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自己肯定感は、体感だ。

かつて私は自分のことが大嫌いだった。

ずっと暗い穴の底から、明るい地上にいる世の中のみんなを見上げているような気がしていた。地上のみんなは楽しそうで、自分とは全く別世界の生き物だった。

自分のことは大嫌いなりに、でもあれとこれは人よりもできるとか思って人を見下したり、かと思えばこんなところは劣っているとコンプレックスをこじらせたり忙しかったけれど

頭がその両極を行ったり来たりしている間もずっと、体は暗い穴の底にいた。


◆ ◆ ◆


ダメな自分を認めるとか、自分を褒めるとか、自己肯定感を上げるとされる色々なワークが、世の中にはある。

でもその大半が「頭の中をいじるだけ」のような気がしている。

頭の中の善悪の2つの箱、その悪の箱の方から一つ一つを拾い上げては善の箱に移し替える、その作業をどれだけしたところで大して意味はない。

暗い穴の底にいる体を救い出してはくれない。

頭の中は、相対の世界。そして、体は、絶対だ。

相対の世界は、前提一つ変えただけで砂のように全て崩れてしまう。


◆ ◆ ◆


「せいめいりょく」の奔流が私の体の中を突き抜けていくのを初めて感じた時、これがあの、自己肯定感というものかと、やっと分かった。

私はもう暗い穴の底にはいなかった。

それは最初からずっと、私の体の中に眠っていたのだ。なのに、頭が忙しすぎて感じ取ることができなかった。

頭があっちの箱からこっちの箱へ、そしてまたこっちの箱からあっちの箱へと、拾っては投げ入れ拾っては投げ入れしていたその長い年月、

「せいめいりょく」は私の腰のあたりでじっと渦を巻いていたのだ。

まぼろしを右から左へ、左から右へと、あれしてこれしている間、

私の「ほんとう」はずっと体の中にあったのだ。


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