何のために

生きてんのかね…。
難しいな。酒を飲んで色々な事に思いを馳せる。
後悔。
期待。
未来。
過去。
今の自分。
正義と悪。
懺悔…。

朝起きて今の自分を生きようとする。
仕事。
家事。
育児。
みんなの自分。
これからしたい事。
数年後になりたい自分。 
子供たちの将来。

飲んだ分だけ損してる自分。
飲まない事で辛い思いをする自分。

今まで生きてきた。
そして人を育ててる。

でも、自分が生きてる意味すら分からない。
人を育てられるような人ではないな。心からそう思う。

だから子供を育てようとは思わなかった。子供と一緒に育つ事。
それが俺の子育て。そうする事しか出来ないと思ってる。そしてそれは間違ってない。
子供を育てるんじゃない。子供と育つのが親だよね。親として育つためには育てる子供は絶対必要だから。

今、親の顔だけした子供みたいな大人。凄くたくさんいる。

子供がいると親になってるつもりのやつ、腐るほどいる。

親ってどっからだ?

20歳になったら大人だと思ってた子供は、32歳になった今、子供を持っても親になれてる気はしない。

そして子供たちを育てられてるなんて思っても見ない。
けど子供は成長する。だから俺は精一杯自分の生きた道。自分が生きてきた方法。自分が間違ってるってことを伝えてる。正しく生きてくれるかはわからない。何が正しいかもわからない。

けど、俺みたいに関わった人を悲しませる人にはなって欲しくないと思うから。
悲しませた人を元気にしようとするような懺悔の旅じゃなくて、みんなの元気を少しずつもらって、困った人を助けて旅できるようなアンパンマンのような人間になって欲しい。

なって欲しいって言葉。

おかしいよね…。

なって欲しいって事はならなかった時どう思うのかね。

失望するのかな。

怒るのかな。

なんでなって欲しいんだろう。

子供育てられる気しないのに、なって欲しいって感情だけは一人前だ。

親のふりだけしたいのかな。なってみたいんだろうな。

親って言われたいんだ。

俺は自分の親は否定してきた。けど自分は子供に肯定して欲しがってる。だから親を肯定できるようにとことんぶつかることを決めてぶつかった。

結果良かったと思う。自己満足だけど。自己肯定感を認識するには十分な行動だったと思う。

親って親だからね。立場も、地位も、名誉も、全部無視して急になれる役職だから。

急に下ができる特別制度なの。
けど、実際出てくるのは下の役職ではないわけだ。いつか自分を超えていく、上の役職の奴がたまたま下に生まれてくるだけなんだ。親は人の上に立つものではない。

親は人の下にいて、人を敬う事で初めて人としての価値を他人に教えてあげることができる存在。それが親なのかもしれない。

少子化。それは大人が生んだ特別な事態。子供が減ってるんじゃない。大人が減ったんだよ。だから育てられないから子供は産まないんだ。
大人は昔から居たんじゃない。常に子供が産み出すものなんだ。子供が育たない限り大人は産まれない。大人がいないから子供が減った。

当たり前だし、一番納得のいく答えな気がする。

だからとりあえず大人は減り続ける。増えすぎた子供を正すために。倫理や道徳なんて難しいものはいらない。

もっと、単純に。自分たちが言葉として受け継いできたものを体現していけば大人になる。
ルールはルール。言葉だけではない。守る事で見えるルールがある。継続は力なり。この言葉の真意を見つける事は、本当に意味があると思う。

親だと思って生きてきた親たち。自分が本当に教えを乞うべきは今目の前にいる子供たちだ。その声を聞かずに親になった気になるな。親かどうか。認めるのは子供だ。

生きる意味。あっても無くても明日は来る。明日生きる為には生きる意味探した方が楽しいよね。