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東日本大震災と文学【9】調律師(熊谷達也)

村上龍は、震災後にニューヨークタイムズにある文章を寄稿しました。

全てを失った日本が得たものは、希望だ。

危機的状況の中の日本

津波があらゆるものを、その底闇の口を開けて呑み込んでいった、それが私の認識です。命、記憶、土地、家、金、尊厳etc.
震災は絶望であるというのが、もっとも一般的な考え方でしょう。もちろん、たくさんの文学が震災による喪失を描いてきました。しかし一方で、震災を契機に希望が生まれるという一見逆説的な、ともすると被災者の神経を逆なでしてしまうかもしれない(と思ってしまうかもしれない)作品もまた同様に出版されてきました。
その一つが、『調律師』という作品です。

この作品は、『オール読物』(文芸春秋)で連載されていた連作短篇です。以下の短編が本作に収録されています。
「少女のワルツ」2010年8月
「若き喜びの歌」2010年12月
「朝日のようにやわらかに」2011年8月
「厳格で自由な無言歌集」2011年11月
「ハイブリッドのアリア」2012年4月
「超絶なる鐘のロンド」2012年8月
「幻想と別れのエチュード」2012年11月

勘のいい方はお気づきかもしれませんが、実は『調律師』は震災前から書かれている、あるいみ震災前文学です。ではなぜ、私は3.11文学として本作を紹介したのか。それは、熊谷氏のことばをそのまま紹介したほうが分かりやすいでしょう。

執筆に取り掛かったのは震災前なので、当然震災とは関わりのない物語となる予定でした。でも、三話目を書き始めるときに震災が起きた。私はどうしても震災に触れずに物語を終わらせることができなかった。そこで、六話目で東京から仙台に出張した主人公が被災する展開に変更したんです。

『震災学』vol.15

そうなんです。本作は執筆中に震災という一つのエポックによって二度目の誕生をしました。実際に読んでみると六話目以降の転調は明らかで、大きな違和感があります。それでもなおこの作品が、震災による希望という一見逆説的なテーマをもっているのは、以下の外的理由にも拠るでしょう。

①熊谷氏が被災地出身、被災地在住の「当事者」だったから
②震災を経たことで、彼自身が筆をもつ決心を固めたから

②の理由に関しては、先ほどの引用した雑誌に書かれているのですが、熊谷氏自身が「震災がなかったら私はもう小説を書くことを止めていたかもしれない。震災を経たことで小説に向き合う機会を得て、題材が与えられ、小説家として再生できたのだ」と述べています。これは、調律師である主人公・鳴瀬が震災を契機にして妻の死(メランコリー)から解放されるというプロットと響き合っています。
調律師である主人公・鳴瀬の姿と作家自身が重ねられることによって、いち当事者としての熊谷氏の再生を、被災者自身が自分に投影することになる。そうして現実味のある希望として物語がたち現れる——鳴瀬=熊谷氏=読者(被災者)——という三重の投影がなされています。だからこそ、その主人公が受け取った救い・癒やしが、読者に陽光として降り注ぐのだろうと思います。

震災が「何か」をリセットしてしまった。震災によって時制の断絶が余儀なくされた。しかし、そのことが震災前にあった私(自己)のトラウマも同時にリセットさせてくれた。震災が、3.11当日という現在とそれ以前という時間軸そのものを断絶させた。過去(3.11以前も含む)という足枷そのものを脱ぎ去る機会がもたらされた。そこでさらけ出された「自分」というのは、《今》《ここ》に真っ裸で投げ捨てられてしまった存在。だが、その肌寒さが——春もそぞろな避難所で凍える「私」という生が——否応なしに実感させられる。逆説的に、前を向かざるを得なくなる。地震・津波によって《奪う》が与えられる。その身軽さが一歩踏み出す希望になりうるということ。そこにこの物語の希望があるのではないでしょうか——電気が絶たれた震災の翌日にこそむしろ星の光が強く瞬いたように。


✦わたし的希望
上記の感想がいささか評論的なそっけない態度の文章になってしまったので、もっとわたし的な視点からどうしてこの作品に感動できたのかをお話ししたいと思います。
やっぱり、物語の面白さというのは「これは自分の物語だ」と思えることに収斂するんだと思います。しかし、《今》の自分というだけだとそれは鏡を見ているのと同じなだけで……。フィクションの素晴らしさっていうのは、その先を見せてくれることにあります。つまり、「こんなクソみたいな人生を送っているわたし(オレ)みたいなヤツ=主人公」でも、立ち上がって前に踏み出そうとしている。翻って自分という人間の怠惰な姿、うじうじした姿、呆れた姿etc…と、前に歩む主人公を比較してしまったときの絶望・焦り、あるいは希望が、読み手の心を震わせるのではないでしょうか。

