦しんでいることに気づいても、それをすぐにやめるのは難しい。でも、ルールを緩和することはわりとカンタンにできる。
そうやって自分で自分のルールをいじっているうちに

「そっか、自分のルールは自分でどうにでもなるんだ」

という当たり前のことに、ある日はっと気づくのだ。急に自転車に乗れるようになるみたいに。


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