ということで、この作品がいかにわたしにとって面白かったかを説明するには、わたしと主人公・鳴瀬の過去を語らなければならないわけです。

さて、あまり興味のないことかもしれませんが、わたしは喪失ということに関しては人一倍恐れている人間でした。それはわたしが子供の頃のトラウマによるものでしょう。わたしの家族は転勤族で、日本各地を転々としていました。子供とって、全く知らない土地で、まったく知らない人がいる環境に投げ出される心細さは想像に難くないはずです。ただ、なによりわたしを恐れさせたのは、今まで時間を共有してきた友人たちとの別れでした。わたしが転校したとして、彼らはわたしのいたころと変わらない当たり前の日常を送る。わたしの空いた席を、他の誰かが簡単に埋めてしまう。もちろんわたしが築いてきた彼らとの関係もゼロになる。今まで友人と時間を共有してきたのに、もうそれを共有できない。そこにいたはずのわたしは、もういない。そういった「喪失」にかかわるトラウマがわたしにはありました。時は下って大人になったわたしは東日本大震災を経験する。着の身着のままで逃げ出したわたし。それは、かつて子供にはどうしようもない《親の都合》とやらで土地を離れた経験と重なります——地震というどうしようもない《自然の都合》で土地から離れざるを得なかったように。

その喪失への恐怖が、主人公・鳴瀬への共感につながります。鳴瀬は事故で妻を亡くしています。しかも自分が運転する車。自分だけが生き残ったというサバイバーズ・ギルト——震災で生きながらえた者たちの罪悪感とも通底している——。まずここに、わたしと鳴瀬の共通項があります。友人の喪失と妻の喪失。被災者のサバイバーズ・ギルト。
補足すると、鳴瀬は共感覚という能力をもっていました。共感覚とは音に対応する色を認識するのが代表的で、かつて天才ピアニストと称された鳴瀬も色調(音と色の共感覚)を生まれながらにもっていた。妻の死後は、妻がもっていた共感覚・嗅調を引き継いでしまう。そうなったら、妻が死に際にわたしに共感覚を遺して逝ってくれたと考えてしまうのも無理はありません。しかも妻の事故は、主人公が運転中に起きています。死なせてしまった罪悪感と、妻が遺してくれた嗅調。鳴瀬には生まれながらにしてピアノに音があった、色があった、匂いがあった。それらが震災によってすべて喪われる。
彼の周りを旋律の彩色や芳しい匂いが、知覚できなくなった。音しか聞こえなくなった。特に匂いに関しては妻とのつながりの象徴だった。それらを失ったという恐怖。自分の立っている足元が、確実だと思われた地面が崩れ去っていく恐怖。
だからこそわたしは彼に感情移入してしまったのです。当たり前すぎたはずの日常が前触れなく、ふっ、と存在しなくなる。そのことにわたしはひどく憔悴しますし、鳴瀬もなにも考えられなくなる。ここに、「自分(わたし)の物語」として『調律師』が存在を定義づけられました。

しかし、——これが一番大事なことですが——主人公はそこで立ち止まりませんでした。ある日の夢の中、亡くなったはずの妻が彼の前に現れて、彼を勇気づける。夢幻能の形式に似ていますよね。死者との交信によって彼は新しい道に、羅針盤のない未来を進むようになりました。彼は被災地でピアノの調律と音楽を届けることになります。そして最後、彼にとってトラウマにもなりえたピアノの音——妻の遺した共感覚さえ失ったピアノの音——をこう表現します。

私の演奏するピアノは澄んだ音を響かせるだけで、それ以外のものは、なにも伴っていない。そのピアノの音が、いまの私には、とても心地よく聴こえている

調律師

震災によって日常が奪われた。妻の遺した共感覚さえも失ってしまった。しかし、そんな喪失の根源である震災に恨みつらみをぶつけずに、未来に歩みを進める鳴瀬の生き方に、光を感じるのです。
震災を契機に過去のトラウマも清算した鳴瀬。それに比べて自分の境遇を嘆いてばかりの自分。でもこの物語をよんで、わたしも震災に区切りをつけることができました。震災は過去をもっていってくれたんだ、と。ならば過去を恨んだりするのではなく、身軽になった《今》《ここ》の自分を大切にしたい、と。


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